見出し画像

もらうときの姿勢

明日は履歴書、書けると思った。

夕方、「窓ぎわのトットちゃん」を観に行って、帰りにミスタードーナツへ寄った。

たくさんのレビュー

ほかの映画との比較

流し読み、私も言葉を垂れ流した。


帰ってきて、まさかまだやっていた、NHKの宮崎駿特集をチラ見。

苦しそうな姿を見た。

人が 苦しんでいる姿を 見た。

なかなか見られるものじゃないと思った。

「まひと」の声をやった火野正平に、何度も思いを託す様子が映されていた。


そういえば昨日と今日と、アニメ続きだなと思った。

そのあとは「沼ハマ」だったかな、アーティストとそのアーティストにハマって(沼って)しまっている有名人たちが出ている番組。

Awich(エーウィッチ)というラッパーが、

ラップを作るのに大事なのは「リアルさ」とも言っていた。その人のキャラクターと言葉のギャップがあるとリアルじゃない。


なんか、感じた。


ここ二日ぐらい、このnoteも、なんか“酔ってる”というか、日常生活もなにか、どこか「探してる」感じがあった。

どっか、なんか、苦しくて。

なんやろなと、どうしたもんかな、糸が途切れたみたいな感じやなと思ってた。

カウンセラーの人に最初に言ってもらった「甘やかす」が足りてないんやなと思って、思い出したりしてたけど、なんか、ノドに小骨が引っかかるというか、一息では飲めない感じだった。

でも、もう一個、思い出した。

も ら う。


唐突に、ミスタードーナツ。
これ全部食べた。


もう頭使わんと、もらってたらいいねんで。


そうやった  と思い出して、もらうことだけで過ごすと、履歴書が怖くなくなった。

なにか自分が与えようと、与えなければと、するとそこに一枚余計なもんがはさまって、自分のことがわからんくなる。大風呂敷広がるような。


Awichで言うところの、“キャラと言葉が合ってない”。リアルじゃない。



だから、ああ、もらう自分でええんやなと思う。


それしか無いんやと思う。

観念するしかない。

うちが与えられるものなんてないんやと、

それはほんまにそう思う。

もらっていいんやったら、無邪気な人のキラキラをいっぱいもらいたい。

可笑しくて可愛みのある人間の姿をずっと見て笑っていたい。

そんなところや私なんて。

それをもらうために、私をやってるんやと思う。

それが私なんやと、思った。

それをもらえるところまで、ずっと、それをもらうときの姿勢でいないとならんのや と思う。


なるほど。



だから履歴書、書くんやわ。

この姿勢で。


なるほどな。


と、思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?