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傷が癒すものの前で

お昼過ぎに書いた記事。↓

「傷」が光になると感じた。一瞬ね。

というのは、傷に「触れた」と思った。傷に触れて、「傷」っていうのはこういうものか、と思った。それは、なまっぽかった。

カウンセリングで、そんな体験をして、帰りがけに寄り道をした。

なんだか、お金がいくらあっても、時間がいくらあっても、自分が何をしたいのかが、全くないなと思った。

でも辛うじて、このまま帰宅するよりはと下車した駅から見えた川に向かった。


歩いたことのない道を歩いて、あったかい日差しがさす河川敷の芝の上に座った。久しぶりの地面。




「傷」っていうのは、「経験」だと思ってた。

「こういうことがありました。」

それがきっかけとなって、今の私に少なからず影響を及ぼしていると思えるもの。それが、傷。

いや、それはそうなんだけど。



なんだろうね。

今はなにも、考えられないな。


「傷」が、傷だったなんて、思いもしなかったからかな。いや、よくわかんないな。わかってたんだけど、わかってなかったんだ。あはは笑



一つ説明できるのは、傷の前で、立ちすくんでるってこと。

傷を塞ぐため、癒すために、進もうとする時間、その扉の前にいること。

怖いんじゃなく、静かなんだな。

いや、なんていうのか。これがリアルな私だと思うと、恥ずかしいね。というより、照れるね。

そんな意味で、傷は、傷こそが私を癒すんだなって、思ったかもな。へんだね。照

( それが、光 ということ。         ※11/30 追記 )

久しぶりにふかふか。


遠くに小さく、さるのこしかけ確認っ


そんなこんな、今日でした。🌟


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