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"The LEPLI" ARCHIVES-69/ 「新たな”五感”のバランス化を考えませんか?」- 『今僕が考えているモードのこと。』 -「肉-骨-皮」と”五感”から生まれる被覆。 

「これは原宿VACANTの”LePli会”でのデジュメの一部です。」

文責/平川武治:
初稿/2012年5月31日:
 
 東京は変わらぬ”消費社会の坩堝”、世界でも類をみない
“長いものに捲かれろ!”的な世界へ進化するだけの都市。
 あの鳴り物入りで,煽るだけメディアを煽ってオープンした、
DSM-GINZAに”新しさ”はありますか?

 そこで、『再び、ファッションを通じて、“新しさへの可能性”を
考えるための幾つかの提言。そのための”発想のためのコンセプト”として、最もベーシックな事、”モードの根幹”を考えてみよう。』

 はじめに/
 「みなさんのこゝろの中で”何が変わったのか?”の確認をして下さい。」
 昨年のあの“3.11”体験によって、本当に「変わった事」とは何か?
「気ずいた事」は何か?そして、「知ってしまった事」は何か?
 気が付かない人たちの遅れて来た外国人コンプレックスによる
”変わらぬ、消費社会の過剰商業施設”はいつ迄続くのでしょうか?

 みなさんそれぞれが再確認と再認識を忘れないで下さい。
そして、カタログメディアに惑わされないで、
みなさんの、”こゝろの様変わり”が何かを忘れないで下さい。
 大いなる犠牲を、今後の”より、おおいなる可能性へ”ポジティフに
転換させるための、”分かち合う”行為の根幹にして下さい。
 ここから新しい可能性が生まれるはずです。

1)人間も”哺乳動物”でしかない。/
 21世紀になっても、30世紀になっても
人間は変わらず、”哺乳動物”でしかない。
これを人間の根幹として再確認し、
”服”を着る人間の感覚に付いて考えてみる。

 “五感”とその“五感”のバランスに付いて。
そして、新らたな時代性へ向けての
”感覚の解放とそのバランスの組み替え”を
試みる必要性に気付くべきである。
 “臭覚”、”触覚”、“味覚”、“視覚”そして、”聴覚”と言う
”五感”の今後のテイクバランスとは?
 その目的とは、”哺乳動物としての人間”が、備えなければならない
新たな『身体機能の拡張の原理』です。
 ここにはもう一つの感覚としての”共通感覚”と言うものもあります。
そして、ここに『Nation Identity』に気付く事が必要になります。
 今後の迎え得られる”可能性”についての大切な根幹発想です。

 それは現在の白人優位の文明が生み出した
「現実の社会構造と環境それによって生み出された文化文明が、
より進化すると言うことは、
科学技術と現在の時代性に委ねた現実社会の進化とは、
人間本来が持っているべき、“五感のアンバランス化”へ進化するだけ」
と言う見解があります。
 そして、白人優位主義者たちが“視覚”に頼る発想のもう一つの役割には
“欲望のリビドー”から”支配のリビドー”への願望があります。

 参考/
 今現在、巴里のケラブラリィー美術館で開催されている”Maitres de
Desordre展”や“J-P-WITKIN展”、
昨年のN.Y.出の写真展”MASKE",ギリシャでの”NOT A TOY展”や
カルチェ財団での展覧会、”呪術展”
シュバンクマイエル夫妻が提案した、“触覚主義/TACTICISM"、
Under Coverの素晴らしい’05/コレクション“BUT BEAUTIFUL "にも
見られた。

2)創られた”服”は誰が着るのか?/
 創られた”服”は誰が着るのか?誰に着てもらいたいのか?
着るのは“人間”が着る人間の軀が着る。
 人間の軀はどのような構造で出来ている?
ここでも究極、”肉”と”骨”そして、”皮”で着る。
ここから“服”を作る即ち、人間が着るモノとしての”服”を
考えてみる視点です。
 今一番の僕が興奮して感じ、考えている事です。
”骨”-“肉”そして、”皮”、この関係性は?
”骨で着る”="肉で着る”=”皮で着る”モノが被服であると言う
根幹を知る事です。即ち、此の関係性です。
”肉”=wrapping=円筒=3D.=西洋服 
“骨”=covering=1枚の布=平面=和服
”皮”=tube=袋=3D=肌着
と言う関係性。
 そして、“切る”=“折る”=”縛る伸びる”―――着る=織る=伸縮。
これが、西洋=東洋=原始社会(ボンテージ/プリミティフ)
物質世界=精神世界=呪術世界。
 人間が、服を”着る”という世界もここまで来ていますね。

 これらの身体構造に於けるカテゴリーでは
「”皮で着る”=袋/skin.=”伸びる”=身体拡張」が
今、僕の眼差しで、一番鮮度あり、可能性高きカテゴリーでしょう。
これが今の新しさの趣きを生み出す、「The 3rd.SKIN」と言う視点の
愉しい一つの”創造の為の発想”です。

 例えば、最近の映画、『私が、生きる肌』の世界も
ここに面白さと可能性への愉しみな視点が有ります。
 この世界は以前は、“プリミティフ世界”には既に存在していたもの、
例えば、”シャーマニズム”も、”フェッチシズム”や“オカルティズム”も
また、僕は“全身マスク”と言って楽しんでいる日本の幼稚さからの
ユーモアたっぷりな”着ぐるみの世界”もこの世界の表層化の一つでしょう。
 従って、視点を変えてみる事で又、新たな可能性が見えるのです。
 
 これらが素材技術とプリント技術の進化によって、複合化された
新しい世界がこれからのファッションの世界へ
確実に、新しさをもたらす可能性の根幹になる。
 この根拠は、「人間の美しさとは均整あるボディーシルエット」という
西洋美学的発想に於いても頷ける事。
 ”バランス観”がよくなる事が
「文明の進化」であると言う視点へ、
”こゝろと軀と知恵”を向ける事に尽きるでしょう。

 ここで、現実の話が加わる。
それは、人間の”身体のバランス”がより発育よく、進化して
美しくなり始めたこと。(現在の、Z世代の登場が然り、)
すなわち、着る人たちも”均整のとれた体つき”が当たり前になって来た
と言う時代性。

 参考/
http://www.yankodesign.com/2011/09/16/seamless-wear-of-the-future/
少し古いものでは、http://www.kotaro269.com/archives/51098852.html
映画/http://www.theskinilivein-movie.jp/
オリヴィエのディレクションで巴里で最近行なわれた、
着る女性のプロポーションが美しく進化すれば、と言う逆視点で行われた興味深いショー
http://dianepernet.typepad.com/diane/2012/04/models-at-work-directed-by-olivier-saillard-part-4.html

3)もう一度確認してみよう、”創造性”に必要なこととは?/
 なぜ、”創造性”が必要なのか?
創造とはどのような”こゝろの有り様”による行為なのか?
創造によって他の人間へ“感動”を与えられる。
そして、その創られたモノと作り出した人の”立ち居場所”が世界を創る。
従って、創造にはその人間が持ち得た”自由”と”自由性”が
人を感動させる迄の世界を創る事が可能である。
 「持ち得た自由の裁量で、より、自由なる日常現実を創造する。」

 みなさんの世代に於ける”自由”とはどのようなこと?
それと”創造”とを結びつける発想と創意工夫とその為の技術ある努力が
”クリエーター”と呼ばれる立ち居場所を持ちたい人たちの
創造の為の根幹であり、
「産みの苦しみ」を愉しむまでの”自由”なのでしょう?         

文責/平川武治。
初稿/2012年5月31日。

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