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E-a)極私的書棚ARCHIVE-1/ 「中川幸夫先生と岡倉天心の五浦六角堂を訪ねる。その時お話くださった「大河」を持つ事とは?そのための「根幹」とは?」

文責/平川武治:
初稿/2016年07月02日: 
 1)「大河」を持つとは? 1997年を想い出して。/
 先日あることで、若い知人からメールをもらって返送したのが、
「君の惨めさは、自らのうちに大河を持っていないことだ。」
と言う、僕の好きな詩人、吉増耕造さんの詩の一文だった。

 この「大河」を持つ。
と言う意識がそれぞれの生き方でもあると思うのですが、
 「大河」とは⁉️
「根幹を学び知り、神話」を取り返す大切な”ルーチーン”だと
僕は認識しています。

 究極の「根幹」をどのように学び、自らの知性の基礎根幹とするか⁉️
先ずは、“日本人”としての根幹を学ぶ。ー日本国の“國”と”民“の根幹。
次なるは、“人間”とはの根幹である。ーそして、“自分”の生まれと育ちの根幹。
それから、“世界“の根幹を学ぶ。ー”宗教“をはじめ, 政治+経済+社会などの根幹。
そして最後に、
”自分“の願望と好奇心の根幹。ー”モノ”、や“コト”などにもそれぞれの根幹があります。
 これらのそれぞれの「根幹」をどれだけ自らの教養の基盤として学び、持ち得るか⁉️
この多流多重構造が「大河」である。
 最初はみんな、“せせらぎ”であっても脈々と流れ続けるうちに、
小川になり、河川になり、そして、大河となる。

 「根幹」に無知無教養な輩たちは、
「聞いたことある、見たことある、行ったことある。」レベルの情報量が与える
表層世界を徘徊することが多忙な日常なのであろう。
 戦後の日本の義務教育の欠陥の一つが、
「物事の根幹」を教えないことだったと再認識してしまう。

 樹木に根があるように、
根が這って、延びることで生き生きと生い茂ることを学ぼう。
そして、物事にも、知識も経験もそして、人生にも同様、
「根」が必然であることを学ぼう。
 
 この樹木の根には、二種類の根の張り方があるという。
一つは、横に横に大きく広げて石をも取りこんで力強く張ってゆくタイプ。
もう一つは、ただ、深く深く地中に埋もれ張ってゆくタイプがあるという。

 これを教えて下さったのが、故中川幸夫先生でした。
1997年当時、森山明子女史が懇意になさっていた建築家、内藤廣氏の作品、
「五浦美術館」を内見しに行った際に立ち寄った、晩年の岡倉天心が自ら設計したという
五浦の海岸が望める高台に建立した「六角堂」とその周辺を散策した際のことだった。
 この「六角堂」が建つ所は岩石がゴツゴツとしたところ、
そこに立っていた大木の見事な根の張り方を中川先生は指差しながら、
いつものアクセントで、「ひらか わくん、、、、、、、」と仰って、
ご教授くださったのがこの「根の話」でした。

 小ぢんまりとした、なんの虚飾もない赤く塗られた六角堂は
その建立物はもちろんだが、天心が良くも、このような地場と風景を
わざわざ、晩年の自らのこころの有様を治め、省みる室の地として選んだことも
当時の僕は、とても興奮し好奇心を持つまでのかなり激しい熱量を思い感じた。

 比べるのは無礼であるが、この天心の「六角堂」を見てしまうと、
その前に見てきた内藤さんの建造物はただの進化された「近代建築物」。
その建築内部は空間を広く設けたいがための「機能性」を優先させた
産物であるコンクリート型材で仕上げたハリが「合理的」空間を
構造化しているだけのものだったことを思い出す、
所謂、近代建築の優等生作品のレベルでしかなかった。
 アプローチに使っている石垣の石積みも「根幹」が感じられないただの造作物。
ここには、自らが建てたいと望む、そのための建物への心の有様が、
全く、異質さとその差異のみが感じられ、とても残念な気分になったことを思い出した。
 蛇足であるが、その後の内藤廣氏の作品は自然と環境という眼差しが加わり、
彼の新たな立ち居場所とともに、全く成長した作品群を手掛けていらっしゃるようだ。

 この想い出は、もう19年という時が経っている。
亡くなられた中川先生との数少ない遠出の想い出である。
「先生、ありがとうございました。」

文責/平川武治。
初稿/2016年07月02日。  


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