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東さんが、飛んだ。

東さんが飛んだ。

「もしもし、今井さんですか?」

知らない番号から、電話があった。
「はい、そうですが?」

「東と申しますが」

「あ、東さん?」

「そう。俺、店やめた。」

「え、やめたっていつ?」

「今」

「親方に言ってあるの?」

「言ってない」

「飛んだの?」

「飛んだ。」

何も言わずに、その日職場にいかないことを「飛ぶ」という。

「あ、おめでとう。よかったじゃん」

「俺、2〜3週間、西に逃げるから」

「あ、そう。」

「なんかあったら、この番号に電話して。」

東さん(仮名)は、僕の親友だ。
伸び盛りの時期には「りょうすけは、間違いないから。」と応援してくれて。辛い時期にも「まぁ、それは仕方ないよ。それが職人の世界だ。よく頑張ったじゃん。でも、俺は応援してる」

「人に喜んでほしい。という気持ちがあれば、絶対大丈夫なんだよ」
といつだって支えてくれた。

僕が彼女と別れた時も
「今のお前みたいな、超お買い得物件、他にないから」と励ましてくれた。

東さんは、関東のはずれ出身の超絶な元アホで(人に害を加えたり犯罪はしてない。)、僕と出会った頃は、一人暮らしで仕事もあって、ふつうの暮らしをしていた。

ふたりとも深夜営業のお店で働いていた。朝方、仕事終わりに、よく、東さんの家に通った。

仕事終わりのタバコの油の匂いにまみれながら、東さんがやってるプレステを見ながら、紙パックの麦焼酎のお湯割を、よーく二人で飲んだ。僕は、仕事終わりに、お互いのまかないを持って帰って、それをつまみにして。

カツオとサバの鮨、白身魚の酒蒸しが好きで、漬物が嫌い。漬物がきらいなのに、梅しそ巻きは食べれる。

梅しそ巻きを頼むたびに「俺ってめんどくさいやつだよな。梅干しは食べれないのにな、りょうすけー」と笑っていた。子どもの頃から喘息持ちで(喘息持ちなのにタバコを吸いながら、吸入もしてたw)、病院で暮らすような時期もあって、とにかく寂しがりやだった。

「俺、うさぎちゃんだから。寂しいと死んじゃうから」

「超面倒くせーうさぎだなw」先輩だけれど、たまにタメ口で突っ込んだりもしていた。

僕の友だちの中でも、特にぶっ飛んでる人で。
行きずりの女の子を部屋に連れ込み、付き合ってんのか付き合ってないのかわからないけれど、何度か関係があったらしく、最後はその子に窓ガラスを割られて、スースーの部屋ですごしていたり(東さんちは、一階だったから、外から割られた)。

「あー、骨折してみてー!!!」と、原チャリでわざと転んでみたり。めっちゃくちゃ痛かっただけで、骨折できなかった。

若い頃に借りた闇金の借金の膨れ上がった利子を踏み倒しまくっていて(結局、違法なレートでご破算となった)、ポストには手紙が来まくっていた。

一番、驚いたのは、僕よりずっと先輩なのに、給料前は、毎月毎月、小銭しか持っていなかった。給料が出ると、上野のマルイで何万円も服を買ってしまう。

寿司屋、つまり僕の店で豪遊をして。お金がなくなると、家でひたすらプレステをして過ごす。給料日5日前に380円しか持っていない(貯金も含めて!!)人に、僕は初めて出会ったし、そんな人にはもう出会えないと思う。

その頃、保守的な僕は給料20万くらいだったけれど。毎年100万は貯金して。500万は貯まっていた。全く感覚の違うふたりだった。

そんな東さんだったけれど、大逆転、マンション所有の社長令嬢と結婚した。「俺、モッてるから」と言って、お金持ちを狙いに言ったのか、
単純に恋愛だったのかは定かではないけれど。安心できる寝床を見つける才能があるのは確かだ。

「こんな人もいるんだな」と、毎回感心させてくれる僕は東さんがとても好きだ。東さんは、サービスマンをしていて。僕が行くと、箸置きは右に置き、必ず、本当に必ず、左で箸が持てるように、テーブルセットをしてくれていた。

「あなたは、どこに言っても、お金がなくても、楽しく生きていけれるし、人にはとても恵まれると言われたんだよねー。」
占い師、企業の人事をしている人、他にも本当にいろんな人から、そう言われていて。

「俺は、人に恵まれるから、どうにかなるんだわ。仕事だってなんだっていいんだ」と言っていて、本当に東さんなら大丈夫だと思える説得力があった。

出会った頃から「俺さぁ、うつ病になってみたいんだよね」と言っていた。東さんは人体実験気質があって、中島らもさんのアマリタパンセリナのように、一通りの痛みや快楽は、試したい人だった(同性とのセックスは試していないと思う)。

多分、仮に癌になっても、落ち込みはするだろうけれど、自分の体を観察しながら、素直に受け入れられる人だ。動物的感覚で、東さんには「今」しかない。夢も目標もなく、ただ、毎日の中で、もちろん仕事は目標設定をして、真面目に働くけれど、それは東さんにとって、プレステのゲームをクリアするのとなにも変わらない。「これをクリアしたら、来週マルイで、あのジャケット買うぞー!!」という風な日々だ。

数年前、そんな東さんが、本当にうつ病になってしまった。
結果、超大変だと言っていた。

「東さん、念願のうつ病になれてよかったじゃんw」

「いや、マジきついわー。薬も副作用がすごいし。」
うつ病の薬はそんなに気持ちのいいものでもなかったらしい。

本人はそう言わないけれど、うつ病の原因は完全に過労だ。

東さんは午後1時から、朝5時まで。食事休憩もなく働いていた。
その店は僕も好きだったけれど。働きすぎだとずっと思っていた。飛ぶ前の数ヶ月は朝8時くらいまで、仕込みや片付けが終わらず、ひとりで居残り、
家から20分くらいの場所なのに、帰るのがしんどくて、近くのラブホに泊まる日もあったそうだ。僕もそのくらい働いてはいるけれど、ごはんは食べるし昼寝もする。

厳しい部活のように親方に怒鳴られ、奥さんには「それ、昭和の高校球児のやることだから。気合いと根性だけで働いて、そんな働き方プロ野球じゃないよ」と言われて。「そうだよなぁ」と言いながら、それでも、空いた時間はジムに通って筋トレをしたり。

なんだかんだで、もう10年くらいは、続いていたんだと思う。

うつ病になったのは、ちょうど、僕が気仙沼に行った時くらいで、
「あぁ、海を見ながら、東さんも気仙沼でゆっくりできたらいいのに!!」と心の中でつぶやいた。うつ病になっても、そこから数年、仕事は休まず通っていた。

「薬のんでんの?」

「薬はやめた。合わないから。気合いでどうにかするわ。」

とそれからも、仕事は続けていた。

そんな東さんから、

「店、やめた」という連絡が来て。心からおめでとう。という気分だった。
自分の生きる道を自分で決めたことには、どんなことであれ、おめでとうだと、僕は思う。

常識的には飛ぶのはよくないけれど。僕たち飲食店は常識の向こう側にある。

勝手に店のお酒を飲み、酔っ払ってお店の女の子に手を出す人。売り上げをちょろまかす、知り合いにはタダで飲食させる人。
(この前、うちの店長も、仕込み中に仲間が来て、勝手にお酒を出し、そのお金をポケットマネーにしていたので、僕は激おこプンプン丸で、こんな人とはもう働けないから、俺か店長をやめさせてくれと、体を張って会社に訴えたんだけど、どうなることやら笑。)
人に指図されるのが我慢ができなくて、半日でお店を辞める人。そして、辞めさせるオーナーシェフもいる。

暴力だって当たり前だし、ギャンブル狂、アル中、ポン中、、、。クズのようなそういう人たちの受け皿になっている面もある。年号が変わることだし「平成の飲食店はそうだった」ということで、変わっていけばいい。

そして、その中には、料理のセンス、スピード、接客、どれをとってもピカイチな人がいたりして。そういう人は仕事の結果を出すから、ある程度のクズっぷりは許されてしまう傾向がある。
若い時はその「クズっぷり」を含めて憧れてしまうから、そうなると「仕事ができるクズ」が増えて悪循環になっていく。というか「クズっぷり」も含めて仕事だと思ってしまう節があるのだ。(中には、仕事もできない本当のクズもいる。僕も人のことは言えないくらいのクズな側面があるので、明日はわが身だぞと気を引き締めながらの毎日だけれど)

東さんも、飛ぶ他に方法はなかったと思う。


「辞めます」と伝えてからの一ヶ月の空気の悪さを考えたらぞっとするし、
なんだかんだで人が足りないとかで、辞めさせてくれないことも多いから。

そして、奥さんが用意してくれた数十万円を握りしめ、東さんは西に向かった。

「帰ってきたら、ご飯行こうぜー」と言って、
予定より早く帰って来たのに、お金をほぼ使い切って帰って来て、奥さんに呆れられ、「らしいよね」と笑われてていた。

「お金を使い切る」という才能は、衰えていなかった。

いつか、こういう時があると思って、奥さんが、使っていなかったガラケーをストックしておいたこと。お金も用意しておいたこと。

出勤前に、泣きながら「もう無理だ。やめていいかな」と聞かれて。
「もういい。これとこれを持って行って来い」とお金と携帯を渡して、
電源を切ったスマホを回収して、送り出してくれたこと。

やっぱり、東さんは、人に恵まれるなぁと思った。
帰って来てからも奥さんに「もっと早く辞めればよかったのに。」と言われ。

「そうだよなぁ。でも、できなかったんだよなぁ」とつぶやく東さんに、

僕は「そうなんすよね。結局、親方は間違ってないとか、自分で好きで働きだしたお店を否定することは、自分を否定するようなもんだから。」

僕も札幌を去る時に、同じようなどよよんという気持ちがずっと続いていたから、この錯綜した気持ちはよく分かる。その人のつくるものが好きな分、なおさら、心の置き場所がわからなくなるし、お店を辞めたからと言って、その場所での嫌な思い出が全て忘れられるわけではないし「今辞めたら人間おしまいだな」とか、そういう人格否定も存分にしてくるので「あんな職人になりたいけど、辞めたら無理だよな」という憧れの気持ちだって結構残ってしまうのだ。

「そうなんだよ。どこかで、俺は間違ってないって思いんだよなぁ。」

そんな話をしながら、築地で買って来た(築地が移転していない時の話だ。いつか、築地という言葉もなつかしいなぁと思う時がくるのだろうか)、サバとイワシの握り、のどぐろの酒蒸しをつくって。


東さんちで、奥さんと、三匹の猫に囲まれながら一緒に食べた。「しあわせ」だなと思って、ちょっと泣きそうだった。

「この先、どうするんすか?」

「警備員でもやろうかな。警備員やってみたいんだよね。ただ銀座で誘ってくれてる人がいるから、そこにいくかもしれない。りょうすけは?」

「いや、まだわかんないけど、どうにかなるっしょ」

おととい、久しぶりに連絡を取ったら、電話にでなくて。
「今、警備員やってて、厳しくて電話でれないんだよ。」とメールが帰って来た。

鯖を仕入れるたびに「あぁ東さんに食べさせたいなぁ」とか、「あぁ、これじゃあ喜ばないな」とかたまに思ったりする。そして、いつか食べに来る時まで、自分自身を仕上げていかないとなと、思う。

たとえ、もしもう、一生会わない人生だとしても、それはそれでいいから。準備だけはしておくのだ。

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