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君は××をやめた

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最近、小説を書くのを止めた。それはありがちな、薄汚れた承認欲求の満たし方とかではなくて、本当に止めた。活動を停止し、筆をポキリと折って捨てた。

活動していたカクヨムのアカウントも消したし、二次創作の方のアカウントも1度消していて、頼まれたものだけ再掲載して放置している。書くのを止める本当にもう書く気が無くなっているから、急に作品を上げ始めたりなどはしない。たまにこうして、今やっているように、エッセイもどきポエムもどきの腐りきった文章を掲載することはあれど、小説という体裁のものは、もうどちらの名前でも出すことはないだろう。

思えば、小説を書き始めたのは4年前、二次創作を書き始めたのがきっかけだった。文庫ページで100ページ分くらいのものを書いて、それが少しウケたので調子に乗って書き始めた記憶がある。僕は小説を読むことが唾棄するほどに嫌いだったので、何とかいやいや勉強がてらに読みつつ、たまに面白いなんで思ったりして、少しづつやり方を学んだりもした。

す度に感想が貰えるのは嬉しかったし、自分の出した展開で盛り上がっているのを見て、当然何かこう、達成感みたいなものがあったのは事実で、それが楽しく仕方なかった(なお、二次創作としてのラインを超えすぎてめちゃくちゃ怒られることとなった)。

そして、そこで図に乗った僕は、年間100本ほど掌編を書いて、周りの人達のリクエストに応えたり、自分の好きなカプを書いたりした。何だかんだある一定の人気が出て、それがまるで自分の評価も上がったみたいで嬉しかった。

さらに図に乗った僕は、一次創作も書き始める。これも短いものばかりだったけれど、感想もそれなりに貰えたし、個人企画、小さい企画ではあったけれども賞を取ったりできた。

その時は自分の本業が上手くいかなくなって、行き詰まっていた頃だったから、それが楽しくて仕方なかった記憶がある。自分が、ゼロから作ったものが良く評価されるのは誰だって嬉しい。自分の創作が端から褒められたりする経験は小説が初めてで、いつも大抵未熟だと言われてきた僕からしたら本当に新鮮な経験だった。

けれど、僕は小説をやめた。理由は単純だ。「初めの壁」を越える気にはなれなかったからだ。僕は物語をこれまで作ったことがない。僕がやっているのは、シナリオを作る事でも、キャラを作ることでもない。なんとなく頭に浮かんだ情景と、その時書きたい主題を絡ませて、インスタントに消費できる文字数で、エモーショナルをパッケージングしているだけなのだ。

この方法は、掌編でしか基本使えない。長編となると、ある程度の計画性と物語を構成する知識が必要だ。アドリブ力も当然。となると、自分にはその素養がない。自分が書いてきたものは、所詮在り来りなエモーショナルのバラ売りでしかなく、そこに物語性はうっすらとしか存在しない。それは一言で言うなら、風景写真や情景画のようなもので、頭の中にある景色を、絵がかけないから字でやってみようとした愚か者らしい表現だといえる。どちらかと言えば、詩に近いのかもしれない

つまりどういうことかと言うと、この手法が身についていると、ひとつに繋がった物語が作れなくなるし、それを矯正するには勉強をし直して理解を深める必要がある。

僕はそこで折れた。本業と違うことを真剣にやる必要もないだろうと判断したし、何より面倒くさかった。

そして僕は、小説を中途半端に止めた。初めの壁で諦めた。結局僕は薄汚い偽物なのだ。

勉強する気なんてサラサラなくて、より良いものを作ろうという気持ちだけが先行していて、だから技術がついていかない。

当然だ。当たり前だ。なので、やめてしまおう。2年間程よい思いもできたし、色々調度良いと思う。

僕はもう多分、小説はかけない。面倒臭いからだ。手が動かないからだ。計画を立てたくないからだ。だから、字書きとして死んで当然なのだ。

思えば、自分はそんなことばかりだ。最初の壁。中級者と初級者を分断する部分であきらめて、何もかも中途半端に終わってしまい、できなかったという結果だけを抱いて沈んでいる。

知識だけは少しあるから他人に口を出したくなってしまうし、無意識のうちに自分は何かできるんだという万能感を覚えているのかもしれない。

そういう自分の愚かさを自覚してはいても、治すことはせず、僕はこんな文章をまとめている。その時点で、もうおしまいじゃないかと、自らを卑下している。

こんなのだから、最近は仲の良かったクリエイターの人たちとは、断絶する形で距離をとらせてもらった。どうしても敗北者の僕は、彼らの足を引っ張ってしまうし、なにより、僕が耐えらなかった。

「彼ら」にはなれない事実を延々と見せ続けられるのは、無理だ。楽しかったはずの時間も気がつけば、胸の中でじくじくとする感情を隠しながら「いつもどおり」を振舞う演技の時間になってしまってストレスでしかない。

当然、断絶することによっておこるストレスはあるけれども、人間単純なもので時間がたつとその気持ちが徐々に薄れていく。メンタルも落ち着いてきて、ああ、これでよかったのだなと確信する。

多分、ずうっと付き合っていれば、創作をかじっただけの敗北者として、彼らに酷い悪影響を与えるゴミになっていた自身があるし、それは避けられないだろう。だから、僕は彼らを断絶した。友人関係を、やめた。

でもそうやって、逃げた先にはなにがあるんだろうなとも思う。それはあまり考えたくなくて、目を背けているけれども。そこには死んだ目をした、いつか布団の染みになって朽ちる男の姿があって、それにはなりたくないと思いつつも、その道を爆走している。何もかも中途半端でやめた僕の行き先には、何もできなかった人生という結果が待っているのだ。

怠惰と憂鬱の行き先は、幸せよりはっきりしていて、簡単に歩めてしまう。結局のところ、自分で方向を切り替えないとならないのはわかっていても動けない。助けてくれと言っていいのは子供の頃だけで、大人になったらできて当たり前になっているからどこにも手を伸ばせない。

僕は小説を、建築を、CGを、絵を、楽器を、いろいろなことを、書ききれない沢山の事を中途半端にやめた。次は、僕は何から逃げ出すのだろう。最後の手段だけは、取らないようにとは思うのだけれど。


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