見出し画像

フルギフェスへ。断捨離思考とは相容れぬ自分の価値基準

先月、カナダグースの「チリワック」を友達から買いました。日本仕様の、小さくて暖かさはほどほど、というものでなく、本国仕様の、でかくて暑いやつです。

袖を通したら、本当に暑いですね。バイクとかに乗るなら別ですが、東京では、街着としては完全にオーバースペックです。

重ね着重ね着が冬の自分の基本とはいえ、一着で大丈夫、というものが欲しくなりました。その点でこれは間違いない。一着で大丈夫≒脱げばすぐ薄着になれる、という自分の好みとも一致しています。

輸入元も、現在の正規代理店であるサザビーリーグでなく、グリフィンインターナショナル時代のもので、超意味のない心理的マウントも可能。
素晴らしい取引ができました。

           *

今日(17日日曜日)、ビッグサイトの「フルギフェス」に行ってきました。何も買いませんでしたが、よい気分転換になりました。
ラインナップとしては、25年前の感覚でいうところの古着屋に、ちょっとしたフェス向けの味付けを施した(有名ブランドのビンテージを目立つように置いた)、という感じでした。

いま流行りの、有名ブランドのリユース品(そういうお店は皆無だったかもしれない。)ではなく、「これは古着である。ビンテージである。」という矜持が伝わるお店が大半だったと思います。

25年前から高級古着屋で扱われていたアディダスの(今風に言うところの)トラックジャケットが、間もなく2024年になろうかという今、まだ売られていました。かつて自分が持っていたものと全く同じものが、25000円で。

本来はただのジャージだったものが、製造から50年以上経ってなお店頭に並んでいる、しかも当時よりも価値を増して、というのは、なかなかに感慨深いものがあります。

           *

10年ほど前から、「ノームコア」と呼ばれるスタイルが普及しました。意味は、究極の普通、だとか。
よく言われていることなので今更ですけど、年々、洋服を楽しむ、という人は確かに減っているのでしょう。

「服にそんなに金をかけるのは勿体ない。」
「毎日、何を着るのかを考えるのが面倒くさい。時間の無駄。」
「そんなにたくさん服にお金かけるなんて、逆にダサい。」

それは当人の嗜好ですので、否定するつもりは一切ありません。
というか本来的に、多数は、本当は服なんて頑張りたくないんでしょう。人がたくさん集まるところにいけば、大体似たような服着てますし。
好きでもない服を、流行だとか、まわりに合わせてだとか、なんてことをお金出してまで考えるようになったら、そりゃ辛いでしょう。

それはそれとして、そして他方で、そうした人たちが抜け、服好きたちで凝縮化されたはずの一部の市場、具体的に言ってしまうと大手セレクトショップですが、そうした場所においてなお、売上げに貢献する「店頭の優等生」が、どのブランドあたりのどの商品あたりなのか、簡単にわかってしまうのは、つまらないなぁ、と感じます。

この年になり、年相応であるかだとか、家から銀座まで1.5kmとかで行けちゃうから、ちゃんとした格好はしないとね、みたいな制約も増えてなお、洋服選びは楽しいし、仮におれが3人いて、そいつら全員が毎日私服で生活する、みたいな状況になろうと、まだ余るくらいの服が既にあってなお、「あら、いいですネ」と思うような服はいっぱい売っています。

「今日はどれを着ようか。」

考えますねぇ。
楽しいですねぇ。

断捨離とは真逆の、迷う楽しみがあるのです。もちろん、好みという点で、一軍二軍三軍四軍に加え育成枠までありますが、自分自身、そのときそのときの価値基準で選り抜いた、強者たちです。

選択肢がないから迷わない、よりは、選択肢がたくさんあって、迷って迷って仕方がない、というのが、自分の考える豊かさです。

これもまた、断捨離思考は個人の嗜好ですし、disるつもりも、そして、そんなことをする意味もないので、誤解なきよう。。

この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?