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#32 沖縄 戦争 思うこと

No.32

ここ数日、沖縄での修学旅行の話になってしまっていますが、、

これだけは聞いてもらいたい話なのでぜひ読んでください。

1日目の午後に行った平和学習

事前学習をして行ったのですが、やはり自分の目で見て聞くことが1番なんだなと思いました。

この前もしましたが、ガマの話から

ひめゆりの塔の前にはガマがあります。

中は長靴のような形をしていて降りる時はロープなどを使って降りていたそうです。

展示を見ると言葉にならない感情がたくさん湧いてきました。

ただ普通に私たちみたいに親友と楽しい時間を過ごしていただけなのに

戦争が始まって収集され負傷した人の看病を学生ながらも行わなければならなかった。

きっと死体もたくさん見た

腐った匂いだって嫌なほど嗅いだ

治療をするのが痛いからって学生さんに当たる人もいただろう

その学生さんには家族がいて、親元を離れるのは寂しかったと思う

でも弱音なんて吐けない

この気持ち、私にはわからない

どんなことがあったという事実を私たちは知ることができる。

平和学習のあと、感想を書く課題があった

読み返してみると分からないで溢れていた

私は資料館に行くまで当時の人たちの気持ちがわかって悲しい気持ちになり戦争なんて繰り返しちゃいけないって思うんだと勝手に想像していた。

馬鹿だった

そんな簡単なことじゃない

戦争はダメだ

それは言える

でも当時の人たちの気持ちは簡単にはわからない、いやわからない

こんな話を思い出した

人に何かを相談したときに相手に簡単に大変だったね、大丈夫だよと言われると腹が立つという人の話

同じではないがどこかに共通点を感じた

その場にいて経験していないと、湧き上がってこない感情っていうものがある。

人の死体の山

アメリカ軍がこちらに迫ってくる恐怖

自分がいるガマに火炎放射器を向けられ焼き尽くされる苦しみ

目の前でさっきまで一緒に喋っていた友が爆弾によって粉々になること

アメリカ軍が目の前まで来て敵国には殺されまいと自殺をしようと手榴弾を爆発させる時のこと

命は助かったけど腕がなくなってしまったこと

ご飯を炊くのにも命懸けで出来上がった少ないご飯をみんなで分け合った時のこと

外に出て行った友達が二度と帰ってこなかった時のこと

いつも優しかったあの子が精神的に病んでしまい別人のようになってしまったあの日のこと

赤ちゃんが泣くと周りに人がいることがバレてしまうから自分の子をこの手で殺さなければならなかったあの時のこと

こんなもんじゃないあの苦しみはまだまだある

これは氷山の一角に過ぎない

何回も言うがこの気持ちはあの時代を生きた人にしかわからない

担任の先生が言っていたことを思い出した。

あまりわかった気にならない方がいいんじゃないですか?

事前学習の感想を読んでクラスに向かって放った言葉

最初は意味がわからなかった

戦争って辛いんでしょ?大変なんでしょ?

わかってるよと心の中でつぶやいていたと思う。

だが今は違う。

先生の言葉の意味がわかる

そして私にはある展示が記憶に強く残っている

ひめゆり学徒隊の全員の顔写真と名前と性格などについて書かれたパネルだ

何人死亡

これだけでも物事の凄惨さは伝わるだろう

でも一人一人の顔を見て名前を見て性格やエピソードを見て

確かにあの時代に生きていたと言うことが強く実感できる

一人一人に人生があってそれが失われたことの重大さを痛いほど感じることができる

あなたたちができなかったことを私は代わりに全力でやりますと写真に向かってつぶやいていた

勉強が好き

お調子者

気配りができる

優等生

病弱

今の私たちのような性格をそれぞれ持っていて確かに生きていた

けど多くの人が亡くなってしまった

夢半ばで人生を諦めざるを得なかった

生き残った人たちはこう言う

なぜ私だけ生き残ったのか、あの時友達と死んでしまえばよかったと

死んでしまえばよかった

なかなか言えることではない

私たちがわかり得ない恐ろしいことが沖縄では起きていたんだ。

結局、私は何を伝えたかったのかよくわからない、、、

そしてなぜ、私はこれを書きながら泣いているのだろう


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