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春愁、碧霄

『売れ残りのこころでいい。僕にとっては美しい。』

最近、学んだことがある。それは相談をすべき人・タイミングを間違えてはいけないということだ。

例えば、僕は双極性障害のきらいがある。落ち込む時は命を終わらせるしかないというところまで落ち込むし朝からずっと体が重くて何もできなくなる。
逆に気分がいい時や良過ぎる時は落ち込んだ分を取り返すように異常なまでに働いたり、旅行の便を取ったり、確かに心と体は限りなく消耗しているのに、胃の辺りが絶えず熱くなり空焚きのまま動き続けられる。そしてその反動でまた深く沈むのを繰り返す。

そんな僕が落ち込んでるのを察知して、周りの人がありがたく声をかけてくれる時がある。僕は迷惑をかけたくないし、話しても無駄だと思っているのであまり打ち明けることをしないのだが、たまに話してしまう時がある。
そんな時に返ってくる意見の8割はこれだ。

【みんな気分の上がり下がりはあるよ】【社会はそんなもんだよ】

この言葉を聞くとプツンとそれ以降の話が入って来なくなる。
「また間違った」「僕はどんな言葉を求めてたんだろう」という感情に支配される。これは親だろうが友達だろうが関係ないのだろう。

その「悪意なき懇意なありがたきお言葉」が知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかもしれないとは思わないのだろう。タイミングによっては薬にもなるし、毒にもなる。

時に原因の解決にならなくても、客観的に鑑みてみんな乗り越えてきた小さな障害だったとしても、衰弱してる人には毛布をかけてあげる他ないのだ。

社会はあまりにも残酷で、僕たちには変えることが難しい。
そんな時に周囲の人間や自分すらも敵になってもいいのだろうか。

自分の本音は殺す必要はない。殺されてたまるか。自分の中で大切に育てていい。

多くの人が面倒ごとの排除としてではなく、心の底から「ただ生きてるだけでいい」と言えるようになったら目に見えない孤独は可視化されていくのかもしれない。

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