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【創作小説】会津ワイン黎明綺譚 外伝(第6話)

外伝1 桃栗三年柿八年


 玄関のドアを開ける前から譲二は感じていた。
(今夜はカレーか)
玄関に入り香りを感じたことで予感が確信に変わり台所にいるだろう母に声をかけた。
「ただいまー」
少し間を入れて声が返ってきた。
「お帰りー、遅かったのね。ご飯?お風呂?」
譲二は風呂に向かいながら答えた。
「風呂に入る。あと大藤さんもこっちで晩飯を食ってもいいか。大丈夫なら連絡する」
「今日あたり来るんじゃないかって気がしてたのよ。カレー、多めに作っていて良かったわ」
母の返事に安堵しつつ風呂場に向かい服と肌着を脱いだ。
 いつもより汗臭い気がしたがスッキリと心地良い気もした。脂汗というか冷や汗というか、いつもと違う汗を多くかいたことは間違いなかった。譲二の胸の中では恥ずかしい気持ちと誇らしい気持ちが混在していた。悩ましい気持ちを打ち消すように、乱暴に服を脱いで雑に洗濯籠に放り込んだ。
 風呂場に入る前に桃子にショートメールをしてあらためて晩ごはんに誘う。すぐに返事が返ってきた。
 携帯の画面を見ながら葡萄畑で過ごした2人の時間、桃子を抱きしめた時の柔らかな感触を思い出し、シャワーを浴びるのがもったいない気もしていた。

 湯船で足を伸ばしながら、葡萄畑で過ごした時間を思い出した。
(なんてこった、心も体も桃子に占められているみたいだ)
風呂のお湯で顔をバシャバシャと洗った。

 風呂から上がり部屋着に着替えてからリビングに入る。3人分のおかずがテーブルに並び、カレーと人を待つだけとなっていた。
「ビール、飲むでしょ」
言いながら母がビールとグラスを持ってくる。
「あぁ、だけど飲む前に話をしておきたい。大藤さんと付き合うことになった。結婚前提と考えている」
「そう」
母はビールとグラスをテーブルに置いて、何も無かったかのように台所に戻ろうとした。予想外の展開に譲二は慌てて母を呼び止めた。
「そうって、それだけかい。何のリアクションもないのかい」
母は振りかえるとテーブルにバンっと両手を突いた。
「じゃぁ言うけど、遅いっ!too late、too lateよ。全く人の気も知らないで桃ちゃんのことも思いやらないで、告白するまでいつまでかかってんの。もう待ちくたびれたわよ!って、言えば良かった」
烈火のごとく捲くしたてると小首を傾げた。
「いや、遅いって言われても、なんていうかその、タイミングというか」
「愚図愚図言い訳しないっ。けど、ちゃんと告白したんなら良かった。
 ♪桃ちゃん3年、柿8年、うちの息子は30年(^^♪。時間はかかったけど、まぁ良いわ」
母はニッコリとほほ笑んだ。
「驚かないのか、俺たちが付き合うことに」
「何年あんたの母親やってると思うの。あんたが桃ちゃんに惚れてることなんて、とっくに丸っとお見通しよ。ちゃんと桃ちゃんのこと幸せにしなさいよ。それと……あんたも幸せに成りなさい」
母の真剣なまなざしを正面から受け止める。
「もちろん。2人で幸せになる」
「そう。一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ。だからね」
譲二は黙って頷いた。

「こんばんはー」
 玄関が開く音に続き桃子の声が響いた。立ち上がろうとした譲二を母が手で制して、1人で玄関に向かった。
「桃ちゃん、待ってたわよ。待ちくたびれたわよ。…まぁ待たせた譲二が悪いんだけどね、待たせてゴメンね」
桃子に話かける声が静かに響いた。
「譲二さんを育ててくれた、お母さんに感謝です。あらためてよろしくお願いします」
「…時間はかかったけどいい男に育てたつもり。そんで私はここまで、桃ちゃんがよい夫、よい父親に育ててね」
聞き耳を立てていた譲二は
(我が母ながら気が早いな、訳のわからないことを言ってやがる)
と思いながら沸々とした思いが溢れてきた。
(桃子と2人だけじゃない、父さん母さん、良樹や村のみんなと幸せになるためにもっともっと良い葡萄を作ろう。桃子とこの地、会津ならできるはず。まだまだこれからだ)
 冷たいビールを一気に飲み干した。

外伝2 始まりの秋

(秋が好きなのは、お婆ちゃんとの思い出がたくさんあるから)
 桃子が子どもの頃から秋のお彼岸には必ず山梨のお婆ちゃんの家に帰省していた。お婆ちゃんはいつもニコニコと満面の笑顔で桃子を迎え、一緒にたくさんの楽しい時間を過ごした。桃子は縁側から庭の葡萄の木を見ながらお婆ちゃんの話を聞くことが楽しみだった。

 小さい頃に初めて見た「木に成る葡萄」は瑞々しく輝いていて、ありきたりな表現だが大きな宝石の塊みたいに見えた。桃子が葡萄を見上げていると
「桃ちゃん、食べてごらん」
お婆ちゃんは葡萄をもいで食べさせてくれた。

 桃子は大学を卒業する年齢になった。今年も秋のお彼岸にお婆ちゃんの家を訪れることができた。今も葡萄の木はお婆ちゃん家の庭にある。自分で葡萄をもげるようになったけど、今年の葡萄はちょっと固くて酸っぱかった。

(お婆ちゃんのお父さん、私の曾祖父ちゃんは、明治3年にワイン作りの勉強をするためにカリフォルニアに移住して、そこでお婆ちゃんが生まれたのよね。
 お婆ちゃん家族は帰国するまでの6年間、カリフォルニアにあった日本人コロニー、若松コロニーの人たちと一緒に生活して、お婆ちゃんはとても可愛がってもらったって教えてもらった。お菓子や果物が手に入ると真っ先にお婆ちゃん食べさせてくれたり、読み書き算盤を教えてくれたりした。貧しい暮らしをしていたのに、お婆ちゃんたちが帰国する時には、たくさんのお土産を持たせてくれた。
『賊軍とされたワシらは日本に戻れないが、大藤さんが故郷でワイン造りで成功すること、家族の健康、日本の発展を願っている』
 曾祖父ちゃんにエールを贈ってくれた。いろんなことをお婆ちゃんに教えてもらった)

 お婆ちゃんが子ども時代を過ごしたというカリフォルニアに、今は若松コロニーはない。けれど庭の葡萄の木は今年も輝く実りをもたらせてくれている。
 空は青く澄み渡り、天は桃子と葡萄の木に、微笑むような柔らかな光を降り注いでいた。

 桃子は縁側から部屋に入り、仏壇に手を合わせてお婆ちゃんに報告した。
「春から会津で働けるかもしれないの。新鶴村で募集していた『ふるさとサポーター』っていう仕事に応募したの。3年間の期間限定になるけど、合格したら会津の人たちのために一生懸命お仕事するね。
 葡萄農家さんのお手伝いもするみたいだから、お婆ちゃんの葡萄に負けないような美味しい葡萄を作れるよう頑張るから、どうか応援してください」

 部屋に風が吹き込む。少し遅れてほんのりと葡萄の香りが届く。
(やっぱり秋が好き。会津の秋も好きになれるといいな)
 写真の祖母はニッコリと微笑んでいた。
(第6話ここまで)

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