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【創作小説】会津ワイン黎明綺譚(第5話)

5 秋の恵み

 1997年秋、全面ビニールハウスという不思議で豊かな実りの葡萄畑を前に、譲二と桃子が立っていた。葡萄畑の先には新鶴村と会津若松の市街地が広がりその先には磐梯山や背炙峠が見えた。その日の作業は終わり太陽は傾き始めていた。

「マルシャンの橋本さんが教えてくれたんだが、今年の葡萄で『会津シャルドネ』という、オリジナルブランドワインを醸造してくれるそうだ。このままの質と量を確保できれば合格、それに見合う価格もつけてくれるということだった。この成功はアンタのおかげだ、心から感謝している」
「会津の人みたいに、他の方の役に立てる人間になりたいって小さい頃から願っていました。少し近づけたでしょうか」
「嘘は言いたくないから正直に言う。アンタの言う『会津の人』がわからないから答えようが無い。けどこの葡萄畑の実りはアンタが居てくれたおかげだ」
「私は偶々お婆ちゃんの話から幌を思いついて、雨除けの話をしただけです。それに挑戦してマルシャンや地域の皆さんを巻き込んで、成功させた譲二さんが凄いです」
「お婆ちゃんの話だけじゃない。アンタがこの2年半で村の人や文化を掘り起こし村の良さを引き出し、新しいことに挑戦する姿を見せてくれていたから俺も生産組合の人間も挑戦できた。挑戦し続ける姿勢を見せてくれたことが凄いんだ」
「じゃぁお役に立てたんですね。譲二さんがそう仰ってくださるなら、嬉しいです。新鶴村に来た甲斐がありました」
桃子は満面の笑みを浮かべたが、譲二の顔は暗く強張った。
「ただ……」
「どうしました?顔が怖くなっていますよ」
譲二は一度地面に顔を向けた後、思いつめた表情で顔を上げた。
「約束を破るようで申し訳ないが、恋人の振りは辞めさせて欲しい」
「私、何か悪いことをしましたか」
「何も悪くない、悪いのは俺だ」
「美味しい葡萄ができたから、譲二さんの願いが叶って智恵子さんとの仲も復活ですね。寂しいですが私の任期も残り半年ですし、もう悪い虫もつかないと思います。恋人の振りは終わっていただいて大丈夫です」
桃子は笑顔で応えたが目に涙が溜まってくることを感じていた。
「智恵子のことを知っているのか」
譲二が目を丸くし桃子は小さく頷いた。
「菊地さんが教えてくれました。智恵子さんが会津に戻ってきていること。同窓会の後、二人が楽しそうでいい雰囲気だったことも」
桃子は二人のことを教えてくれた菊地を思い出した。

 役場の仕事を終えて車に乗り込もうとしていた時に、菊地が声をかけてきた。
「桃ちゃん5分だけいいかな、帰りがけに申し訳ない。最初に断っておくけど譲二のことは信頼していい。アイツは凄くいい奴で人を大切にするから人からも信頼される。口惜しいけどうちの課長だって僕のことより譲二を信頼しているくらいだ。
 ふるさとサポーターの企画の時も、熊田農園と連携すると説明したら稟議が通ったくらいだった。それはともかく、伝えておきたいことがある。
 この前、高校の同窓会が開かれたんだけど智恵子も来ていた。知っていると思うけど譲二の元カノというか元婚約者というか。智恵子が東京に行き譲二は振られた形だったけど、会津に戻っていたらしい。昔から綺麗な顔立ちをしていたから譲二たちは『美女と熊』なんて言われていたけど、さらに綺麗になっていた」
「美人さんなんですね」
「もちろん桃ちゃんも可愛いよ。けど何ていうか、付き合いが長いせいもあると思うけど、二人が並んでいると見ていてしっくりくるんだ。同じ土地で生まれ育った者同士だからかな。
 二次会の途中までは三人で昔のバカ話なんかしていたけど、僕が歌い終わって戻ったらすっかり二人の世界になっていて、僕は完全にお邪魔虫だった。智恵子が譲二に寄り添い、昔の二人に戻ったみたいな感じ。あ、けど、その日は智恵子を送ってから俺も送ってもらったから、二人は何にも無かったと思う。
 それに譲二は浮気するような男じゃないから信頼していい。けど気をつけた方が良いかもしれないと思ったから伝えておきたくて。何か情報が入ったらまた教えるよ。智恵子には悪いけど、僕は桃ちゃんと譲二が上手くいくことを願っている」
菊地は仕事でも見せないような真剣な表情をしていた。深刻な話の内容なのに桃子はちょっと可笑しくなり笑顔で応えた。
「譲二さんは、浮気できるような器用な人じゃないから心配しないです」
「流石にわかっているね。確かにアイツは不器用だ」
菊地が大きく頷く。
「私が振られることはあるかもしれません。譲二さんは優しい人だから悩むかもです。けど私もちゃんと頑張りますから安心してください」
「告げ口したみたいだけど、僕は桃ちゃんにも譲二にも幸せになって欲しい。桃ちゃんを応援しているから」
菊地は本音で語っているようだった。
「そうですね、良樹さんも智恵子さんもみんな幸せにならなきゃです」
菊地の言葉に悪意は感じなかった。譲二と桃子に上手くいって欲しいという言葉は本音に聞こえた。その誠実な態度に、つい
「私たちはもともと、恋人の振りなんです」
と明かしたい気持ちもしたがそこはまだ秘密にしておくことにした。そして菊地は
「智恵子が譲二への想いを断ち切ることができたら、僕も智恵子への想いを伝えられる」
という本音を桃子に話さなかった後ろめたさを抱えながら、走り去る車に
「みんな、幸せにならなきゃだな」
と小さく呟いた。

 桃子が良樹の話を思い出していた時、譲二は同窓会の後にスナックでの智恵子との時間を思い出していた。初めは智恵子を挟んで良樹と三人でカウンターに座っていたが、良樹がカラオケに向かい二人だけになった。
「譲二は歌わないの」
「知っているだろう」
「おじいちゃんの遺言ね。譲二の歌は酒を不味くするから酒席では歌うな。変わらないのね。そういうところ」
「俺は俺さ。少し年を重ねたくらいで葡萄の木に柿がなるはずもない」
「けど葡萄の木に桃がなることもあるらしいわ。私のことを待っていてはくれなかったのね。桃ちゃんっていう東京からきた若い子とお付き合いしているって良樹君から聞いたわ」
「智恵子のことを待っていると約束した覚えは無い。突然居なくなられた記憶はある」
「そうね、私も待っていて欲しいとお願いした記憶はないわ。遠距離恋愛する性格でもないし。だけど譲二と別れた記憶も無いわ。何も変わらないこの街で同じような日々を繰り返すのが怖くて逃げ出しただけ。一度だけ、舞台女優としての可能性を東京で試したかった」
「何も言わずに居なくなるから、吃驚した」
「挑戦して失敗して納得したらすぐ戻るつもりだったの。だから誰にも内緒にしたの。マリッジブルーみたいな感じで恥ずかしい気持ちもあったし。予想よりも長くなってゴメンね。で、その桃ちゃんとは結婚するつもりなの」
「約束はしていない」
「そういう女の子にちゃんとしないというか、積極的に動かないところも変わらないのね。私と付き合っていた時も譲二から『好き』と言われたことが無かったわ。プロポーズもしてもらえなくて随分ヤキモキしたわ」
「すまない、自分に自信が無かった。それに小鳥を籠に閉じ込めることが、小鳥にとって幸せなことなのかという迷いもあった」
「チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探す旅をしたけど、青い鳥は自宅にいたの。この話すごくわかる気がする。ちょっと気がつくのが遅かったけど間に合ってよかったとも思うの。桃ちゃんが今年度一杯で東京に帰るってことも良樹君に教えてもらったわ。
 今は譲二と桃ちゃんのことを邪魔しないけど、来年の春になったら譲二はフリーになるんでしょう」
智恵子が首を傾け、覗きこむようにして譲二の目を見つめた。
「そうだとしても、智恵子とヨリを戻すつもりは無い」
譲二は視線を合わさずに正面を見たまま応えた。
「今夜はこうして一緒にいるだけでいいわ。譲二のことは誰よりもよく知っているから」
二人の会話が途切れ智恵子は体を譲二に預けその頬を肩に乗せた。温もりが互いに伝わる。智恵子の長い髪が譲二の肩から腰に重なる。譲二は左手で智恵子の体を戻そうとしたが、智恵子がイヤイヤをする子どものように顔を横に振るのを見て、左手を戻した。
 
 良樹の歌が二人の耳に響いた。
『愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気がつけばそこにあるもの』
ミスターチルドレンの「名もなき詩」、ドラマの主題歌として去年流行した曲は今年もカラオケでよく歌われている。譲二も普段からよく耳にする曲だったが今日は何故か気持ちをイライラさせられた。
 智恵子に余計な話をしておきながら、自分の世界で気持ちよさそうに歌っている良樹に対する苛立ちのせいかもしれない。良樹のシャウトがさらに胸のささくれを刺激した。
『愛、自由、希望、夢 足元をごらんよ きっと転がってるさ』
(良樹が歌い終えたら帰ろう)
譲二はそう考えながら、氷が溶けて薄まったウーロン茶を口にした。

 桃子は目に涙を浮かべながら話した。
「この二年半、譲二さんには御迷惑をおかけしてばかりでした。私、バカだから譲二さんの気持ちも考えずに、恋人の振りをお願いして申し訳ありませんでした。バカだから今の生活が続くような勘違いをしていました。けど菊地さんに智恵子さんのことを教えて貰えてハッキリ目が覚めました。
 何も譲二さんに返せてはいませんが、せめて最後の半年は譲二さんの幸せのために智恵子さんとの邪魔をしないようにします。恋人の振りを辞めて大丈夫です」
譲二は小さくタメ息をついた。
「良樹はいつも余計なことを言う」
「智恵子さんのこと、知らない振りをした方が良かったですか」
「そんなことは無い。アンタのことを騙すようなことはしたくなかった」
「ですよね。卑怯な振る舞いをしてはいけません、です。振りとは言え二股のようなことはしないで、ちゃんと向き合うべきだと思います」
「そうだな。昔、智恵子が突然居なくなってから、俺は自分を見失なった。自分には価値が無いという考えに縛られて追い詰められていた。
 いや多分その前から俺は自分が何も無い人間ということを感じていた。昔から良樹には勉強もスポーツも何一つ敵わなかった。
 今もアイツみたいに歌も歌えなければ『村を良くする』なんていう志も、国の金を引っ張ってきて村に貢献するような仕事もできない。ただ目の前の土を耕し糧を得るだけの男だ。だから昔から智恵子に対しても良樹の方が相応しいんじゃないかとずっと考えていた。正面から向き合えずに悲しい思いをさせたと思う。
 智恵子が居なくなり、空っぽの自分を埋めたくて良い葡萄を作ろうと試行錯誤しても失敗ばかりだった。葡萄作りも駄目な、本当に何もできない人間だと自分を諦めるところだった。だけどアンタのおかげで一つだけ誇れるものができた」
 譲二は葡萄畑に一旦視線を移していから桃子に向き直り話を続けた。
「この前智恵子が教えてくれた。幸せの青い鳥は探すものじゃないと」
二人の視線が絡み合う。
「そうです。智恵子さんは旅をしてそこに気がつき、譲二さんは青い鳥が戻ってきたんですから、今度こそ逃がしちゃ駄目です、ちゃんと捕まえてください」
「そうだな、自分が空っぽかどうかなんてことはどうでもいい話で、自分がどうしたいかが大事だと、今ならわかる」
「もちろんです」
「残りの任期が半年だから、話をしないでおこうと考えていたが、すまない。嘘をつき続けるのも、騙すようなこともしたくないと迷っていた。こんなところで、こんな形で話すのもどうかと思うが」
「こんなところだから、いいんじゃないですか。葡萄の前なら譲二さんが一番正直になれるでしょうから、一番信用できます」
桃子の笑顔とは対照的に、譲二の顔がこれまで以上に険しくなった。こんな表情を見せるのは初めてのことだった。桃子を睨むようにして口を開いた。
 
「大藤桃子さん、俺は、あなたを愛しています。恋人の振りではなく、結婚を前提にお付き合いしてください。春が来ても東京に帰らず、ここに居て欲しい」
譲二はひざまずいて、頭を下げた。
「帰らなくて良いのですか、この地に根を張らせてくれるんですか」
「会津の人に、俺の妻になって、一緒に葡萄を育てて欲しい」
言葉の後に譲二は顔を上げて桃子を見つめた。恐い顔をしている譲二に、桃子は右手を差し出した。
「ちゃんと捕まえてください」
譲二は立ち上がり、葡萄の棚に手を伸ばすと蔓を千切り、武骨な手で桃子の左手を取り、その薬指に蔓を巻いた。

「捕まえられちゃいました」

桃子は大粒の涙を流しながら、笑顔で譲二の手を握りしめた。
「一つだけお願いがあります、お婆ちゃんの葡萄も、ここで一緒に育てたいです」
「春の彼岸には一緒に山梨に行こう。お婆ちゃんや曾祖父さんのお墓にも挨拶をさせて欲しい。その時にお婆ちゃんの葡萄の枝を持ってこよう。挿し木にして、ここで一緒に育てよう」
桃子は頷いた。
「いつも、ここから見る景色を美しいと感じていました。今日は今までで一番綺麗です。この美しい土地で、一緒に生きていきたいです」

 葡萄畑に伸びる二つの影が、揺らめくようにして一つに重なった。
 影の先には、豊かに実る葡萄畑、稲が実る水田、そして新鶴村の集落、会津若松の市街地が、朱く輝くように広がっていた。

 桃子の祖母宅にある葡萄の木が、会津由来であることを二人は知らない。明治初期、会津藩の者がカリフォルニアに移住する際、お殿様から下賜された茶や薬草など種子の中に、御薬園で栽培していた葡萄の種もあった。
 その種の一部はカリフォルニアの大地に蒔かれることなく、桃子の曾祖父に託されて日本に帰り、都留市にある大藤家の庭に植えられた。
 百余年を経て、会津に里帰りを果たすことになった。

エピローグ

1998年 マルシャンから「会津シャルドネ」が販売された。初年度の商業ベースでは成功とは言えなかったが、その後もオリジナルブランドワインとして販売され続けることになる。

1999年 譲二と桃子、良樹と智恵子がそれぞれ入籍した。

2005年 新鶴村、会津高田町、会津本郷町が合併して新鶴村などが消滅し会津美里町が誕生した。
 
2008年 会津シャルドネが日本最大手航空会社のファーストクラスのワインとして採用された。日本産ワインとしては10年振りの快挙となった。
 
2009年 「若者の短期移住による地域活性化」というアイディアを基に総務省が「地域おこし協力隊」を事業化した。10年後には1000を越える自治体、5000人を超える地域おこし協力隊員を生み出すことになった。

2015年 マルシャンはヨントリーを抜き、国内のワインシェア1位を獲得した。マルシャンの橋本は、ワイン業界において最も難しく、栄誉ある資格とされる「マスターオブワイン」の資格を日本在住の日本人として初めて取得した。

2018年 ワールド・ワイン・アワード。
 世界で最も金賞を獲るのが難しいと言われるコンテストで、複数の日本ワインが金賞を受賞して世界を驚かせた。
 金賞を受賞した日本ワインの一つ「Aizumisato」。
 枝が折れそうになるほどの豪雪と厳しい冬の寒さを耐え大地に深く根を張り、束の間のような春夏に懸命に葉を広げ太陽の恵みを捕まえる。秋の長雨を人の智慧で乗り越えて産み出される葡萄から醸されたそのワインは、フレッシュでありながら、懐かしい記憶を揺さぶる味を生み「故郷の味がするワイン」と評する者もいたという。

2019年 会津美里町に「新鶴ワイナリー」が誕生した。
 新鶴ワイナリーに向かう山の途中に在る、弘安寺(中田観音)には御本尊として、十一面世観音菩薩、脇侍には地蔵菩薩、不動明王が祀られている。
この三尊を組み合わせて祀るのは、全国的にも珍しい。
 弘安寺が1279年に創建されてから、今日まで多くの信仰を集め受け継がれており、観音菩薩、不動明王、地蔵菩薩の三尊は、村のためにその功徳を与えていると言われている。 

【什の掟―じゅうのおきて―】
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
  ならぬことはならぬものです
(第5話ここまで)

第6話

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