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銀山町 妖精綺譚(第3話)

第二章 銀山町 

 午後の始業を告げるチャイムが庁内に鳴り響いた。
「田中さん、行くか」
「はい、本当に何も持たなくていいんですか」
高橋は軽く頷くと飯田に声をかけた。
「それでは田中に町内を案内してから、郷田に挨拶をしてきます」
「若旦那だな。飯田がくれぐれもよろしくお願いしたいと申していたと、伝えてくれ」
「承知しました。田中さん出よう」
車のキーを持った手で田中を手招きした。

 かなり年代物、あちこちに赤錆が出ている白い軽自動車の助手席に座り、シートベルトを手繰りながら田中が尋ねた。
「郷田さん、若旦那というのはどういう方なんですか」
「地元の名士、郷田源蔵さんが通称 郷田父。その長男である勇さんが若旦那。郷田父はこの町で一番大きな旅館のオーナーで、大農家でスーパーも経営、商工会長、観光物産協会長、消防団長などの公職を務めていただいている。郷田父は公職での活動が忙しいから、旅館を始めとしてどの事業も若旦那が実質的な経営者だ。
 若旦那は田中さんが担当する『若者定住会議』の座長、リーダー的存在だ。それで町歩きと郷田への挨拶名目で外に出た。今の時間は郷田がどこにいるか解らないから、時間を調整してから夕方に旅館へ行こうと思う。田中さんは銀山町をどのくらい知っている」
「申し訳ありません、何も勉強してないので何も知りません」
高橋は声を出して笑った。
「田中さんは素直でいいなぁ。けど知らないことは謝らなくていい。知らないことは悪いことでも恥ずかしいことでもない。それを隠すことは恥ずかしいことだ。ただ仕事をする上では知識は武器にも防具にもなる。邪魔にはならないし、あると安心だからある方がいい。今日何も知らない田中さんのために、北から町を一回りして郷田のところに行こう」
「高橋主任は俺のことは『さんづけ』してくれるのに、郷田さんは呼び捨てなんですね」
「敬称については、老若男女問わず敬意をこめて『さんづけ』するのが俺の小さな拘りだ。年齢とか性別で『君・ちゃん・さん』を使い分けるのは差別的な感じがするから『さん』で統一している。
ただ郷田は小学校からの同級生で、昔から呼び捨てだから公式な場以外では呼び捨てだ。そうしないと郷田に叱られるんだ。高校までずっと同じクラスだから、ある意味では家族より長い時間を一緒に過ごしている身内みたいな感じだ。
 小学校から高校まで同級生は減る一方、どんどん転校していなくなる。転入してくる子どもはほとんどいない。偶に転校してきてもすぐに町を出る。その寂しさも共有している」
「大学だけ別ということですか」
「郷田は早稲田に進学、俺は高卒で役場に勤めたから一緒なのは高校まで。俺は母子家庭だったから、母を早く楽にしてやりたくて大学に進学していない。俺も郷田もクラスの友達が転校で去るのを見送るばかりだったから、新しい人が町に来てくれることが嬉しい。田中さん来てくれてありがとう」
高橋は前を向いたまま少年のような爽やかな笑顔を浮かべた。

 二人の会話が止まり、古くて白い軽自動車はエンジン音を響かせながら銀山町のメインストリートとなる国道252号線を北に走った。道路は綺麗に除雪されているが周辺には深い積雪が残り、輝く銀色が目に眩しい。道路は只見川と会津鉄道と並行に敷かれていたり、時々交差したりしながら小さな集落を縫うように造られている。

 車窓から見える只見川の深緑の水面、そこに映る雪山や集落の姿が幻想的な空間を生み出していた。
(自分で運転している時は雪道が怖くて見る余裕が無かったけど、この山と川と鉄道がクロスして生まれる美しい景色は、県内のどこにも無いんじゃないかな)
 豊富な水量で穏やかに流れる只見川に見惚れながら田中は呟いた。
「幻想的で美しい景色ですねぇ」
「美しいと言われて悪い気はしないが、只見川は有難くもあり悩ましくもあるから少し複雑だな。お待たせ、ここが町の北限にある上田ダムだ。水力発電供給の町銀山町、只見電源開発の最初のダムにして現役の発電所という、町を象徴するダムになる。車から降りてくれるか」
 車から降りた田中がポケットからメモ帳を取り出そうとしたが高橋は止めた。
「田中さん仕事はいろんな流派があるから、俺の言うことが絶対じゃないけど、外で俺と一緒の時はメモをとるのは控えて欲しい。確認したいことは後で聞いてくれ。役場の事務ならメモが必要だけど、現場には現場にしかない空気感があるし、人前でメモを取るのは好きじゃない。これから人と会うことも増えると思うが、メモを取るより現場や相手に向き合い、相手の目を見て話す方を優先して欲しい」
 田中はメモ帳をポケットに戻した。
水分をたっぷり含んだ川からの冷たい風が二人の周囲を吹き抜けた。

 眼下にある巨大なコンクリート建造物はどれだけの時を重ねてきたのか。人が造ることができるとは思えないような大きさで川を堰き止め、底が見えない暗い水を抱え込んでいる。どれだけの時間と労力がつぎ込まれたのか。漂う水面の下には多くの人間の暗い情念も沈んでいるように感じ田中は身震いをした。
「この上田ダムの下には昔の小さな集落が水没している。電源開発という光のために犠牲になった集落だ。光があれば影もある。少し悔しいが銀山町を走る道路も鉄道も、町の人のために造られたものじゃなく、電源開発、水力発電所建設の資材搬入を目的として敷設された。都会の電気のために、この町は犠牲になったとも恩恵を受けているとも言える。歴史的なことも含めその辺りの複雑な気持ちが町内には未だにある。
寒かったよな、車に戻ろう。後はなるべく車中から説明する。この上田ダムを見るのは車中からでは駄目な気がしてな」
高橋の顔が暗くなる。
「ダムに沈んだ集落の方々のその後は」
「銀山湖の近くにある高台に集団移転した。当時の村人との軋轢から街道沿いには移転できず、不便な場所で不便な暮らしを余儀なくされたらしい」
「軋轢ですか」
「軋轢というか、妬みやっかみ迫害羨望かな。補償金というかなり大きなお金を手にした人とそうでない人が、今までどおり同じ村で仲良く暮らすというのは難しかったのだろう。川内集落の人たちは一生働かなくても暮らせるお金を手にし、資産運用でさらにお金を増やして村を去り、逆に運用を失敗して町から逃げ出したりしたらしい。
 それでも俺が子どもの頃は数件残っていたが、今は完全に空き家だけのゴーストタウンだ。この辺りが昔の川内集落で町の歴史の影の部分になる」
 古い建物ばかりの寂れた集落を横目に車を走らせ、二人は大きな湖の湖畔に着いた。
「町名の由来とも言われる銀山湖だ。夏にはイベントも開催される」
「凄く綺麗な湖ですね、銀色の雪山を映しだすから銀山湖ですか」
「あぁ我が町を象徴する湖であり、大蛇伝説が残る場所でもある」
「大蛇って、あの八岐大蛇の大蛇ですか」
「昔、この湖の側に住む髪の長い女が旅人や村人を襲っていた。その女の正体が大蛇だったと伝えられている。大蛇は退治されたが怒りを鎮めるために神社にお祀りしているから神様でもある」
「いろいろあるんですね」
「福島県の西端、他の自治体に比べて何も無い町のように言われるが、知られていないだけでいろいろある。例えばこの銀山湖は福島県で唯一、ヒメマスの養殖に成功している湖だとか、町内には日本でも珍しい天然炭酸水の井戸や炭酸温泉があるとか。まぁその辺りはおいおい教える」

 福島県大沼郡銀山町は不遇の町である。山形県にある銀山温泉と勘違いされて相手にガッカリされることもある。
 北にある柳津町には園蔵寺という「赤べこ伝承発祥」のお寺がある。
 南の只見町には尾瀬という日本有数の自然景勝地がある。
 東の下郷町には大内宿、塔のへつりという観光地がある。
 西は新潟県との県境となる大きな山が連なっていて人が入ることを拒んでいる。
 町全体の九割が山林で残りの一割の土地で人が暮らしている状況であり、大きな産業が育たず観光面では周囲の町村のような特徴あるコンテンツが無い。
 その上周辺自治体では、バブル経済と「リゾート法(総合保養地域整備法)」を背景に、スキー場、ゴルフ場、大型テーマパークなどの大型開発事業が展開されているが、交通アクセスが悪い銀山町にはどこの事業者からも声が掛からない不遇の町である。
 地元が潤う開発事業が無いことで行政批判をするものも多く、長谷川建設のオーナーとしても行政の長としても長谷川町長を悩ませ忸怩たる思いを抱かせていた。平成五年秋に行われる町長選に向けて順風とは言えない状況だった。

 車は弧を描くように湖畔沿いを進んでいく。周囲はとても雪深く、白銀の山脈を輝かせながら映し出す銀山湖の美しさを田中は言葉で表現できなかった。
「ところで『若者定住会議』って何ですか。俺が担当するんですよね」
高橋がニヤリとした笑みを浮かべた。
「何か怖いです」
「結論から言うと、町の産業界を代表する三十五歳以下の若者五人による有識者会議である若者定住会議を主催し、最終的に町長に対し『若者定住に向けた提言を行う』というのが、田中さんの主たる業務になる。重要な事業を担う期待のホープだな」
「重要な会議を新規採用職員の俺が担当で良いんですか。それに今年度だけで退職するつもりですけど大丈夫ですか」
「今年度で退職?」
「はい、俺は世界を相手にする商社マンになりたいです。去年は就活が上手くいかず、親父に命令されたから銀山役場職員になりましたが、ここで働くのは一年だけのつもりです。東京の大手商社への転職を目指しています」
高橋の顔から血の気が引き能面のような白さになった。少し震えた声で田中に応えた。
「駄目じゃない、田中さんの人生だから好きに生きていい。けど仮に今年度で退職するとしても、町長への提言は遅くとも十月までに行う予定だから、それまでに内容をまとめてくれれば、後は何とかする」
「ちょっと待ってください。何も決まっていないのに十月までに提言って、いくら何でもそれは無理じゃないですか。そんなことできないでしょう」
高橋の顔が険しくなり口調も少し厳しく変わる。
「挑戦していないのに『できない』は良くない。挑戦して失敗するのは問題ない。けど『やらない、できない』は駄目だ。仕事として命を受けた以上、法令等に違反しない限り『やります、やらせていただきます』しか選択肢は無い。かなりの高い確率で今回の業務は失敗するだろう。だが宝くじだって買えば当たる可能性はゼロじゃない」
田中は怪訝な表情を浮かべ口を尖らせた。
「事業を失敗した責任を取らせて、クビにするとかいう生贄ですか」
「事業が失敗しても、それは田中さんの責任じゃない。うちの課うちの役場としての失敗だから何も責任を感じる必要はないし、それを理由に辞めることはないさ」
「もともと辞めるつもりだから、辞めるのも有りですけど」
「これは職場の先輩ではなく町の住人としてのお願いだが、田中さんが一年で転職したいという話は、郷田や他の人には内緒にして欲しい。田中さんは田中さんが思う以上に、皆から期待されていると思う」
「わかりました気をつけます。それで若者定住会議の方向性とかはあるんですか」
「ある。町長が仰っていた『妖精の住むふるさと』だ」
「ということは、銀山町には何か妖精にまつわる伝承とかがあるんですか、妖精の泉とか」
「俺はこの町で三十年以上生きているが、妖精にまつわる話は聞いたことが無い。銀山湖の大蛇伝説の他にも座敷童とか河童なんかの話は町のあちこちにあるけどな」
「妖精のネタが何も無いのに『妖精の住むふるさと』で町おこしに挑戦するということですか、ちょっと信じられないです。高橋主任は何かアイディアをお持ちですか」
「残念ながらノープラン、ノーアイディアだ。だから田中さんに期待している」
「やらないとは言いませんが、何で妖精なんですか。何で俺なんですか。ノーリーズンってことはないですよね」
「とばっちりで申し訳ない。けど企画課としてもとばっちりなんだ。まずは『なぜ妖精』ということだが、去年の秋に県の教育委員会が実施している『ネイティブの生きた英語を子どもたちに』という英国人講師派遣制度で、南会津地方の小中学校を対象に英国人講師が派遣されて町長が表敬訪問を受けた。その時に英国人講師から
『銀山町は神秘的な雰囲気で妖精が住んでいそう。英国にもこんな素敵な場所は無い』
という話をされて町長が舞い上がり『妖精の住むふるさと』という町おこしを思いついてしまった。
それを最初は総務課に対応するよう指示したが、具体的な事業の企画立案が出来ないまま『若者定住会議』による提言を受けるという目くらまし事業だけを立案して、今年度は企画課に丸投げしてきた。町長にこんな説明をしたらしい」
 高橋は少し口調を変えて説明を始めた。木村総務課長の真似をしていることは、田中には伝わらなかった。
「国から財源措置される『ふるさと創生事業』につきましては、どこも所管しない事業でありましたのでやむなく総務課がその任を受けましたが、内部で検討を重ねた結果『ふるさと創生事業』は『町おこし・地域活性化事業』として対処することが適切という結論に至りました。また著しい高齢化が進む当町におきましては『若者定住』が喫緊の課題と言えます。
このような理由から企画課に所管させることが適切という判断です。なお業務が増える企画課のために『ヨソモノ ワカモノ』を一名採用したいと考えておりますので、その者に事業を担当させてはとの意見を付します。さらに『住民参加』の視点から『若者定住』について町長に提言を行う『若者定住会議』を組織し、企画課に引継ぐことといたします」
高橋はタメ息を一つ入れると、自分の口調に戻して説明を続けた。
「という経緯があったと、飯田課長から聞いた。そして、それを受けたということだ」
「そんな話なら、最初から企画課に任せるか、最後まで総務課がやるべきじゃないですか」
「俺もそうは思う。先に町長の意向を総務課に抑えられたのと『総務課の失敗は企画課の好機』と捉えた課長のおかげで、俺と田中さんの仕事になったのさ。この話は庁内じゃするなよ。余計な敵を作るからな」
 田中は、聞くんじゃ無かったとばかりに深いタメ息をついた。

 その後も町を巡りながら、銀山町で金銀は産出しなかったが、鉄や錫などの鉱山があったこと、炭酸天然水の井戸があること、泉質の違う温泉がいくつかあり、鉄分を多く含んだ赤湯と炭酸水の源泉があること、赤かぼちゃや柿が特産品であることなどを教えてくれたが、田中の頭にはほとんど残らなかった。

「ちょうど良いタイミングだな」
 高橋は広い駐車場に車を停めた。田中の目に大きな木造二階建ての建物が飛び込んできたので、正面玄関の上に掲げられた「大黒屋旅館」という、墨で書かれたくすんだ看板を見上げた。看板も建物も由緒正しそうな堂々たる佇まいだった。
 車を降りた高橋は慣れた様子で入口に向かい、田中は慌てて後を追った。玄関脇にある大黒様の白い石像が目に鮮やかだった。
「すいません役場の高橋です。アポは無いんですが、社長がいらっしゃれば御挨拶をさせていただきたくお邪魔しました」
 二人を出迎えた仲居に説明しているうちに、洒脱な和服姿の男性が入口まで出てきた。若いながらも品のある立ち居振る舞いに、この人が若旦那かと田中は直感した。
「どうした高橋、新年度初日から来るなんて。そんなに役所は暇なのか」
笑いながら高橋に話かける。
「年度当初で非常に忙しいところではありますが、何をさておいても若者定住会議の担当者を郷田社長に御紹介したく参りました」
郷田社長は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。高橋は田中に視線を送り田中が自己紹介をした。
「田中さんかよろしくお願いする。高橋は人が良さそうに見えて結構厳しいところがあるから、虐められたら俺に言えよ。ちゃんと叱ってやるから」
ニヤニヤした郷田の前で高橋と田中が苦笑いを浮かべていると、郷田は少し真面目な表情に変わり
「他のメンバーに挨拶はしたのか。順番を間違えると半沢さんが臍を曲げるぞ」
「半沢さんだけアポを入れてある。明後日の午後に挨拶に行く予定だ。後のメンバーには初回の会議まで挨拶には行かない」
「なるほどね。まぁいい線だろう。俺のところには挨拶に来てないということで良いか」
「それで頼む。後で田中にも説明しておく。じゃぁまた来る」
「おう、気をつけてな」

 郷田への挨拶を終え、軽自動車は暗い道を役場へ向かった。
 カラスの物悲しい鳴き声が二人に届いた。

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