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僕は勉強が出来ない・コードレビューと安全な議論

子供の頃『僕は勉強ができない』とのタイトルに惹かれて読んだ小説がある
内容は特に勉強に関することではなく
日常の出来事や恋愛であったけれど
このタイトルにひどく共感した

吾輩は勉強ができないし
学歴が低い

幸いにも日本のエンジニア市場は
学歴が関係のない実力市場なので
おかげさまで学歴の年収に相関関係がない


吾輩が本を好きであることが
どうもバカにされることがあり
そのことが引っかかって仕方がない

吾輩は大きな括りで言うところの
社会学の本が好きだ。面白い。
でもそれは人から馬鹿にされる
「社会学なんぞ社会をわかってない人のやる学問だ」と

名著の要約を話せば
「そんなの本をわざわざ読まなくても当たり前だろw」と馬鹿にされる

「そんなやりがいは、馬鹿らしい」と言われ
「本なんて捨てたら」と言われる

何でなんだろうか。
吾輩はそんなに馬鹿なのだろうか。

論破と議論


先日、職場の人に誘われて
アカデミアの人たちの議論の場に参加した
かなり衝撃的だった

恐ろしく冷静に議論していたのである

吾輩は議論というものを
冷静にしてる人たちを見たことがない
X(Twitter)は殴り合いだし
会社の会議はパワーバランスで合意が決まる
(それはある程度仕方ない)

思い起こせば4〜10人くらいの複数人と
冷静に議論したことあるのだろうか、
ない。吾輩の人生には一度もない。

そもそも吾輩を馬鹿にする人は
誰なのだろうか
ひろゆきの口調の人だ

世の中は「論破」に溢れていて
ファストな情報に溢れていて
要約を読んだ文章から
「あ、理解」と言っては
体系的に学んだ人を蔑む
コスパを重視する人たちがいる

彼らの定義に従えば
吾輩は馬鹿なのだ。

暴力と環境と勉強の関係

そうだ、思い起こせば
粗暴な人が多い会社にいたことがあって
それはもう、そんなに勉強が出来ない人で溢れ返っていた

課長は若手を課員の前で毎日1時間説教し
部長は部員全員の前で部下をド詰めし
支社長は会議で怒鳴り散らし
営業部長は電車で大声で歌う奇人で
別の課長はある日電車に飛び込んだし
寮の風呂でタバコは吸うし
寮に入ったはずの新人は先輩から閉め出され
口コミサイトの評価は2を彷徨ってる

彼らが勉強が出来ないかと言えば
そうでもなく、
机に堂々と帝王学の本を置いてる人もいたし
学歴的に言えば高い人も一部はいたから
全員が学力が低いわけではないものの
割合的には学力が低い人たちが集まっている構成であった

漏れなく吾輩もパワハラにあっていて
どんどん粗暴になって
どんどん嫌な人間になった

レビューは人格攻撃ではない


エンジニアにはコードレビューというものがある

Aさんが書いたものをBさんが確認し
ミスや変なところがないかチェックする
簡単に説明するなら
所謂ダブルチェックである

これがどうも上手くいかない
でもコードレビューが上手くいかないのは
我々の業界は日常茶飯事のようだね、と
IT業界の友達と愚痴を言い合った。

レビューが攻撃に映るのか
レビューは平気で無視されたりすることがある
無視しないでほしい…

もう本当に説明するのが嫌になって
ただただ、吾輩は本を買ってきたり
完結に説明されてるサイトのURLを渡して
読んでおいてねと渡すだけにしてる

レビューが人格攻撃ではないというのは
エンジニアに限った話ではなく
コンサルティング業や営業の人も同じで
パワポの資料は事前に内部レビューを受けるだろうし
デザイナーだってダブルチェックの意味でも
クオリティチェックの意味でもレビューを受ける

デザイナーが成果物に対して
「ダサいね」と評されたとしても
それはデザイナーの人格そのものを否定したわけでなく、ただ単に成果物にたしての
素直な評価なわけで
涙を飲んでそれを受け入れねばならぬ。
あるいは、デザインの意図を説明して評価を覆していかないといけない

でも、先に述べたように
吾輩は嫌な人間に育った
ド詰めして、怒鳴る人に囲まれて
同じような嫌なヤツになった

たぶん
吾輩は嫌なレビューをしてるのだろう

冷静な議論と説明の順番

説明はよく
結論から話せ
と言ったりする

でも
『一番伝わる説明の順番』や
『ゼロから学べる! ファシリテーション超技術』によると

大切なのは前提の知識の認識を揃えること

たとえば「CV」と言う言葉の定義は
人によってはキャラクターボイスだし
人によってはコンバージョンとなる

ここがズレると何の話かがわからなくなる

前提を揃える

話を戻すと、
アカデミアの人たちの議論に参加した時
きちんとファシリテーションをして
説明の順番をしていることに衝撃を受けた

知識としての説明の順番や
ファシリテーションは知ってるが
それをものの見事にやってのける人を
見たことがない

いや、似たようなことは見たことはある
イベントの登壇は
聴衆と対話する形式ではないから
知識が追いつかず話が理解できないことがある
(ちなみに東大の松尾教授は早口すぎて
脳がオーバーヒートするので本当に疲れる)

議論をしたいのならば
まず前提として言葉、その分類の定義をし
認識に大きな齟齬がないことを確認してからでないと話が進まない

定義に揺れがあるならば
そこを明確にしないといけない

アカデミアの人たちは
定義の揺れのツッコミも冷静にしてたので
すごくビックリした

え、吾輩、
言葉の定義に間違いがあると
馬鹿にされるんやけど…
なんなのこの文化の差!

アカデミアの人たちとの議論は
ものすごく楽しかったけど
吾輩はとてもショックを受けた

吾輩、本当に馬鹿だから
このような冷静な議論ができないのだろうか…

IQの高さとリスペクト

なかなかショックだったので
吾輩は馬鹿なのかもしれないと
しくしくと泣いていたら家族にこう言われた

冷静な議論に必要なのは
・平均以上の知能(IQ)であること
・相互にリスペクトを持てるか

だと

別に良い大学を出てるから
冷静な議論ができる訳では無い
あなたの意見はこうなんだね!
僕の意見はこうだよ!
インタレスティングだね!
と言い合えるリスペクトが重要なのだと

でもリスペクトだけでも成立しない
わざわざIQテストを受ける人も
そんなに多くないと思うし
吾輩も自分のIQは知らない
日本人の平均は105らしいが
議論の中身を理解するにはある程度の知能は必要だろう、と

地頭の良さ×論破

吾輩は誰に馬鹿にされているかといえば
地頭のいい人に馬鹿にされている
彼らは頭の回転が早い
周りの人が馬鹿に見えるから
小馬鹿にしてくるのだろうか
すぐに論破してくる

でも家族にこう言われた
「いくら地頭が良くても
人を馬鹿にしてる時点で頭は良くない
だってビジネスに良い影響があるわけない」


そうかもしれない
ああ『7つの習慣』の
個人主義と人格主義とはそのことかもしれない

コードレビューとリスペクトと環境

さて、話をコードレビューに戻そう
コードレビューを成立させるために

コードを書くレベル間に差があるのは
普通のことなのであまりここに目くじらを立てる必要はないが
リスペクトがないと成立しない

だって吾輩だって粗野な人間だし
掘り起こせば、
粗野な環境でそのような人間に育ったような気がする
ならば、リスペクトが成立する環境へ行けばいいのではないか?

勉強ができない僕への読書のススメ

吾輩のような粗野な人間でも
苦悶しながら本を読んで、
その知識をもとに情報交換をすれば
怒りを少しずつ抑えることはできる

そうすればリスペクトを手に入れることができるようになるかもしれない

『反応しない練習』を読んで
半年ぐらい苦しむと出来たりする

粗野な環境が人を変えてしまうのなら
クリーンな環境へ身を置けるように
自分が変化していくしかない
だから、今日も本を手に取る

僕は勉強ができない
でも僕はバカなんかじゃない
思考が整理されれば
未来を切り開ける
『さみしい夜にはペンを取れ』

参考図書一覧

僕は勉強が出来ない

一番伝わる説明の順番

ゼロから学べる!ファシリテーション超技術

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

反応しない練習

さみしい夜にはペンを持て

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