岡本匡

長崎県佐世保市出身。 小学校ではソフトボール、中学校と高校では陸上部に勤しみ、静岡の大…

岡本匡

長崎県佐世保市出身。 小学校ではソフトボール、中学校と高校では陸上部に勤しみ、静岡の大学に進学。現在、東京で建設会社を経営、また佐世保の飲食店の代表も務める。Amway Business Ownerでもある。 趣味は、音楽、建築、アート、俳句、グルメなどなど。

最近の記事

文化に触れるということ

「人はパンのみによって生きるのではなく神の口から出る一つ一つの言葉による」マタイ4 今の世の中どういう訳かあまりにも合理的な解を求めすぎる傾向にある様に感じる。 合理的に生きること、これは突き詰めればただ食べて命を繋ぐこと、に落ち着くのではないか。 この世に生まれて来た目的がただ、食べて生きるだけ。 人との触れ合いの間に生まれる愛情の温かさや、音楽や芸術作品に触れて品よく高揚する感情を楽しむことなど意にも介さず。 算数は必要としてもブラックホールの次元を解き明かさん

    • 美しい文章の創作への試み① 「恋心から考える人生の美しさ」について

      遠い追憶の中に生きる幾つかの恋は、ふとした瞬間に顔をもたげる。 その頃流行っていた音楽や、映画。はたまた、懐かしい響きのメロディーや太陽の具合によって。 今となってはもうどうなるものでもなく、また、どうしようというものでもないが、ただ、違う人生もあったのかも知れないと、そう思うのである。 そして、その人生を生きた時に感じ得る感情はいかなものか、想像してみるのである。 なぜあんなにも一生懸命になれたのか、今となっては不思議で仕方ない。 人の行動は気持ちによって動かされ

      • Japanese Dream

        「日本に行けば金になる」 何の保証もなく、身一つで「成り上がり」という夢を追って大陸から海を渡って来た友人が先日、亡くなった。 31歳。逝くのにはまだまだ若すぎる年齢だと思わざるを得ない。交通事故だった。疲れていたのか、下り坂の急なカーブを曲がりきれず対向車線にはみ出し、衝突事故を起こしてしまったらしい。相手方は幸い軽傷で済んだそうだ。 半年前に2人目が産まれたばかりで、残された家族の事が心配で仕方ない。 週6日働き、貴重な休みは家族に時間を使い、彼は自分の人生を生き

        • 目に青葉

          目にさやか 滴るみどり 古都の杜 旧友を訪ね金沢へ。 兼六園を散策し、金沢城の建築技術に驚き、そしてかねてより楽しみにしていた「ごり」料理を頂いた。 ごり、とはカジカのという川魚で金沢の郷土料理だ。見た目は少々グロテスクだが、清流に住むため臭みも無く、お作りも美味しく頂けた。河口より五里(約20キロ)上流に住むことからこの名が付いたとか。炙ったごりを燗に入れて飲む骨酒もここでしか味わえない逸品だった。 閑話休題、金沢は加賀百万石というだけあって、商業的にも豊かな土地で

        文化に触れるということ

          牧会

          それはまるで、旧約聖書のワンシーンであるかの様な、音楽というものがまだ体系立てられる前の、「魂の讃歌」。音楽の起源を垣間見たかのような錯覚をさえ覚えた。 森のひだまりから谺する歌声に、人や動物達さえも集まって来る。 宗教を超え、種を超えて、全ての命が神を讃える「魂の讃歌」の前では等しく、素直な魅入られた者となる。 そこに「神と人のあるべき関係性」を感じる。 全て与えられていることに気付き、感謝し、讃え、捧げる。 自立の行き着く先は傲慢であり、挫いた時に気付く。 他の命

          蠢動

          ワイパーに   花ひとひらの   希望かな 九州出身の私から見て関東地方は桜の植樹がとても多いように感じられ、春ごとに目を楽しませてくれる存在に耽美に耽ると同時に、古今和歌集の歌仙に想いを馳せながら、その儚さと潔さに悲しみを覚える程歳を取ったのかともしみじみと思う。 ごとならば さかずやはあらぬ桜花 見る我さえに しづ心なし  古今和歌集 紀貫之 古今和歌集では桜の移ろいを描写した作品が多いように感じるが、私も歳を重ねるごとに、花が散る姿に老いていく自身を重ねている自分