移動・身体・表現・記憶。(1)

表題は「距離・思考・視覚化・記録」といった副題をつけることも、あるいはそう読み換えることも可能だ。

ここでは、日常を生きる土地から離れたところで発表することになった、移動と距離も含めたインスタレーション記録を、まとめてアーカイブしておくことにする。すべて発表当時、mixiやfacebook 等のSNSにアップロードした数年前のデータのコピーである。

始まりは2010年、GAW展Ⅶ in西脇に参加することになったことに端を発する。「GAW」はゴールデン街アートウェイヴスの頭文字。サブタイトルとして「路地から路地へ」という言葉が掲げられている。1999年から、アーティストでゴールデン街のバーのママでもあった久絽(本年7月2日に亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい)が中心となって開催され、第一回展は新宿ゴールデン街の店や路地を舞台に、美術やパフォーマンスが展開された。その後山口県沖家室島、青森県竜飛崎、フランス オーベイ等で開催、ぼくは再びゴールデン街に戻ってきた2005年のGAW展Ⅴから参加している。


以下は、兵庫県西脇市で開催された「GAW展Ⅶ 」の際、2010年8月5日にmixiに掲載したものの再掲である(一部改行箇所等は修正した)。

GAW展Part7 路地から路地へ in 西脇「GAW展VII 路地から路地へ in 西脇」が7月25日にオープンした。8月28日までの開催。西脇市中心部の路地、倉庫、空き家、空き店舗、空き地に78名の作家と地元出品者による写真、絵画、彫刻、インスタレーションが展開されている。俺自身は屋外、半屋内、屋内3カ所でひっそりしたインスタレーション。作品の具体的構想はなにもないまま、素材になるようなものもなにも持たず現地入りし、写真でしか見ていなかった展示会場に立ち、そこから構想を練り、イメージを組み立て、現場にあったものや現地で調達したもののみでインスタレーションした。

これはいわば「でっちあげ」の美術だ。カッコつけていえば「インプロヴィゼーション」。だが「仮構」の表現であるインスタレーションの教科書がもしあるとすれば、「空間」と「物質」と、作家の「思考」と「直観」と「身体」で成り立つ、ごくごくトラディショナルな(教科書的な)作品ともいえる。「何年も作品を作っていない奴(発表していない奴に)に何ができる」という声も聞こえてくる。しかしもちろん、なにもできないということはあり得ない。「作家は作り続けてなんぼだ」という付加価値の附与にしかならない硬直したものいいは無視するとしても、作り続けることによる、表現の厚みのようなものは確かにある。その一方で何年も作っていなかった人間のインスタレーションもあり得る。そういう意味で、今回の俺の “作品” は、確実に「何年も作っていなかった奴」の “作品” だ。

今回参加している作家の中でも、例えば倉重光則氏や新里陽一氏のインスタレーションは、見ごたえがある。作り続けていることによる重みもある。(写真家として参加している広瀬勉氏も力強いインスタレーションを見せている)とはいえインスタレーションに限っていえば、今回のGAWには力のあるものが少ないというのが、全体を観ての率直な印象だ(もちろん自分のことは棚に上げて言っている)。それは作家の選定による面もあるが、現在インスタレーション表現がおかれている、悲しい状況をも反映しているのではないだろうか。

インスタレーションとはなにか?装置(セット)か? 見せ物小屋(アトラクション)か? 20世紀に試みられはじめた仮構による空間表現は、一般化し、認知度が高まるのと並行してそのように判りやすく単純化してしか捉えられなくなってしまっているのではないか。だとすれば(ここではあえて美術といってしまってもいいかもしれないが)、その表現形式の可能性を矮小化し硬直的なものにしてしまっているというほかないだろう。で、今回の俺の “作品” は「何年も作っていなかった奴」の “作品” だ。作り(発表し)続けていたら、こういうものにはならなかっただろう。ただ今回のとりくみに対する考え方からすれば、3泊4日は少なかったかもしれない。あと3日くらい滞在できれば、また違ったものになったかもしれないとも思える。だがとりあえずは、かつての仕事と比べ、エンタテインメント性を極小化できたのではないかという面で、自分ではそれなりに気に入ったものになった。20~30年前、前衛的表現によく投げかけられた「自己満足」という言葉をあてはめれば、その通りなのかもしれないが。以前の俺のインスタレーションには、ひとを驚かせようとか、大向こうをうならせようとか、あるいは感心させようとか、そんな意識が(それは評価されたいとか、名を上げたいとか、ホメられたいとかいったことと表裏なのだが)それほどあからさまではないにしろ、あるいはある種の人々と比べれば弱かったかもしれないが、濃厚にあったように思う。第三者(観客)の視線を意識した、そんなエンタテインメント性を否定するとしたら、ではなんのための表現なのか、ということにこれは行き当たらざるを得ない問題なのだが、ここでは、どちらにも傾かないぎりぎりのところに成立する、隙間から抜け落ちそうなものや事柄を見つめる表現、と仮に言っておこう。エンタテインメント性を全否定するつもりはないが、それによりかかると、ではなぜ人は「作品」を人に「見せる」のかということが、逆に見えにくくなるような気がする。そんなエンタテインメント性が、今回はゼロとはいわないまでもかなり薄まっている。(作品なんていうものは、いわば作家のうんこみたいなもんだと、よく言っていたが、そういう意味ではかなりきれいなうんこになったと自分では思っている)今はここ20年のそんな自分自身の変化を、自分で楽しんでいる。

今回の作品タイトルは、『リハビリテーション-領域 I 』(村上モータープール)、『リハビリテーション-領域 Ⅱ』(本部インフォメーション横空き地)、『リハビリテーション-個人的事情』(高瀬モータープール)。(裏タイトルは『絵画的な、あまりに絵画的な…』)。

もうひとつ今回の “行為” の大きな要素は「移動」だった。西脇は遠い。交通手段が徒歩しかない時代ならおいそれと行ける場所ではない。今回は下の道を車で向かった。文明に頼りながらの文明へのささやかな抵抗かもしれない(ま、ガソリン車というのもかなりレトロな前世紀的交通手段ではある)。寄り道しながら、トラブルに見舞われながらも往路29時間、復路23時間の移動。しかし文化も風土も、これだけ異なる土地へ行くには、最低この程度の時間が必要なのではないだろうかと思う。情報が行き交い、日本中が均一化したといいつつも、やはり遠いところは遠い。異なる部分は異なるのだ。

以下7月22日から28日までのTweetより。

西脇へ向けて発つ。 3:29 PM Jul 22nd webから

34.8度か。車のエアコンが壊れないことを祈る。 3:30 PM Jul 22nd webから

明日の昼過ぎくらいには着くか。 3:31 PM Jul 22nd webから

新橋。 4:46 PM Jul 22nd Keitai Webから

明治学院前(交差点)を左折して桜田通り/国道1号線に入る / GoogleMapルート検索No.10 5:05 PM Jul 22nd Keitai Webから

西日が暑い。 Thu Jul 22 17:22:48 2010 Keitai Webから

熱い、か? Thu Jul 22 17:23:34 2010 Keitai Webから

西日が熱い。 Thu Jul 22 17:24:28 2010 Keitai Webから

カラフルな巨大建造物に錆びが目立つ。 Thu Jul 22 17:27:52 2010 Keitai Webから

横浜。 Thu Jul 22 17:40:47 2010 Keitai Webから

真鶴。吉永裕氏宅を訪ね、借りたままになっていたカレンダーを返す。 Thu Jul 22 21:16:02 2010 Keitai Webから

箱根。やっと窓を開けて走れる。 Thu Jul 22 21:52:05 2010 Keitai Webから

パンク…。浜松市安新町。 Fri Jul 23 00:20:34 2010 Keitai Webから

スペアに交換。眠かったけど目が覚めた。 Fri Jul 23 01:05:57 2010 Keitai Webから

車中仮眠。夜が明けてきた。 Fri Jul 23 04:48:20 2010 Keitai Webから

http://bit.ly/btCBX2 Fri Jul 23 04:54:03 2010 Keitai Mailから

まだ名古屋。いつ着くんだ? Fri Jul 23 11:53:35 2010 Keitai Webから

小林亮介には泥酔していたらしく会えず。車で名古屋に来たのは20年ぶり。そしたらかつて勝手に名古屋運転と名付けていた走りが、まったくなりを潜めている。時代は変わった。 Fri Jul 23 12:02:25 2010 Keitai Webから

四日市。鈴鹿では8耐やっているらしい。 Fri Jul 23 13:43:47 2010 Keitai Webから

鈴鹿峠から甲賀へ。基本的に徒歩しか交通手段がない時代の、この「奥深さ」の感覚はどんなものだったか。 Fri Jul 23 15:08:07 2010 Keitai Webから

フラットなところに、ぽこっ、ぽこっとお椀のような山が点在する紀伊半島の地形。 Fri Jul 23 15:47:35 2010 Keitai Webから

京都は、ヨーロッパの都市のような、入る(入城する)という感じを抱かせる日本で唯一の都市だ。 Fri Jul 23 17:13:10 2010 Keitai Webから

大津から山を越え、山科を経て、さらに一山越えて、京へ。新幹線とも名神とも異なる、少し新鮮な「入る」感じ。 Fri Jul 23 17:17:45 2010 Keitai Webから

西脇着。 Fri Jul 23 20:17:06 2010 Keitai Webから

思ったより都会? Fri Jul 23 20:20:26 2010 Keitai Webから

しばらく山道を走ってきたからか。 Fri Jul 23 20:21:36 2010 Keitai Webから

美術作品に「もの」は必要か。 Sat Jul 24 02:18:16 2010 Keitai Webから「物語」は必要か。 Sat Jul 24 02:20:05 2010 Keitai Webから

「物語」へ向かうのか、「物語」からの逃走を続けるのか、「物語」に寄り添うのか。 Sat Jul 24 02:24:14 2010 Keitai Webから

リハビリテーション。 Sat Jul 24 02:27:28 2010 Keitai Webから

大きさの、尺度の問題。 Sat Jul 24 02:52:27 2010 Keitai Webから

今日の月は確実に、でかい。 Sat Jul 24 02:55:44 2010 Keitai Webから

80年代の「絵画の復権」ブームとその議論は、結果として「平面作品の復権」あるいは「平面的表現の復権」へと収斂していったのではないか。それは言うなれば「商品としての美術の復権」だった。 Sat Jul 24 04:55:09 2010 Keitai Webから

だが当時、そのムーブメントの中で注目された作家たちの多くは、どちらかといえば「描くこと」そのものや「絵画とはなにか」に関心や動機づこがあり制作していたのではないだろうかか。 Sat Jul 24 04:58:31 2010 Keitai Webから

ほとんど同じことのように見えるが、微妙なずれを感じる。 Sat Jul 24 05:00:39 2010 Keitai Webから

そもそも「復権」すべき「権利」なり「権力」が、絵画にあったのだろうか。「商品価値の復活」なら納得がいく。 Sat Jul 24 05:02:54 2010 Keitai Webから

「かか」…。 Sat Jul 24 05:04:51 2010 Keitai Webから

携帯でTweetすると、カタカナが自動的に半角フォントになる。(それとも携帯で見ると?) Sat Jul 24 05:10:18 2010 Keitai Webから

動機づこ→動機づけ Sat Jul 24 05:25:49 2010 Keitai Webから

寝よ。 Sat Jul 24 05:26:20 2010 Keitai Webから

思ったより、いや驚くほどきれいな街。ごみが落ちてない。 Sat Jul 24 09:38:11 2010 Keitai Webから

村上モータープール。 http://bit.ly/aloSw8 Sat Jul 24 09:57:48 2010 Keitai Mailから

ごみ発見。 http://bit.ly/d2canB Sat Jul 24 11:18:59 2010 Keitai Mailから

ごみがないということは、無用のものがないということか。 Sat Jul 24 11:45:47 2010 Keitai Webから

必要性を奪われたものはたくさんあるのだが。 Sat Jul 24 11:48:05 2010 Keitai Webから

無用に見えるものはすぐに廃棄、ということか。 Sat Jul 24 11:49:30 2010 Keitai Webから

12人がかりで草刈機を使い、大爆音で草を刈っている横で、ひとりカッターナイフで草を刈る。 Sat Jul 24 16:29:23 2010 Keitai Webから

青い匂い。 Sat Jul 24 16:30:45 2010 Keitai Webから

草を刈るというより、草の先端をカットする加古川の河原。 Sat Jul 24 16:38:29 2010 Keitai Webからhttp://photozou.jp/photo/show/704014/43853231 Sat Jul 24 16:41:13 2010 Keitai Mailから

http://photozou.jp/photo/show/704014/43853272 Sat Jul 24 16:41:36 2010 Keitai Mailから

地元関係・協力者を招いてのレセプション・バーベキューパーティー。作品、完成せず。暗くなってきたところで諦め、遅れてかけつける。想像通り食べ物は皆無だったが、遅れ組のための追加肉にありつく。 Sun Jul 25 03:43:29 2010 Keitai Webから

奮発した但馬島牛は、最後残りそうになったのを塊のまま網にのせ、表面だけ焼いたレアが最高に旨かった。 Sun Jul 25 03:45:23 2010 Keitai Webから

遅れてかけつけた飲みの常として、やや飲み過ぎ。明日(今日)午前10時のオープニングまでに完成するか、かなり怪しくなってきたが、明日中にどうにかしなければ。 Sun Jul 25 03:53:06 2010 Keitai Webから

但馬島牛→但馬牛 Sun Jul 25 04:07:14 2010 Keitai Webから

暑い……。このタイミングで屋外制作。間違いなく熱射病にやられそうで、しかたなく15分ハーフ。ハーフタイムはキリンカップ並み。 Sun Jul 25 12:18:34 2010 Keitai Webから

とりあえず形になった、かな…。 Sun Jul 25 15:39:04 2010 Keitai Webから

屋内1か所、半屋内1か所、屋外1か所の計3か所でインスタレーション。 Sun Jul 25 15:41:20 2010 Keitai Webから

そして、あらためて自分がなにをやっているのか問う。 Mon Jul 26 03:32:22 2010 Keitai Webから

限りなく存在感の希薄な「作品」へのベクトル。 Mon Jul 26 03:36:05 2010 Keitai Webから

美術表現にどこまでインプロビゼーションが可能なのか。 Mon Jul 26 03:39:31 2010 Keitai Webから強度の問題。 Mon Jul 26 03:41:16 2010 Keitai Webから

埋め戻し。 Mon Jul 26 03:42:25 2010 Keitai Webから

腐敗。 Mon Jul 26 03:42:57 2010 Keitai Webから

美しいということ。 Mon Jul 26 03:45:52 2010 Keitai Webから

問うこと自体には時間が不可欠だろう。 Mon Jul 26 03:54:32 2010 Keitai Webから

純粋さへのベクトル。 Mon Jul 26 04:03:41 2010 Keitai Webから

エンタテインメント性。 Mon Jul 26 04:04:54 2010 Keitai Webから

作品の設置というより、設置という制作作業なのだが、それが“とりあえず”完了しても、かたずけなければならない問題が数多くあり、この時間になってしまった。インスタレーションももう少し手を加えたい気持ちもあるが、そんな場合に手を加えても、ろくなことにならないことを経験上知っている。 Mon Jul 26 18:09:57 2010 Keitai Webから

さ、帰るか。 Mon Jul 26 18:10:56 2010 Keitai Webから

月に土星の輪っかのような雲がかかっている(ように見える)。 Mon Jul 26 19:56:03 2010 Keitai Webから

「GAW展7 路地から路地へ in西脇」25日開催。8月28日まで。 Wed Jul 28 04:34:42 2010 Keitai Webから


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