"Existence uncertainty"との偶然の出会い

7月10日 19時ーー

日中に5ページ分のニュース原稿を仕上げ、この時間からようやくゲラを読み始める。
私の仕事は「編集記者」。小さな会社の小さな雑誌なので、記者として原稿を書きつつ、編集の仕事もする。

ひたすら言葉を書き続けた後なので、やや頭が朦朧としている。
しかも、英語で書かれたものに関する論考なので、必要に応じて原文も参照する必要がある。なかなかヘビーな作業だ。

つらつらと読み進めていくと、ある言葉に目が吸い寄せられた。
"Existence uncertainty"、直訳すれば「存在の不確実さ」とでもなろうか。

私の目の前にある文章は、哲学に関するものでも、文学に関するものでもない。実を言えば、会計(Accounting)に関するものだ。
にもかかわらず、「存在の不確実さ」という一見すると「そぐわない」用語に出会った。それがなんだか、とても嬉しかった。

会計にはどうしても数字が付きもの。ただそれは結局、人間が活動した結果を「共通言語」で現したものであり、会計の本当の肝は「いかに人間の活動を描写するか」にあるのかもしれない。
ややこじつけ感はあるが、そう考えると会計の世界も、ぐっと哲学や文学の世界に近づいてくるような気がしたのである。

頭は疲れながらも、今日はそんな嬉しい気づきがあった日だった。

【おまけ】

原稿を書いている時、「項目」と入力しようとして最後の"k"を入力し損ねたらしく、画面に表示されたのは「孔孟」。これまでどこかで出会ったことがあるのかもしれないが、少なくとも記憶にはない言葉だった。
意味は、読んで字のごとく「孔子と孟子」を指すらしい。
先ほどの「存在の不確実さ」は意外な文脈で意外な言葉に出会った例だったが、この「孔孟」は何の脈絡もないところに突然孔子と孟子が登場したので、思わず一人で笑ってしまった。

人は日々、誤入力・誤変換を通しても、新たな言葉を身につけることができる。学びの機会に溢れた、なんとも良い世界ではないか。

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