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それぞれの「リトル・トーキョー」

2月9日(土)、中島みゆきの「夜会VOL.20 リトル・トーキョー」を観た。
少々、ここに雑感を書き残しておきたい。以下、若干の「ネタバレ」を含むことを付言しておく。

夜会とは

夜会は1989年に始まった公演で、平たく言えば音楽劇。ストーリーとポップミュージックが融合したもので、多少スタイルを変えながら今回20回目を迎えた。ちなみにご存じない方もいらっしゃるかもしれないが、中島はいわゆる「普通のコンサート」も継続しており、基本的には夜会とコンサートを1年毎に交互に行うことが多い。

ここ数年の新作夜会のテーマについて、巷では
・「VOL.15 〜夜物語〜元祖・今晩屋」/「VOL.16 〜夜物語〜本家・今晩屋」は「逃げる」
・「VOL.18&19 橋の下のアルカディア」は「捨てる」
と言われてきた。

「リトル・トーキョー」とは何か

では、今回の「リトル・トーキョー」のテーマはなにか。私なりに解釈すれば、「帰る」と「進む」だ。

公演パンフレット冒頭の「御挨拶」には以下のように書かれている。

ゆく先々の国で「リトル・トーキョー」という名は、よく使われていて、
それは時に、地図にも載っていない、通称としての一区画を
指していたり、スーパーマーケットの名だったり、
食堂の名だったりもするのですが、
いずれにせよ、初めて訪れた時からいつも
私は、不思議な感覚に包まれるのでした。
日本直輸入の箪笥から、現地工場で日本のレシピどおりに
作られた食品まで、ごちゃまぜに、なんでもあるのに
なにか不思議な国へ来たような。
東京には けっして存在しないトーキョーが
そこに創り出されて、
独立して 育っているような、眩しさ。
彼らは、いったい何を創ろうとしてきたのだろうか………

そんな思いに端を発して生み出された今回の公演における「リトル・トーキョー」は、街の一区画ですらなく、北海道に建つクラシックホテル内のパブの片隅にあるステージの名前。
でも、よく舞台を観てみると、そのステージの上で歌われる歌はどれも、中島みゆきが過去に発表した曲。ここ20年ほどの夜会がすべて新曲ばかりで構成されてきた中で、なぜ今回は既存曲を織り交ぜてきたのだろう…と考えていたのだが、もしかしたらステージとしての「リトル・トーキョー」は「来し方(過去)」の象徴なのかもしれない。

異国に居ながら、かつて自分が、もしくは自分の祖先が過ごした「トーキョー」を再構成するかのように創るのが「リトル・トーキョー」。それは、心の拠り所・仲間との絆を結ぶ場所・帰る場所としての意味も持ちうる。

「帰りたくて帰れなくて 帰る先を失くしたら
帰りたさの欠片のような 小さな場所をつくりましょう

似ても似つかなくても 名前だけでも似せて
誰かが待ってる 束の間の国」

これは、今回の公演で繰り返し歌われる表題曲「リトル・トーキョー」の歌詞の一部。中盤ではラッキィ池田氏の見事な振り付けによる群舞が披露されるのであるが、それも相まってとにかく印象に残る曲。というか、「印象に残す」ことを意図して配置されているようにも思える。

「リトル・トーキョー」から踏み出す新たな一歩

だが、ストーリーの最後、「リトル・トーキョー」は雪崩によってホテルごと倒壊する。「リトル・トーキョー」に留まることで基本的に皆の命は助かるが、もうその再建は叶わない。
とは言え、決してストーリーは絶望感に包まれて終わるわけではない。むしろ、「リトル・トーキョー」が無くなった後、皆がそれぞれの道を歩み始めることが示唆される。

このご時世、物理的にも精神的にも、帰る場所を失う人は多い。それでも生きていなくてはいけないのが人間である。
直接的にそんなセリフはないが、「過去は過去でとても大事だし、それは心の拠り所にもなる。けれども、そればかりにとらわれていてはいけなくて、どこかのタイミングで新たな一歩を踏み出すことも必要なのだよ」ということを伝えられたような気がした。

「リトル・トーキョー」に相当するものは一人ひとり違っているだろう。それぞれの「リトル・トーキョー」を改めて見つめ直して、そこからまた歩みを進めていこう。

全身全霊をかけた歌

あくまで一回観ただけの、そしてメモも何もしていない状態での感想なので、大いなる誤解をしている可能性もある。でも、たしかに私は今回の公演から「明日を生きる活力」を受け取ったのである。

それは、ストーリーもさることながら、間もなく67歳になろうとする中島みゆきが全身全霊をかけて歌っている様子を目の当たりにしたことも大きい。ここ数年、以前に比べるとやや声の調子が落ちてきていて(私が言うのも大変おこがましいのだが)年齢というものを意識せざるを得なかったのだが、今回、ものすごい盛り返しようだった。単に「調子が良かった」というだけではなくて、何か相当の努力をしたようにも思える。「え、そんな高いパート歌っちゃうの!?(しかもちゃんと音が出てる)」とか「え、そんなロングトーンできちゃうの!?」と思うシーンがいくつもあった。
純粋な気持ちで、「彼女がこんなに頑張ってるんだから、自分も頑張らなくては…!」と思わせる気迫だった。

幸い、もう一度鑑賞する機会がある。何かまた新たな発見があれば、改めて記事にしたい。
※個人的には、もう3回くらい観に行きたい…。

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