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みんなで作る

西国分寺にある「クルミドコーヒー」さんで行われた、「クルミドの夕べ」と題するイベントに初めて参加してきた。

クルミドコーヒーさんのことは「語学塾こもれび」のお二人から聞いて知っていたし、お店にもつい先日お邪魔させていただいたばかりだったのだが、そのオーナーでいらっしゃる影山知明さんにお会いするのは初めてのこと。

影山さんは、先日来こちらでも何度か「語学塾こもれび」のブログを通じて紹介している、『ゆっくり、いそげ』(2015年、大和書房)をお書きになった方である。

今回のイベントは「出版の新しい可能性」ということで、『ゆっくり、いそげ』の続編を出すにあたり、どのように進めていけば良いかの「作戦会議」的な要素もあったようだ。
イベントの様子を皆さんにお伝えするのはさておいて、ここでは例のごとく、今日感じたことを感じたままに残しておきたい。

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印象に残ったことは色々あるのだが、1つ挙げろと言われたらやはり「みんなで作る本にしたい」ということになろうか。

これはイベントの中でも発言させていただいたことなのだが、私の普段の仕事では基本的に、「著者と私(編集者)」だけで最終稿まで持っていく。それはかつてからの出版のやり方だろうし、当然良い面・悪い面があるはずだ(私は書籍の編集者ではないのであまり大きなことは言えないのだが)。
今日影山さんが提案されていた「査読版(ドラフト版)でみんなの感想を聞いて、それを反映させた完成版を作る」というやり方はそれとは異なる。実際のやり方は色々あろうが、そのように「みんなで作る」が実現できたならばとても面白いと思う。

それはおそらく、私自身が最近、「『本』と『みんな』」に興味を持っているから、ということもあるだろう。「本好きのタイプもいろいろ」と題した投稿で書いたように、読んだ本がきっかけで誰かと出会い、つながり、そこから世界が広がっていくことの面白さは何ものにも代えがたい。
あまりに単純な発想かもしれないが、完成形の「書かれたもの」でさえそうなのだから、さらにその前段階、「書くこと」自体も誰かと共有できれば、それはもっと面白いことが起こるのではないか、と漠然とながら考えたのだ。

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ここまでが、お話を聴きながら考えたこと。そしてここからは、帰り道に考えたこと。

チームで作るとしたら、匿名の「みんな」ではなくて、顔のある「1人ひとり」が浮き彫りになるような方法がいいな、と思う。

これもまたイベント中に発言させていただいたことだが、最近、クラウドファンディングで本を作る、というケースに出会うことが増えた。出資すると、最後のページに名前を載せてもらえたりする。私もこれまで何冊かに名前を載せてもらったし、ミシマ社さんのサポーターになって「みんなのミシマガジン」に名前を載せてもらったこともある。名前が載ることで、「他の誰でもない私」がたしかにそこにいる実感が得られる。

今回はおそらく、「名前を載せる」以上のことが想定されているのだろう。具体的にどうすればより良い形になるか、すぐ結論は出せそうにない。「完成版」は「完成版」としてきれいな形で製本しつつ、「みんなの書き込み入り版」として「○○さんはここに共感した。××さんはここに疑問を持って、こうなのではないかと考えた」など、各人が入れた赤字をそのまま残した版も作り、1人ひとりの考えが生のまま見えたりするのも、(実現可能性は置いておいて)面白いかもしれない。

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そして最終的に私はやはり、noteや語学塾こもれびに帰ってきてしまう。
noteも語学塾こもれびも、「みんなで作っている」実感があるから楽しい。こうしてnoteを書いている時は確かに1人だが、これをあの人やあの人が読んでくれるといいな、と思う時点でみんながいるし、語学塾こもれびも授業の時間は私だけのものではなく、そこに居合わせた人みんなで一緒に学び、考えている。

私にとって1人でいる時間も必要だが、みんなで作り上げる時間もやっぱり大切なものなのだ。

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