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「関わってもいいし、関わらなくてもいい」という関係性と場づくり

昨日は、秋田県曹洞宗青年会「随聞会」研修会にて講師を務めさせていただきました。

全2回の研修の2回目でテーマは「パンデミックや災害に揺るがないお寺像を描く」と設定しました。前半は未来の住職塾 松本紹圭塾長による講義で、「ネットワーク理論」をお寺にあてはめてコミュニティのあり方の変化を見たり、「日本のお寺は2階建て」(2021年アップデート版)の話などがありました。

後半を担当する私は「コロナ禍における寺院・僧侶の取り組み」として、主に神奈川県横浜市 日蓮宗 妙法寺さんの、2020年お盆参りの決断と2021年新年のお参りに際しての工夫について事例紹介しました。

個人ワークとシェアタイム、質疑応答まで含めて2時間半の長丁場でしたが、講師としてもすごく勉強になる時間を過ごさせていただきました。

質疑応答の中で印象的だったのが、「一般に開いたお寺のイベントや取り組みを、お寺らしさを損なわずに有意義なものにするために、どのようなことに気をつけるべきか?」という質問です。
この質問を受けて、つい先日とある調査のプロジェクトでインタビューさせていただいた東京のお寺の寺嫁さんの言葉を思い出しました。

私はお寺に嫁いでから、お寺の敷居を下げて多様な人々の居場所にしよう、お寺を中心とした大きな家族をつくろう、と考えていた。まずは多くの人に来てもらうため、坐禅会や寺ヨガをはじめてみたら想像以上に求めがあって驚いた。静かな場所、禅の教えに触れられる場所を求めている人もいるし、この場があったおかげで自死を思いとどまることが出来たという人もいた。世の中のスピードについていけない人、はじかれてしまった人を受け入れる場にもなっていると感じている。
でも一方で、その場にも勇気を出さなければ来れない人もいることがわかった。人付き合いがとにかく苦手だという人がいる。大きな家族をつくるのではなく、「関わってもいいし、関わらなくてもいい」という関係性や場をつくっていきたい。

一度、"お寺を開く" という方向で限界まで開ききったようなお寺さんが、その先に「関わってもいいし、関わらなくてもいい」という関係性・場づくりの重要性を見出したということは、すごく本質をついていると感じました。

そしてもう一人、最近お話しした都心のお寺の住職の声も思い出します。

都市部ではあまり密な関係は求められていない傾向にあり、どの檀家さんとも等距離でお付き合いできるように心がけている、昔のように、お寺が人を集めて皆さんのちからを借りるような意味合いでは弱くなっているが、今の時代は社会のどのような組織においてもそのようなやり方はあまり求められていない。お寺に関わる人々は、目的に応じてグループ単位、家族単位で適切な距離で関われれば良い。新たにご縁をもたれる方々を見ていても、横のつながりはあまり求めていないように見える。

詰まるところは「おひとりおひとりとの個別の関係性はフレキシブルに」「みなさんとの関係性は浅くも平等に」ということを言ってらっしゃると受け取りました。都心のニーズ傾向という側面のあるお話しですが、普遍的なことだと思います。

「みんなのお寺」をひとつつくるのではなく、ステークホルダーそれぞれにとっての「わたしのお寺」をたくさんつくること。それは、松本塾長が「ネットワーク理論」をヒントとして話していた「所属するコミュニティから接続するコミュニティへ」というキーワードとも符号します。

コロナ禍において不安や孤独が増す一方の日本社会において、「みんなのお寺」に所属してもらうのではなく「わたしのお寺」としてつながってもらうことが、多くの人々の安心に繋がるものと期待しています。

秋田県曹洞宗青年会様、良き学びの機会をありがとうございました!


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