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やってきたことは間違いじゃなかった

今日は諸々あって、なかなかうまく文章を書いてひとつの読み物にまとめあげることが難しい。下書きはたくさんあるのだが、仕上げられるメンタリティになくて…

だが、そんな中でとびきりうれしいことがあったのでご紹介する。これに比べたら他のことなんで大抵かすむ。

息子(=たっくん)の通級クラスにて

私は、息子が物心つくかつかないかの頃から、ほぼ毎日、寝る前に欠かさずに「大好きだよ」と言葉にして伝えている。

これと別で「常に味方だよ」というのと「私の宝物だよ」というのを週1くらいで伝えている。毎日3つだと冗長かなと思って、こちらは頻度控えめ。

言葉にして毎日公言すれば、否応なくそうだと思えるのかなあという考えだ。

私自身は、なかなかに厳しく、ヒステリックに育てられたので、小学校高学年あたりになってくると実母からの愛を疑うこともしばしばだった。(まぁ昔は情報もないし社会もガサツだったから大抵そんなもんだったろう)

なので、せめてその点ははっきりさせて育てる、というのは決めて父親をやらせてもらうことにした。

小学校に入る前後頃からは、彼がいかにラッキーな択を(たまたま)選べてきたのかを都度説明してきた。

多分全然わからないだろうなと思いつつではあるが、運不運があること、彼の身の上は今のところはたまたまラッキーが続いていること、それがいかに稀有でありがたいことなのかは教えてきた。

今日、彼はこれらの私の言葉をしっかりと吸収して日々暮らしているようだ、ということが明らかになった。

子供ながらにも様々なことはあるだろう。特に発達障害傾向のある彼は、大人以上に生きにくさを感じる場面はきっとあるはずだ。

それでも、幸せだなあと感じることができるようで、その源泉に父親からの言葉が根拠になっているみたい。いままで彼に声をかけてきたことが間違ってはいなかったようで、本当に嬉しい。

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