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パチンコ・パチスロから足を洗った歴史を語ってみる

若い頃からの稼ぎを計画的に貯金できていたらなぁって誰でも思いますよね?人生やり直せたら、あんなことやこんなことをするぞ(もしくはしないぞ)って思いませんか?

貴重な年月と稼ぎを35歳まで、ことごとくパチンコ・パチスロ・酒に費やしてきました。

今回は私が若かりし頃に重度のパチンカスだったことと、いかにして足を洗ったのか、という読み物です。

大卒なのに非正規雇用で働き出すことになって辛かった


誰もが将来に期待と不安を抱えて社会人になるものです。

私は就職氷河期と言われた頃に大学を出て就職することになりました。

しかし地方の大した事ない大学の経済学部卒で、学生時代に何かに熱心に取り組んだりしたエピソードもない私ごとき低スペック学生が望むような進路など叶うわけもありません。

そんな具合だから就職活動なんて、もう適当でした。

私は「どうせどこに入っても同じだろ」って感じのダメダメ~な理由でパソコン量販店のスタッフとして社会人を始めました。始めたって言いますけど、コレ非正規雇用です。

大卒で非正規雇用からのスタートっていうのは自分が想像していた社会人デビューとはかけ離れていて「詰んでるなー俺」って感覚が凄かったです。

その頃ITを取り巻く環境といえばWindows XPが出てきて32bitOSの安定性によりパソコンがとても使いやすくなりはじめていました。

音楽 CDやDVDのコピーも盛り上がりってました。ADSLによる常時接続が当たり前になり始めた頃でYahoo!BBがネット接続の価格破壊を進めてシェアをとり始めていたのを覚えている方も多いでしょう。業界の景況は悪くなかったです。

毎晩遅くまで働き、仕事の後で遊び、眠気の限界まで遊んで、朝はギリギリに起きる、という暮らしをしていました。

「非正規雇用で詰んでる」という劣等感を抱えていた私は毎日のように正社員になりたいと思いながら働いてました。

悪くはない景況ゆえに残業代含めてお給料はまぁまぁもらっていたので、欲しいものは欲しいと思ったらすぐ買って、酒飲んで、寝る、というサイクルで日々が過ぎていきます。

学生時代以来のパチンコへの復帰、そしてパチスロの熱狂にはまる


(非正規雇用だけど)一応社会人になったので、それまでは想像もできなかったような額の現金が手元にきます。学生時代からやっていたパチンコは徐々に飽きていたため一旦やめていたのですが、なまじ現金があるものだからパチンコホールへ戦線復帰です。

次第に、ほぼ毎日のように「ホーム」と呼んでいたお気に入りのホールに足を運んで情報収集を行なうようになるまでは1年かかりませんでした。

そんな頃に職場の親しい仲間からスロットを勧められたんですね。初めてやったのが「北斗の拳」です。

パチンコが基本ハンドルを握っているだけなのと比べて、スロットは高速で回る3つのリールを押して目を揃えていくという遊びです。

最初にやった時には全然勝てなかった。

でも、自分が操作している感覚も面白かったし、昔読んだ漫画の世界感そのままに、ケンシロウがシンやサウザーと戦う様が衝撃的でこの遊戯台にすっかりやられてしまいました。

何とかしてケンシロウが勝つところを見てみたい、ラオウと戦うところを見たい!っていう(だったら漫画読めよ・・・って話なのですが)ただそれだけの衝動で次の日も次の日も、詳しくもないのにスロットをうちに行きました。

1週間後にようやく10連チャン以上(約5万円)の大当たりをひくことができました!!!原作同様にケンシロウとラオウが延々と繰り広げる宿命の戦い・・・!この時既にパチスロ沼にどっぷり浸かってしまったのです。

その頃のスロット台は4号機と呼ばれるタイプで、射幸性が高いのが特徴でした。今じゃ考えられないですが「万枚」といって、1日で収支が20万円を超えることも珍しくなかったんです!

私の最高記録は1日24万円×2日連続を含めて10日間負けなし、110万円の純利益をホールから引き出したことがあります。あの時は車買っちゃおうかとか思ったりしたなぁ・・・。

都合が悪いからか負けってあまり具体的には覚えていないのですが、半日で10万円負けるなんてことも時々ありました。

ああっ、思い出した!仕事で出張に行った先で8万円×3日連続で負けて帰ってきたという「何しに行ったんだ?」ってエピソードも・・・うっ、頭が・・。

ひどい時には半月ずっと連敗が続いて食費がゼロ続きなんて地獄も体験。

某掲示板ではオハセン(おはよう1000回ハマり:朝イチから並んだのにいきなり数万円負けが込むこと)という恐ろしいワードも踊るほどにスロットは「修羅の国」状態でした。

日によって良し悪しはあるんですが、一度当たると5万円前後はすぐに出てきますので、5万円というのを1つの基準にしていました。うまくいきそうな流れの時は10万円以上を狙うという感じですね。

つまり、負ける時は5万円前後負けるのですが前日に5万円位は勝っていたりするものだから「まぁいいじゃんいいじゃんー、プラスマイナスゼロよ(なんだその謎理論は?)」みたいなことを周囲にはうそぶいていましたね。この頃にはちょっとした博徒気取りです。

カイジや哲也が漫画で連載されたりして、妙に勝負師という世界がフォーカスされていたのも影響あると思います。

何者にもなれないチンケな自分に「そうじゃないんだ!」と自己暗示をかけてたんでしょう。当然この頃もまだ非正規雇用街道まっしぐらです。もちろん彼女なんていません。

貴様の人生はそんなものか・・・!


非正規雇用でも頑張って仕事に行って夜遅くまで働き、ホールへ行って情報収集は怠らず、パチンコ雑誌、パチスロ雑誌を読みながらどうすれば勝てるのかの研究に時間と労力を注ぎます。

データを記録・分析するためにPCを買ってしまうくらい、のめり込みます。

しかし、パチンコやパチスロという機械は行き着くところ、原則として設定された確率を単純に回しているだけです。よほど極めたプロでもない限り研究やデータ分析の先に望むような結果はありません。

更に悪いことにパチスロが射幸性を煽りすぎるというのが世間で問題になってきて、パチスロに規制がかかるようになりました。(いわゆる4号機の終焉)

これに伴って私の収支も赤字が先行します。何故赤字が進むのかさっぱりわかりません!でもまぁ当然ですよね、規制も厳しくなって、そうじゃないと店舗は成り立たないですもんね。

私は「自分の腕が悪い、分析が甘い」って勘違いをして、スロプロを自称する皆さんのブログを見て回りながら自分の実力不足を反省する日々です。

仕事はもちろん非正規雇用のままでございます…ってなんか根本的におかしいけど全然気がつかない。

この頃になってくると同級生の中でも出世や結婚、新築でマイホーム建てる奴が出てきたりします。

焦るんですよね。
だけど、非正規雇用ルートから抜け出す方法がわからず、普通の社会人に路線変更する手段もわからず、っていうか自分自身どうしたいのかとか根本的な解決策が判らないまま、現実逃避気味にほぼ毎日スロットをうちに出かけます。

で、そんなある日、新台で出たばかりの「エヴァンゲリヲン」を打っていました。

序盤少々苦戦したのですが最終的にはドル箱にコインをカチモリ(見せびらかすようにコインを積むこと)して終了しました。

その日は間違いなく他のお客さん達と比較しても一番の勝ち頭です。どやぁってなもんですよ。

で、これを換金すると28,000円でした。投入したのが10,000円で、仕事が終わって何時間も居座ったのにたったの18,000円…リスクもとってるのに時給換算するとまるっきりワリに合わない!

さっきまでの熱狂はどこへやら、急激に覚めてきます。そして今の今まで15年間いたずらに意味の無い時間を使ってきたという事実がいきなり脳みそを駆け抜けていき、愕然とします。

今までの俺の20代、30代って何だったんだ。何度も気がつくチャンスはあったはずなのに!

長いようで短い人生、取り返しのつかないダメージ。

幸せになっている奴らと自分との差は、ここじゃないのかと気がついてしまった。

帰り道の車中であまりの虚しさに、涙が頬をつたいました。

天に還る(パチンコ・スロットをやめる)時がきたのだ


悪い事は続くもので、その直後に母が交通事故にあい、入院します。

家族間でもダントツに何もない私ですから、病院へ駆けつけるのも一番早かったですし、見舞いも毎日行きました。もうスロットどころじゃないです。

母は頭部を打っていたので脳出血の手術。
車のスピードがそれほど出てなかったことと、事故の後で病院へすぐに運ばれたのが功を奏して手術は無事成功です。

母がようやく車椅子に乗れるようになった頃に、私が車椅子をひいて病院の表玄関や庭まで連れていくようになりました。

「もう大丈夫かな」ってなった頃に、ある日、母から病院の玄関口で「自立してほしい、しっかり生きてほしい!!」って訴えられました。

ふがいない私に叩きつけるような大声と号泣。

大きな病院の玄関口で35歳の男が車椅子に乗った母親からそんなカッコ悪い内容でしかられているわけですから相当恥ずかしい場面です。

でもそんな事はどうでもよかった、本当に辛い想いをさせていたんだなっていうのだけが心に響きました。その時の事は今でもはっきりと記憶に残っています。

私自身もたまたま母の交通事故直前にスロットを辞める気持ちが固まっていたこともあって、これで完全にパチンコ・パチスロから引退となりました。

パチ引退したその後、どうなったか


母の予後は良好でしたから、いよいよ私自身が今後どう生きるのかが問われる局面です。

まず、非正規雇用の立場を何とかしなければならないと考えました。
時給制ゆえに休暇を取れば月収に直撃するという暮らしは計画が立てられないので最低でもそれを何とかしたかったのです。

そして売上やノルマの要求が強烈な、今まで歩んできたような環境はもう嫌だなとも自分で決めたのです。

極論、小売・販売や営業から離れるということ。転職するからには「世の中に必要とされる立場」での仕事をするべきだと思い、自分自身が求める条件を1つ1つ細かく決めていきました。

条件というのは

・絶対に正社員。契約とか登用前提とかじゃなくて最初から完全に正規雇用

・営業のための頭数あわせじゃなくて、本当に必要とされる職場

・残業が無いor少ない

・人事が公正である(それまではえこひいきが凄い会社でした)

・自分なりにこれだけは必要という給与の額と賞与のラインを上回ること

さらっと書きましたが地方都市で35歳まで非正規雇用だった男がこの条件を全て満たすトコへ転職をするというのは至難の業です。

そこからは妥協しない転職活動を展開することになります。「40歳になる誕生日までに条件を満たす職場への転職を実現する」と、毎日赤ペンで手帳に書いたものです。

生活の糧を得る必要はあるので非正規雇用のままで耐えて働きながら機会を伺い続け、転職試験は7社受けました。

毎回最終面接までは進むのですが、最後の関門を突破できないまま数年が過ぎました。

7回目の転職試験で遂に内定をいただき、手帳に書き連ねた通りに40歳になる1週間前、現職へ転職することに成功!!

目標を文字で書くと、夢は実現するって本当なんだぜ!

ギャンブルに熱狂している方に伝えたいこと


今、ギャンブルにはまってる方に聞いて欲しいのですが

本当は漠然とした不安や焦りを感じていませんか?薄々なんかやばいなーって思っていませんか?
大事なものを見て見ぬふりをしていませんか?

私は35歳までパチンコホールに通いましたが、そこには価値なんて何も無く、月日を費やした後に残されたものは虚しさだけでした。

でも、1日でも早く辞めれば辞めるほど、自分の人生を取り戻すチャンスも早く訪れます。

何かを辞めたり始めたりするのに、遅すぎるということはありません。「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」といいます。

ギャンブルにはまっている自分を認めるということが恐ろしいのは体験者として判ります。

だからこそ、もう辛い気持ちをごまかしながらギャンブルと付き合うより、自分自身が幸せになる事を最優先で考えてもらいたいです。

幸せになるのにも準備期間がいるので1日も早くギャンブルをやめて、目標を紙に書くところからスタートしてください。意外と事態は好転しますよ。

私も応援します。
連絡ください。

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