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生徒に見透かされた話

表紙は夕刻に帰った後、プランターにゴーヤの種を捲く様子である。昨年、食べたゴーヤからとった種。出るかどうかわからない。

さて、朝、いつも通りにフラフラと生徒玄関周りを歩いていた。
「はいー、おはようございまーす。」と声かけする。

とある生徒が開口一番に
「先生、今日元気ないですね。」

ドキッとした。
ご名答。仰る通りであります。

昨日、小さな注意を受けてちょっと凹んでいた。朝は、なんとなく抑うつ感があった。
私はとても繊細なのである。ちゃんと調べたらHSPになると思う。

こういう状態でも頑張ろうと試みる。
しかし、朝一発目から生徒に指摘されるとは…

嘘はつけないのだ。

生徒のために身を粉にして働くのはよろしくないのは、このためだ。

「教員は聖職だ」的な論調で、所謂教員らしさを求める風潮はいまだに根強い。

聖職だというのであれば、教員には目の前の子どもたちに良い影響を与える存在でなくてはならないだろう。

無理に踏ん張ったり、嘘をついたりする姿勢は今朝の私のようにいとも簡単に見透かされてしまうのである。正確に言えば、そのような人の変化を察知するのに優れた子どもが一定数いるのである。

やるべきことは簡単だ。嘘をつかないこと、無理はしないことだ。

聖職論調で、ある方の思う理想の教員像を押し付ける方、子どものためにと自分を追い込んでしまう教員は、その無理が教育効果を下げていることに気づくべきではなかろうか。

ミラーニューロンというものがある。

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。

Wikipedia

要は、あくびが乗り移るように、人の感情は伝播するのである。
このミラーニューロンがあることによって、ホモ・サピエンスは社会性を構築し繁栄できた
という学説もある。

子どもたちの幸せを願うなら、教師はフリではなく本当に幸せでなくてはいけない。
子どもたちに元気に笑顔になってほしければ、教師が元気で笑顔でなくてはいけない。

ただそれだけのことである。

この論についてはブレる気がしない。
まぁ私もつい最近までその実感を持ちきれず無理していたが笑

朝は調子がイマイチだったが、授業しているうちに元気になってきた。
子どもたち支えてもらっていると本当に思う。

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