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説教?しました。

先日、理科の授業のなかで小さな指導案件が一件あった。
私も気付かず、授業後に発覚した案件である。

事実確認のなかで、理科の時間はなんだか自由らしいという話が浮上する。
当然、職員の中には首を傾げる方もおられるわけだ。
私も責任があるので、当該学年の職員に頭を下げる。
活動の内容も説明した。(おおまかにだが。)

大きな内容ではないので、学年職員からの指導で落ち着いたようだが、
これは生徒集団の成長のチャンスである。

しっかり説教したいと考えた。

当該学年としても、今後につながる話をしてほしいとの意向を確認。

説教と聞くと重たい話を延々とするイメージが浮かぶかもしれない。
この一般的なイメージとは少し違うかもしれない。
私自身は生徒に対して何もフラストレーションを抱えていない。怒りももちろんない。

ただ、このことが今後にどのような影響を及ぼす可能性があるのか、周りがどのように反応するのか、現在の集団としての学びの在り方はどうなのか、そして私自身の覚悟と不安についてを真面目に話した、という表現が適切かもしれない。

説教の内容

「先日の理科の授業のなかで、(あった出来事の概要を説明)ということがありました。
正直、私もそのときはわからず、後で他の先生方から聞いて私は知りました。
私は授業の責任者なので、当然頭を下げました。
その話のなかで、「理科はなにやら自由にやっているらしい。」という意味合いの話もありました。
私も説明責任がありますから、内容は大まかに伝えました。細かくは伝え切れないので言っていないこともあります。

最初に話した通り、皆さんの学習が自分のペースで行うようにするため、この学びの在り方が将来的に皆さんの幸せにつながると信じているからこその今のスタイルです。
これをスッパリやめて、一般的な先生が話す、皆さんが聞くというスタイルに切り替える覚悟とその準備はしてあります。
皆さんと私が対立したり、周りから目をつけられたりしてまで続けるメリットはないですから。

これを続けていけるかどうかは、私と皆さんの信頼であったり、周りの方の理解があって成り立ちます。

理科はトラブルばかりだ、となれば続けられないのは容易にわかるでしょう。

一番初めに話した通り、自分の目標を踏まえて学習を行動を選択できているか、集団として活動をできているかという視点で振り返ってほしいと思っています。」

…みたいな感じである。
クローバーノートで文字起こしすればよかったな笑

真面目に話したので、結構真面目に消えてくれた人が多かった。

これまでは、一般的にいう学習の在り方としてはまだ未成熟な状態であった。

昨日はほんの少しだけ、何か動きがあったように感じる。

さて、これもこれからどうなることやら。

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