問答その2 と タブレット課題
本日、授業は2つ。部会一つ。
午後からは出張である。
授業の最初に問答。
理科を持っているクラスで問答を実施。
訊かれたのは、
・なぜ理科の先生になったか。
・好きなゲームは何か。
・理科の先生になって良かったこと。
・人生で一番高い買い物。
・人生で一番嬉しかったこと。
・人生で一番楽しかったこと。
・給料はいくらか。
と言った内容。
昨日より深掘りされている。
回答は、私が言いそうなことである笑
書くと長いから書かない。
確かに自分が熱苦しく語るよりも伝わる感はある。
学習活動の様子の変化はあるようなないような…。
部会が一つ。
生徒のタブレット端末での週末課題の議題があった。
私は、生徒に一律に課題を出して、チェックするという行為に対してあまり意味を見出していない。
多くの教員は、「多くの生徒は一人でできないから」という世話心でこれを良しとするのだろう。
昔、そう思っていた時期もある。
ただ一律に強いた課題で子どもたちが成長したと感じた経験がない。少なくとも記憶にない。
結局、年度当初で皆で意気込んで「うん」と言いながら、教員もチェックしきれず、生徒の行いも疎になるという経験は幾度となくしてきた。
それは、私の見方、チェックが悪いとも言われるだろう。
ただ、それによって教師が見える範囲で学習してもそれは「学習のフリ」である。
「成長」ではなく、教師の言うことに「順応」しているだけではないか。
もちろんそれによって力をつける子もいるが、多くにはフィットしないことも学んだ。
もっと言えば「学ぶ」ということがどういうことなのか、子どもたちの主体性とは如何なるものなのかを実感した今ではこの類のものは益よりも害の方が大きいのではないとも思う。
…またズラズラと言いたいことを書いてしまった。
もちろんこんなことはズラズラとは言わず、「課題の作成や提示は喜んでやりますが、全員一律はいかがなものかと思います。これをやりたい子もいますが、他にやりたい課題がある子もいます。私が子どもなら嫌です。」と簡潔に丁重にニコニコ?と意見を言い、決定には従う旨を述べた。
午後は出張。
懐かしい理科の先生方と顔を合わす。
なんだかんだで理科が好きな気持ちはどこかにあるようだ。
そして直帰。出張は学校に戻ってはいけないと思っている。
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