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関所で

1996年5月15日(水)
わたしは外国(アメリカ🗽と思う)へ行くために関所に来ていた。大勢、いろんな国々の人間がいた。
机の向こうに書類審査をする、いかにもわたしのイメージするアメリカのおじさん然としたおじさんが座っていた。キャップをかぶり、ぼさぼさの髪は生姜色。赤ら顔で青い目で、太目なからだ。
ほどなく、書類に不備のなかった人たちが、どやどやと机の向こうへ行った。
わたしは行くことができなかった。何枚も手にした書類の一番上の紙に不備があった。
母親の姓名を記入する欄に書かれていたのは姓だけで、当然書くべき母の名が書かれていなかった。
わたしには母の名がわからなかったし、書くことに積極的になれない。
真面な顔で座っているおじさんの裁量で見逃してもらえることではない。わかっている。わかってはいるけれどもあっさり引き返すことができなかった。
向こうへ行かれなかった他の人たちも当惑しているようだった。

気がつくとわたしは座っていた。
何人もの人たちがぎちぎちに座っていたのだが、左隣の人間が押してくるので足と脚が痛いし、頭にきたので、キッと見ると、黒人で、年は二十代前半くらいの決して感じは悪くない男だった。しかし、脚をばかみたいに広げるだけ広げているのだった。それでも足りずなおも広げて自分の領土を確保しようとしている。
腹立たしく思いながら「押さないで。脚を平行にして座ればいいでしょ」と言った。この人に自分のことばが通じるのか?と思った。
若者の左隣には、痩せた白人の不安そうな女が座っていて、不安そうな女の左隣には太って苛苛したかんじの白人の男が座っていた。苛苛したかんじの男の左腕は壁と接していた。
苛苛したかんじの男→不安そうな女→若者→わたしへと、苛苛したかんじの男から順々に不快が届いているのだった。
若者は無闇にばんばん押し返しているのだとわかったので、彼が事を分けて考え、行動を改めることを期待して「あなたもきついかもしれないけど、一人分のスペースはあるでしょ」とことばを付け足していると、のしかかってきた。穴のような目。
迷惑にかんじた。
蹂躙される恐怖、恥、無力感などには包まれなかった。好きにされる心配はなかった。









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