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死ぬまでにつくりたい10の本と埋名著(my名著)Epi.2 竹中労の〝一発筆誅〟

夢だった芸能ジャーナリズムの世界へ足を踏み入れた20代のころ

 無頼な生き方にあこがれました。複雑な家庭環境から逃げたかった10代のころ、東京の山谷で日雇労務者になろうと思い、職安に相談したら「きみの行くところではない」と諭され、仕方なく別の仕事に就きました。皮切りは夕刊紙の三行広告の営業です。古びたビルの一室にあった小さな広告代理店で宇崎竜童似の胡散臭い社長から電話勧誘のコツを仕込まれました。他にも書店員や大手就職情報誌の営業外回り、スポーツ新聞の整理部記者など職を転々としました。実はスポーツ紙にはいたものの、紙面の中心だったプロ野球には関心がなく、芸能ゴシップが好きだったこともあり、最終面の文化欄を書くのが夢でした。それならいっそ実話誌の編集部に入り、芸能記者になるのが性に合っていると考えました。

 20代の前半、募集してもいないのに実話雑誌を持つ出版社いくつかに売り込みに行きました。そのひとつが倒産していまはない『桃園書房』でした。『問題実話』『小説倶楽部』を刊行しており、そこに潜り込めないかとアプローチしたら、運よく役員面接に呼ばれ、開口一番「あなたを採るつもりです」。その言葉に安心したのもつかの間、「ところでSMに興味はあるか」と問われ、一瞬絶句してしまい「……イヤー、まぁ、ないことはないですが……えぇ……ハイ」と答えながら、そうだここの系列会社の雑誌に『SMファン』があった!と気づきました。どうやらその編集部の強化か欠員募集だったようです。担当役員は、しどろもどろになった私の様子を見逃さず、翌朝「今回は採用を見合わせる」との速達が届きました。別のSM雑誌の編集部に入った後輩が、グラビア撮影で緊縛師の真似事をしていることを聞き、それも面白かったかもしれないとあとで少し後悔しました。

 小説よりもノンフィクションを乱読しました。戦後の高度成長を支えた団塊世代から、社会を冷めた目で見る傍観者的「しらけ世代」へ移る1970年代。日米安保条約改正阻止が本質だった学生運動を経験できず、政治の季節を知らずに、くすぶった気持ちのまま、こころの拠りどころを求める若者にとって、ベトナム戦争におけるアメリカ帝国主義を告発する『殺される側の論理』『殺す側の論理』など本多勝一の著作は、反体制への思いを強くさせるものだったと思います。遅れてきた青年の追体験という感じでしょうか。本多勝一にはまった私は、たとえば『NHK受信料拒否の論理』に感化され、40年間受信料を払いませんでした。

 ドヤ街である山谷での暮らしを考えたのは、上野英信や鎌田慧の影響があったかもしれません。『天皇陛下萬歳 爆弾三勇士序説』(筑摩書房)を書いた上野は、学徒出陣して戦争を体験しますが、戦後は京都大学を中退して筑豊炭鉱で坑夫として働き、やがて数々のノンフィクションを著します。鎌田はトヨタ自動車の期間工だった経験をもとに『自動車絶望工場—ある季節工の日記—』(現代史出版会、後に講談社文庫に収載)を書きました。自分も厳しい労働現場に飛び込み、そこで得た血肉が、身動きの取れない閉塞感を打ち破ってくれるかもしれないと淡い期待を抱きました。

大手出版社の絶対的タブーだった重鎮・松本清張にケンカを売る

 沢木耕太郎にものめり込みました。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『テロルの決算』(文藝春秋)では、日本社会党党首だった浅沼稲次郎を刺殺したテロリスト側の視点に立ち、その犯人・山口二矢の心情に迫りますが、2022年の安倍晋三銃撃事件を果たして沢木ならどう描いただろうかと考えたりします。

 ノンフィクション行脚は続き、梶山季之、上前淳一郎、児玉隆也、大下英治、佐野眞一、角田房子、猪瀬直樹、立花隆、柳田邦男、本田靖春、内藤国夫、室伏哲郎、大岡昇平、吉村昭、佐高信……作家名を挙げるときりがないのですが、手あたり次第に読み漁ることで、自分の内面が鍛えられてきた気がします。そして、芸能ジャーナリストとしてスキャンダルをも人間くさい魅力として描き、破天荒な生き方を貫いたルポライター・竹中労に熱狂します。
 
 芸能記者にあこがれていたころ、竹中の『完本 美空ひばり』『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』(いずれも筑摩書房・ちくま文庫)を読み、取材対象への底知れぬ愛情と、その恥部も含め手加減することなく人物へ肉薄する筆致に痺れました。『桃園書房』を落ちたあと、1984年に『週刊ザテレビジョン』編集部に入り、俳優やアイドルたちののインタビューや、収録現場の様子をグラビア記事として面白おかしく書き飛ばしていた私は、傾倒していた竹中のように、ペンで格闘するに足るタレントを常に求めていました。
 
 竹中の主だった著作は、ちくま文庫で読めます。筑摩書房のホームページを見るとすべて在庫切れとなっていますが、大手書店の文庫売場には比較的並んでいるようです。困るのは、竹中に深入りすると読まずにいられなくなる本が増えることです。それが今回の〝埋もれた名著〟『エライ人を斬る』(三一書房)です。『週刊読売』の連載記事を中心にまとめたものですが、時の首相だった佐藤栄作の妻・寛子を「〝庶民〟ぶるネコなで声の権勢欲夫人」と揶揄し、連載が打ち切りになったことで、寛子夫人と出版元の読売新聞社社長である務台光雄を訴え、その顛末も記したいわくつきの本です。その記事も凄まじいのですが、特に読みたかったのが文壇の大御所だった松本清張の取材先での行状を暴いた記事です。以下、冒頭を引用します。

キューバ筆禍事件 松本清張を斬る!

 オレはいま、大手各出版社の週・月刊雑誌から、シメ出しの悲哀を味わっておる。 その理由という のは、大作家松本清張氏にタテをついたからだ。『話の特集』に目下連載中のルポ〝メモ・キューバ〟の文中で、清張氏のキューバにおける行動を指弾したのがコトのおこりであった。
 本年一月、オレは同国を訪問し、たまたま〝ハバナ文化会議〟の日本代表として招かれとった清張氏に、かの地でお目にブラ下ったのだが、カレの尊大なるふるまいことごとくアタマにきたのであっ た。およそ、権威ツラするものに対して、見さかいもなくカミつく狂疾を有するオレにとって、 松本清張先生のかの地における態度てえものは、生来の権門アレルギーを触発するには存分だった。
 第一に、清張氏は『文芸春秋』の記者を秘書として同伴、使役しておった。もし、私費を投じてアシスタントに雇ったというのなら、(それも嫌味だが)オレは文句をつけたりはしない。
 だが、実情は諸経費キューバ持ちである。O記者もまた、代表団の一員である。これはどういうことだ?
 日本代表団七名、 ―—その中の一名は作家松本清張の〝秘書〟であると、キューバ側に断わったか。 まさか! とすると、 代表団にプライベートな目的で一名を便乗させたのである。O記者自身の発言によれば、清張氏は『文芸春秋』誌に「カストロ会見記」をモノする約束をしていた。
 ますますもって、けしからん!〝ハバナ文化会議〟とそれと、何のかかわりがある。しかも、 オ ール・ロハである。先生の十分の一にもみたぬ稿料を必死にたくわえて、ようやっと航空運賃をひねり出したオレなんぞ、その一点だけでもカッカときちまう。年間に何千万円も稼いでおるのに、その うえ『文春』のフンドシで角力をとろうなんざ、ケチを通りこして強欲ってものだぜ。
 第二、かんじんの〝ハバナ会議〟に清張先生、まるで出席しなかったのは、どういうわけだ? 秘書までご同伴で招待受けておきながら、一日も会議に顔を出さぬという法があるだろうか? キューバ国家に対してこれ以上の非礼、侮辱はあるまい。
 会議に出ないで何しとったかてえと、ひねもすホテルの部屋にいて、カストロ首相からインタビューOKの返事がくるのを待機していた。その間のイキサツは、『週刊文春』〝この人と一週間〟にくわしい。カストロの返事がないので、清張氏はカンシャクを爆発して、「待遇が悪い!」と文句ばかりタレておったという。全世界から四百人以上の代表が参加して、そのみんながカストロとの会見を希望していた。どだい、単独インタビューなど無理な相談であったにもかかわらず、 大作家松本清張の 〝権威〟が、かの地でも通用するかのごとき錯覚は笑止千万である。
 つまり清張氏は、ハナっから〝ハバナ文化会議〟なんぞ、どうでもよかったのだ。ただただ、出版社との契約しか念頭にはなかったのである。キューバが〝ハバナ会議〟にどのような志をかけ、国家と革命の命運をかけておったかということを、清張氏は考えてみもしなかったにちがいあるまい。そ の証拠には帰国後発表したどんな文章にも、この世界史的の意義を持つ会議について、ただの一行の 論評もない。――(中略) 

『エライ人を斬る』(1971年、三一書房)

 自らを江戸時代の戯作者に擬え、死を賭してお上(徳川幕府)に逆らった創作活動をストリート・ジャーナリズムと呼び、自分がその衣鉢を継ぐ覚悟を持った竹中。権力に対峙するとき、憚ることなく〝活字の暴力〟〝ペンのテロリズム〟を標榜、実践しました。

 一発必中ならぬ〝一発筆誅〟の論客として敬愛する竹中労ですが、雑誌記事など一冊にまとまっていない論評が膨大にあります。入手して傍らに置きたいので、よく『日本の古本屋』を利用します。

 全国1000弱の古書店が加盟しているオンラインサイトですが、私は東京都内か横浜近辺、なるべくなら神田古書店街をチェックして、直接買いに行きます。愛書家というほどではないのですが、何店かに同じ本がある場合、コンディションを見比べたいためです。もちろん地方の古書店にしかない本は、オンラインで注文します。現時点で竹中労の作品を検索すると、なんと!809点がヒットします。まだまだ〝お楽しみはこれからだ〟ということでしょうか。

 私自身は、アウトサイダーを気取ったものの、現実には世間の通念に抗えず、馴れ合い妥協することの連続でした。社会の底辺で生きてきた自負心が、たかが知れている生活の安定を得るうちに萎え、いつのまにか権威に阿り、組織の事なかれ主義に流されてきました。その怠惰な気持ちをもう一度奮い立たせ、理不尽なことに立ち向かう力を与えてくれるのが、優れたノンフィクションの効能だと思っています。

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