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舞台の上で輝く"推し"が今すごく苦しかったらどうしよう━Taylor Swiftと浅田真央と宝塚歌劇団に寄せて

戦士Taylor Swiftが凱旋し、獲得した武器を授けるライブ:The Eras Tour


 中学生の頃から10年近く大好きなTaylor Swiftのアルバムが届きました。4枚目の再録ver.アルバム、「1989 Taylor's version」。初めて参戦したTaylorのライブが2015年の「1989」東京ドーム公演だったため、個人的に非常に思い入れのあるアルバムです。

 いま、Taylor Swiftは、The Eras Tourというライブの様子を映画館で上映して世界中を席巻しています。話題のコンサートフィルムを見た興奮が醒めないうちにアルバムがとどき、改めてTaylorが私の人生に与えてくれたものについて考えを巡らしていました。


 Netflixで見られるテイラーのドキュメンタリー映画、"Miss Americana"の中にこんなシーンがあります。
 アメリカの中間選挙を控え、Taylorが民主党支持を表明しようとするのですが、「そんなことをしたらツアーの動員が半分になるぞ」と周りの大人に心配されて諭されるのです。これはなにも"Taylorをアイドル的なイメージに押し込めたいわからずやの大人"とかではありません。Taylorのかつての主戦場であるカントリーのジャンルで、過去に活躍していたディクシー・チックスが政治的発言によって凄まじい攻撃にさらされたことがあります。テイラーのホームグラウンドだったカントリーというジャンルや、ニューヨークに引っ越す前に住んでいたナッシュビルという地域は、保守層が厚いのです。テイラーの経歴的に、ほかのポップやロックのシンガーよりも摩擦が大きくなってしまいTaylorが危険に晒される可能性すらあったのだと思います。しかし、その後確かにTaylorが民主党支持を表明したことを知った上で見ると、かなり衝撃的なシーンです。


 そんな心配を吹き飛ばすかのように観客で埋め尽くされたスタジアムのど真ん中で、これまで自分が作り上げてきた世界をこれでもかというほど怒涛のように展開していくTaylorを、まさに今映画館で見ることができます。あのシーンは杞憂も杞憂だったんだな!!とガッツポーズをしそうな勢いでした。

 テイラースウィフトといえば、「元カレを歌にする恋多きブロンドの美女」。おそらく日本で1番有名な曲"We Are Never Ever Getting Back Together"はジェイク・ギレンホールとのことを歌った曲で、リリースされた頃はケネディ家のおぼっちゃまやハリースタイルズとデートしてたのはめちゃくちゃ有名です。

 ……なんていうのは、まさに消費されてるテイラースウィフト像です。

 日記的な歌詞を書く作風とはいえ、「私のなにがわかるんだよ」なんて思って気が狂いそうになるような状況をいくつも経験したでしょう。それらを乗り越えた強くて暖かくて美しい人が、これまでの全ての攻撃が全く一発も効いていないような幸せそうな顔をしながらスタジアムを縦横無尽にウォーキングしながら歌っていました。確かに傷ついて身につけてきた戦い方を、歌という形でスタジアムの人々に授けていくようなライブでした。

 思い出の詰まった曲だらけのセットリスト。自分がよく聞いてた頃の思い出が溢れてきてところどころ本当に苦しいくらい胸いっぱいになりつつも、新たなTaylorが懐かしい曲の新しい顔を見せながら新しいものをプレゼントしてくれる。そんな世界一幸せで強くて素晴らしい空間。

 まさに戦い続けているからこそ4枚目の再録版を出したTaylorが、凱旋するかのようにファンに囲まれて勝利の歌声を奏でるライブなのです。こんな幸せな空間が、今度の2月、日本に上陸します。

 具体的にテイラーがなにと戦ってきたのかは、ぜひMiss Americanaを見つつ、「Taylor Swift」とともに「原盤権」「Big Machine Record」
「スクーターブラウン」/「ディクシー・チックス」「トランプ大統領」/「アップルミュージック」/「デヴィッド・ミューラー」/「カニエ・ウェスト」/「セクハラ裁判」あたりのワードを検索してみてください。We Are Never Ever Getting  Back Togetherのイメージしかない方にもどんな人かわかっていただけるかと思います。

 そんなわけで、2023年時点のTaylor Swiftファン、通称Swiftiesのなかには「ブロンド碧眼のかわいらしい女の子がドレス姿でギターを掻き鳴らしているのが好き」というタイプのファンはあまり多くないのではと思います。Taylorを長年追いかけているファンにとって、Taylorは苦しんでいる様子や活動していなかった期間も多く、寂しさなんかも感じながら追いかけてきた"推し"ではないでしょうか。冒頭で紹介した"Miss Americana"のセリフのように、実際には離れたファンも多くいるのだと思います。

 「推し、苦しんでいるのでは…」という気持ちは、まさに今年、多くの人がぶち当たった壁ではないかと思います。個人的に追いかけているジャンル以外のものに言及することは控えますが、芸能界の根っこを揺らすようなことが今年はたくさんありました。

 この問題に対して、自分が体験した推し活のジレンマとエクスタシーを振り返って思考していこうと思います。偏りがかなりあるかと思いますが、あくまでわたしの気持ちのメモ、日記のようなものだと思ってご了承の上読み進めていただければと思います。

この子たち、ちゃんと生理来ているのかな……フィギュアスケート競技を見るのがつらくなった

 長いこと好きだったテレビでのフィギュアスケート観戦が、いつの頃からか、なぜか楽しめなくなりました。いろいろ自分で理由を考えた結果、平たく言うと、「自分より年下のいたいけな女の子があまり将来のことや体のことをわからないまま生理が止まるほど無理させられていそうと感じてしまったから」なのではないかと考えました。

下の画像は、フィギュアスケートの試合を見られなくなった頃の率直なツイートです。
(鍵垢で愚痴のように呟いたものなのでリンクではなくスクショで読みにくく恐縮です)

 もともと、フィギュアスケートの試合をテレビでチェックするのが大好きでした。
 ソチオリンピックの男子フリーを徹夜で見て羽生結弦選手のオリンピック初金メダルに大興奮したことを覚えています。

 推し選手はその時に初めて見たウズベキスタンのミーシャ・ジー選手でした。そして、ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ選手が放つ妖艶な雰囲気と安定した演技も大好きでした。

 ですが、北京オリンピックの1シーズンか2シーズン前くらいからあまりフィギュアスケートを見るのが楽しくなくなってしまいました。推し選手の引退や次々に新しい選手が登場しついていけなくなったこともあるのですが、スポーツ選手の人生をかけた勝負を見せ物にしているような感覚に少し違和感を持つようになりはじめていました。2019年頃からミュージカルなどの観劇にハマり、生身でありながら、役に入ってパフォーマンスすることで一段階生々しさを減らしているひとたちを見ることが多くなったことも影響しているような気がします。

 テレビでジャンプの失敗や成功だけが切り取られて放送されることに抵抗を覚えました。大きな試合のジャンプの失敗を切り取って翌朝のニュースで流れることをすこし受け入れ難く感じるようになりました。そもそも作品を通して見るのではなく一部が切り取られて無意味にクローズアップされているのも微妙だなと思っていました。

 さらに、北京オリンピックの際、ロシアの女子選手たちが揃いも揃って同じコーチにつき、大人びた表情やメイクや衣装をしているのに、まるで高く多く跳ぶためだけに子どもとも大人ともつかない異様な体型をしていることを心底不気味だと思ってしまいました。ドーピング問題以前に彼女たちはかなり問題を抱えているのではと思わざるにはいられませんでした。

 男子は最終グループに以前のオリンピックでも見た顔がいるのにも関わらず、女子はガラッとメンバーが変わっているのも、なんだかあまり良いこととして受け入れられませんでした。

 そんなことがあり、また、観劇にハマって色々な興行のチケット取りに慣れたことも重なって、パタリとテレビで試合を見るのを辞めてアイスショーに足を運ぶようになりました。テレビで何度も見た選手が、ジャッジではなくお客さんの目線に応えてのびのびと演技をする様子にほっとし、夢中になりました。

 一方で、現地で演技を見たことで選手への共感や憐憫のような、思い入れのような感情が一層強まりました。特に、10代の選手が楽しそうに滑っているのを見ると「スケートをやりたいこととして選んだ彼ら彼女らが、安心して滑れる環境があってほしい」と心から思うようになりました。競技から目を背けるのではなく、競技界で起こることに目を光らせて、選手を傷つけるようなことがまた起こったら「そんな試合じゃ見ませんよ、支持しませんよ」といった態度を表明できたら……と感じました。

 余談ですが、先日タイムラインに流れてきた町田樹さんの講義内容に関するツイートを大変興味深く読みました。ぜひこちらのスレッドを読んでみていただきたいです。まさにこのnoteで便宜上フィギュアスケート観戦を"推し活"の例として挙げていることに対してもいろいろな視点を提供してくれそうで読み応えがあります。

同じ歳のタカラジェンヌの死

 まず、先月末にお亡くなりになられたタカラジェンヌのご冥福を心からお祈りします。この出来事はいち宝塚ファンであるわたしの心に深く突き刺さり、ファンと表舞台に立つ人との関係や、週刊誌報道、芸事の世界での指導やパワーバランス、長く続く組織のありかたなどさまざまなことに改めて思いを巡らすきっかけとなりました。

 宝塚にはすみれコードと呼ばれる不文律があります。宝塚の夢の世界を守るべく劇団とファンの間で守られているお約束で、たとえば「タカラジェンヌの年齢や本名を詮索しない」などが当てはまります。実際は宝塚音楽学校の受験年齢や入学年、入団年などからだいたいの年齢はわかってしまいますし、本名が愛称になっているジェンヌさんも多くいらっしゃいますが、基本宝塚を楽しむときに年齢はあまり話題にならないものです。

 一方、先日の大変痛ましい事件が報道された際、亡くなったとされるタカラジェンヌの年齢と出身地が週刊誌に記載されました。報道記事に登場する人の名前の隣に(30)といったかたちで年齢が添えられていることはよくありますが、それがタカラジェンヌに対してだったこと、そしてあろうことか自分と同い年だったことに大変大きな衝撃を受けました。

 宝塚に関して、わたしはあまり自らジェンヌさんの本名や年齢を調べる方ではなく、いくらでも計算する方法はあったし何となくはわかっていたものの、何期生から何期生までが自分と同い年になりうるのかを深く考えたことがありませんでした。

 タカラジェンヌの名前の横に書かれた(25)。自分自身と同じ年齢の数字。ただの(25)という表記が私には鈍器のようでした。

 改めて、宝塚は自分と同い年、もしくは年下の子が身を削ってステージに立つことで作られているのだと。もっと言うと、舞台上でキラキラと輝いているスターひとりひとりが、まだその決意を自分自身の決意だと言わせてしまって本当に大丈夫なのかわからないような歳の頃に「決意」をしてこの世界に飛び込んできたんだということを思い知らされました。その上で、決意の先の世界から生きて逃げる決断をできないまま自ら命を絶ってしまったんだと。

 タカラジェンヌの年齢を意識することはほぼなく、目に入ることが多いトップスターや贔屓は自分より大人、という状況で観劇してきたこれまでの作品への印象がガラリと変わりました。そして、同じような経歴の15〜18歳ばかりが集められた世界で外をよく知らないまま10代から長ければ40歳近くまでの時をすごすのは一体どんな感覚なんだろうと気が遠くなる思いでした。バレエや歌を習わせてもらって、家族に応援されながら一生懸命それだけのために頑張ってきた少女にとって、「夢を諦めて新たな道を探そう」と思い至るのは、「死のう」と思ってしまうことよりも難しいことなのかもしれません。

 大学に行ったことがある生徒やアルバイトを複数したことがある生徒がもっとたくさんいたら、多少は違った環境になっていたのだろうか。まともな感覚を教えてくれる大人は周りにいなかったのだろうかと考えてしまいました。

 そんな事件から3週間ほど経ち、宝塚歌劇月組公演「フリューゲル 君がくれた翼/万華鏡百景色」を観劇しました。初宝塚観劇で出会って以来1番好きな組、"ご贔屓"のいる組です。そして、その"ご贔屓"は退団が決まっています。

 久しぶりに見た宝塚の舞台は前と変わらず輝いていました。不安定な世界情勢の中で放たれるみずみずしい平和への願いが切実な話でした。

 3時間の観劇の中で最も印象的だったのは、ショーの中詰と呼ばれる、中盤の非常に盛り上がるシーンです。ステージ上で踊っていたタカラジェンヌたちが客席へと飛び出し、観客と至近距離の通路で踊り出すシーンです。

 わたしは2階席に座っていたため、タカラジェンヌが近くに来ることはないだろうと思っていたのですが、なんとも嬉しいサプライズで、2階の通路にもスターたちがやってきました。

 わたしの目の前で踊っていたのは、その時初めて顔を認識した下級生でした。とても素敵な笑顔で一生懸命踊っている姿が印象に残り、帰って彼女の名前と期を調べたところ、わたしよりも年下だと思われることがわかりました。わたしの社会人歴とあまり変わらない年数舞台に立っているようで、また、ある人気スターのお付きのような仕事をしている子でした。

 若手のジェンヌがステージのある階から2階席のあるフロアまで一生懸命駆け登り、観客の視線を至近距離で浴びながら輝きを放ち、そしてまたステージのあるフロアまで駆け降りていき、次のシーンのために着替えたり上級生スターの着替えを手伝う……
夢のような笑顔の裏にある、ステージに立つ個人の努力に想いを馳せました。

 私が大好きなソシャゲに「アイドリッシュセブン」という作品があるのですが、ある登場人物のこんなセリフがあります。
「オレたちは、スターなんかじゃない。体中に精一杯銀紙貼っ付けて、星のフリをしてんだ。
見上げてくれる人たちがいるから。」
この言葉をハッと思い出し、涙が溢れました。

 また、月組の元トップ娘役の美園さくらさんがエッセイで、自ら輝く「恒星」のような存在を目指して模索した日々について書いたエッセイのことも思い出しました。

 あんなにかわいらしい笑顔を見せてくれた子が、もし今幸せではなかったら、かなりわたし自身も悲しいな……と思いました。これまでトップスターやそれに近しい立場の人を"贔屓"として追いかけてきたときには感じなかった気持ちでした。私1人が行かない公演があろうが買わないグッズがあろうが揺るがない存在感を放つ、ど真ん中で輝くトップスター。それに対して2階の通路で踊っていた彼女は、憧れの眼差しで見つめるというよりは、どうか舞台に立つあなたが幸せであってほしいと思うような人でした。

 やはりここでも、もしこのジェンヌさんがこれからもこの舞台で輝き続けたいと願うなら、劇団がタカラジェンヌに強いるさまざまなことをただ受け入れていてもいいのだろうかと感じました。

 余談ですが、タカラジェンヌの自死後、変更されることなく残った敵の自死のシーン。こちらにかなり私は意味を感じました。社会主義体制国家の維持にこだわり、ベルリンの壁崩壊を嘆く敵キャラがかのプーチン大統領の若い頃と重なったからです。
 冷戦終結後、必ずしも世界がいい方向に向ったとは言い難いですが、あの物語の中ではのちのプーチン大統領のような人物が挫折し、自ら命を絶っている。宝塚のオリジナルミュージカルの制作が、公演の何ヶ月前から、どのように始まるのかは存じ上げませんが、脚本演出の先生は昨今の世界情勢をふまえてかなり意志を持ってこのシーンを書いたのではないかな、と感じました。作中には実在する人物・メルケル首相の若き日を匂わせるキャラクターも登場したのでなおさらそう感じました。

日本を背負った少女の包容力とクリエイティビティ━浅田真央アイスショー"BEYOND"

 ここまで暗い話が多かったのにも関わらず読み進めていただきありがとうございます。今年7月、立川で浅田真央さんのアイスショーを見て、今までに感じたことがないようなエクスタシーとでも呼べるような感情を抱きました。

 浅田真央さんのことは、「真央ちゃん」と呼んでいる方が多いのではないでしょうか。日本中に清楚ないい子と思われていて、まるでずっと「くるみ割り人形」のピンクの衣装をきた15歳の真央ちゃん
がみんなの中にいる……そんなイメージの国民的スターです。言ってしまえば、テレビが作り上げた、永遠に日本のみんなの娘のようなキャラ。それなのに、日本中の期待と興奮と落胆を背負ってきたわけだと思います。

 あの「かわいい真央ちゃん」というイメージはどこまでもうわべで、真央ちゃんにしかできないことを散々成し遂げてきたはずなのに、強いアスリートというよりはずっとずっとかわいい妖精みたいないいなイメージだったのは一体なぜなんだろう……
"BEYOND"はそう思わずにはいられないショーでした。

 だれでも知っているようなクラシックやジャズの名曲、現役時代の浅田さんのプログラムなどを組み合わせ、ステージは次々と展開していきます。曲は次々と変わって行き、飽きる隙がありません。着替えなどもあるので、当然主役の浅田さんがずっと氷上にいるわけではなく、浅田さんの登場シーンがない曲もあるのですが、全く間伸びしないのです。
 多分この人、誰よりも強くて人にも他人にも厳しくて賢くて、知識欲や表現に旺盛なんだろうな…と圧倒されました。

 シェヘラザードやオディールとして踊ってる「真央ちゃん」はたしかに「真央ちゃん」なのに、みんながテレビで見てた「真央ちゃん」の面影はどこ
にもない。そして、テレビで見たどの真央ちゃんよりも楽しそうで幸せそうだったのです。

 先ほど挙げた町田樹さんのトークショーのレポにもありますが、スポーツ選手は恣意的にキャラ付けをされたりストーリー付けをされることがあると指摘されます。とくに女子選手の場合は未熟さや幼さが強調され消費されます。しかし、浅田真央が生き生きと演じるファムファタールを見てたら、ありと
あらゆる創作物やメディアの中に描かれる女性像がどれもこれもうわべに思えてきたのです。

・魔女や老女や他の人にできないことができる危険な女
・可憐で清楚で守ってあげないといけないような女

 あらゆる女はだいたいこの2パターンに勝手に分類されます。そして、世間は「真央ちゃん」にかなり顕著に後者のようなイメージを植え付けてきました。

 「真央ちゃん」が「ハーフハーフ」と発言して一度リンクを離れて少ししてから戻ってきたとき、私は「ソチでスパッと引退すればよかったのに……まだ滑りたいっていうのはわかるけど結果出せてなくてなんだか痛々しいな」と少し感じていました。そんな自分を思い出して、なんて失礼だったんだろうと心から反省しました。

 浅田さんの人生は浅田さんのもの。スポーツ選手の人生はエンタメじゃない。そんなことを感じました。これはたぶん、競技のスケートに嫌気がさしてショーを見るようにならないと気づけなかったような気がします。

 一方で、散々日本中に消費され続けてたくさん傷ついたこともあっただろう浅田さんが、日本全国津々浦々でツアーをやってあったかい笑顔を見せて、なによりこんなに近くに浅田さんたちを感じられる席しかない規模のリンクを選んで...…という部分にとんでもない包容力を感じました。好き勝手言われたとか、思っていないんだろうか。思っていたとしてもこんなことができるのか……と。

 浅田さんにとって、どのメダルもソチも引退もこれまでの何もかも、まだゴールでもなんでもなかったようです。

これはきみが決めたこと?意志のある"推し"に安心し、そうでないと不安になることがわかった今

 ここまで挙げた人たちは、"推し"ている度合いがかなりそれぞれ異なりますが、チケット代を払って興行に足を運ぶくらいには応援しているという意味と、人前でパフォーマンスをしてこちらの感情を揺さぶってきた存在という意味で便宜上"推し"という言葉を使いました。

 よく、「推し、幸せであれ!」とか「健やかであれ!」みたいなことを"推し"を持つ人は言います。どうやらわたしにとってのこれらの言葉は、「これまでと同じ形の活動ができなくなっても、推しが自分の意志を尊重されなかったり、舞台に立つために理不尽な思いをしなければならない状況はあまり許したくない」という意味のようです。そういう意味では、今年は少々「それはどうなの…」と思ってしまうようなファンを目にしすぎました。自分がこうだ、と思う推し方を考えることをやめずに好きなパフォーマーを追いかけていきたいです。

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