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ディズニーと"ポリコレ"揶揄に思うこと②━「101匹わんちゃん」のアニータは白人だったのに!

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 前稿で書いた授業がある大学に在籍していたのは2017〜2021年なのですが、その授業を受けた直後からディズニーの「ポリコレ」と揶揄される作品テーマチョイスやキャスティングに賛同していたわけではありませんでした。実は、私は2019年に「実写アリエル役を射止めたのは黒人俳優」と聞いた時、正直に「え……」と思ったのを覚えています。

 また、エマ・ストーン主演の「クルエラ」で、アニメ版にも登場するキャラであるアニータを演じていたのも黒人だったことに抵抗感を示す感想をインスタグラムのストーリーズに書き込んでいました。

2021年夏に「クルエラ」を見た際の感想

 当時の私はカラーブラインドキャスティングを「とりあえずポリコレに配慮したようにみせる安直な表現」だと捉えていたようです。

 私が人種とキャスティングの問題への意見を少しずつ変えたのは、ディズニーからは少し離れますが、いくつかのミュージカル作品がきっかけだったように思っています。特に大きかったのは「ミス・サイゴン」「ドリームガールズ」でした。いずれも、非白人の女として見ると結構しんどい展開の多い作品です。

 「ミスサイゴン」は、ベトナム戦争中〜戦後の物語で、ベトナム人のヒロイン・キムがアメリカ人の兵士・クリスと恋に落ちるのですが、サイゴンが陥落する中クリスだけがヘリコプターに乗せられてしまい離れ離れになる、蝶々夫人をベースにしたといわれる話です。

 「ドリームガールズ」は、公民権運動時代のアメリカが舞台の、黒人の女性シンガー3人組の物語です。モデルはThe Supremesとダイアナ・ロス。3人組のマネージャーのような仕事をしていた黒人男性が、当初は黒人の音楽の地位を上げるべく奮闘していたのですが、次第に野心のために目的を見失って3人組を引き裂いたり、利用したりしていきます。映画版ではビヨンセが主人公のディーナを、マネージャーのカーティスをジェイミーフォックスがつとめています。

 「ミスサイゴン」はストーリーがあまりにもしんどいのですが、音楽や舞台セット、演出などが本当に素晴らしく、何度も見たくなってしまう作品です。作品についてもっと知りたいと思って読んだ本に、ヒロインのキムや主人公のエンジニアのキャスティングについて厚めに書かれていました。

 特に紛糾したのは、主人公であり狂言回しのエンジニア役のキャスティングだったそうです。エンジニアはフランス人とベトナム人の混血という設定です。アメリカに渡る夢をもち、アメリカ人との息子を連れたキムと一緒に行動することで何とか出国しようとするキャラクターです。ウエストエンドでのオリジナルキャストに選ばれたのは、イギリスの白人、ジョナサンプライスでした。しかし、ブロードウェイで上演されることになった際、プライスの出演が議論の的になったそうです。白人がエンジニアを演じることに怒る人々と、それは逆差別ではないか、プライスが出演できないのであればブロードウェイ公演をキャンセルすると憤る制作陣が揉めました。つまり、カラーブラインドキャスティングvs.アジア系の出演枠の確保という構図になったようです。結果的にジョナサン・プライスが出演して公演は行われましたが、キム役は東南アジア系の女優を探すオーディションが行われてフィリピン人のレア・サロンガが起用されたのにエンジニア役に関しては人種に配慮したオーディションが行われなかったことが指摘されています。

 「ドリームガールズ」や「ヘアスプレー」(日本版には渡辺直美、三浦宏規ら出演。映画版はザックエフロンら出演。こちらは観劇できていないので作品名のみ言及させていただきます。)といった作品を筆頭に、黒人を演じるために肌を黒く塗るいわゆるブラックフェイスをやめようという動きがあります。現代で「ブラックフェイスをやめよう」と言われているところだけを見ると、ただキャラクター造形を寄せるためのメイクがなぜいけないの?と思ってしまう人もいそうですが、これには歴史があります。かつて、ミンストレルショーというミュージカルの原型のひとつのようなショーがありました。黒人は舞台にあがることが許されず、白人が顔を黒く塗って黒人を揶揄するパフォーマンスが行われていたのです。

 こういった、役と演者の属性に関する話題のうち、映画界で有名なものとして、世界で初の性転換手術を受けたトランス女性とされる人をモデルにした「リリーのすべて」があります。主演のエディ・レッドメインは、現在は「実際のトランスジェンダーの俳優の機会を奪うべきではなかった」と考えているそうです。

 日本では、舞台に立つ人やテレビに出演している人の中にアメリカほどの比率で肌の色が違う人同士が並んでいる状況になじみがありません。輸入ミュージカルに登場する外国人の役も、日本人によって描かれた海外が舞台の漫画の実写化も、日本人によって演じられます。キャスティングと人種(ここではとくに白人とそれ以外の人種間について)の問題については、画一的に見えるものが多い日本の芸能に慣れた状態の私が文句をつけていいものでは決してない、と思いました。居場所を奪われた人々の戦いに、居場所を奪われる恐怖がわからない人が理解しようとせずあれこれ言うものではないと考えるようになりました。

 長い歴史の中で抑圧されてしまった当事者グループの想いが反映され、特権的な立場にいた人たちがその特権と抑圧された人々の存在に気づけるような形が模索され続ける状況こそが大切であり、いますぐに100%の正解は出ないかもしれないが議論が続けられる状況こそが現時点での模範解答の一例なのだろうと思いました。

 そして、アニータやアリエルはというと、さらにその先の喜ばしい一歩です。マイノリティがマイノリティ当事者としての居場所を守ることから一歩進み、カラーブラインドキャスティングで役を勝ち取ったことの意味がやっとわかりました。

 「ミスサイゴン」「ドリームガールズ」に感銘を受けてこれらのことを調べ、はじめてマイノリティの役をマジョリティが奪わないことの大切さがわかった上で、ある動画を見ました。ハリーベイリー扮するアリエルを見て、まるでクリスマスプレゼントを受け取ったかのように喜ぶ黒人の女の子たちの様子がSNSで回ってきたのです。なんだか泣けてしまい、当事者の喜びに勝る表現なんてない、と素直に思いました。大人気プリンセスが、自分達と同じ肌の色をしていて、その肌によく映える美しく輝くヒレを持って、チャーミングに笑い、歌う。どれだけの子がこのアリエルを歓迎しただろうかと考えると幸せになれるような心地でした。

つづく

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