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田舎で暮らす

私たちは週末だけ限界集落で過ごしている。
言い方を変えれば別荘暮らしだが、築100年越えの古民家をせっせと手入れするのみの暮らしだ。
正直、20年後もここに住んでいるかと問われたら、無理な気がしてる。

平らな土地がないから移動は延々と坂を上ったり下がったり。土間と居間はかなりの段差なので上がり下がりですでに股関節がいい運動。
雑草との戦いは、週末だけの暮らしの人間に勝算はなく、虫はもう、たかられるのがデフォだ。
家の中は、とりあえず蛇には会わないかな?ムカデはいるよね。ネズミはもちろん夜には運動会。食べ物を出しっぱなしにしたら昼は虫、夜はネズミにたかられる。
網戸に穴が空いたら直すし、屋根の雨漏り水道の修理、配管の掃除。畳、襖、なんでも自分でやらなければ、修理出張費がふつうじゃないこの土地では業者に頼むのはよほどな時だけだ。

古い石垣

雨後はいろんな仕事がある。
側溝は砂利と草で埋まるから掃除。水は山水なので上流に堆積物の除去に行く。
山あいは風が強いからいろんなところから折れた木々が飛んでくるからそいつらを切って焚き付けようの木にする。
晴れた日は、焚き付けの杉の葉と小枝を拾いに行く。草刈りと薪割りも晴れた日の仕事。畑仕事もやっておく。

お楽しみもある。
私は料理が好きなので、晴れた日は外に机を出していろんな下ごしらえをする。陽の光に照らされた野菜はとにかく美しい。大事に大事に、いただきます。という気分になる。 雨の日は暖炉で色々焼いたり煮たり。湿気も取れるし、クッキーから軽くシナモンの香りが漂うと幸せな気分になる。あとは雨音を聴いて過ごすだけ。

オートミールといちじく

田舎暮らしは簡単ではない。まず医療をあきらめる。これが1番覚悟がいるが、いちばん自分が縋り付いているものを手放せばあとはなんでもありがたく感じるし、いろんな事から自由になる。
なぜだかわからないけど飽食からは解放される。確実に、食べる量は減り間食を求めない。いつもより動いているのに。
日が暮れると眠くなる。もちろん朝は夜明け直前に目が覚める。

こうしてたまに携帯を開くけど、開いている間、私はこの自然の中に居ないのだと感じる。四角い窓からネットを通じて他の世界に行っているんだろう。
携帯を置いたら、また山を見る。
息を吸う。
たまに山の中に入る。そこには私という生物がポツンと紛れ込んでる。そんな気分になる。私は自分が虫なのか植物なのか、わからなくなる。
そういえば、子供の頃はこうして日が暮れるまで山の中に居たなあ。ふとそう思った。

杉かな?

私たちは子どもたちにこの家を受け継いでくれなければ、この土地を出て行ってしまった方のお子さんに受け継いでほしいとおもう。
先祖が延々とこの土地に生まれて死んでいった、そんな古い土地だから、その記憶を受け継ぐDNAをもつ方にこの土地に住んで欲しいと思う。
それまでこの土地をきれいに保ち、家を磨いていくのが私たちの仕事だと思っている。それが私たちが田舎に棲む理由だ。



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