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サイの角

久しぶりに見た時の感想は「こんな痩せていたかな?」だった。動物園の中央に位置する箇所、昔と何ら変わらない場所にサイは居た。他の動物たちに比べその区画が広く見えるのは、中央に位置するがゆえに周りが開けているからだろう。隣の区画にはがタイが同じような大きさだからという理由か、当然のようにカバが配置され、鉄の扉に大きな口を押し当てていた。二匹は似たような体躯だが、サイは体中に土埃を浴び、カバは水で湿っている。

サイ、ちょっと細い

一月の動物園は寒々しかった。人は疎らで、所々改修をしており、いかにも寂れているようで寒さが助長されていた。折しも、今夜は北関東でも雪が降るという予報の日だった。

少し瘦せて見えたサイは広い区画を全部使うでもなく、寒いのだろうか、同じ場所を行ったり来たりしている。あまりにも動き続けるので、「そりゃ痩せるか」と思ったくらいだ。同じ場所を動き回るおかげで真正面から写真を撮ることができた。ただ子供のころの記憶はそうじゃなかった。毎年春頃に開かれる写生大会で、僕は毎回サイを描いていた。なぜなら動かない上に、不人気なのか周りに人が少ないのでいいポジションを取れるからだ。いざ描いてみると、その象徴というべき角も、鎧のように折り重なっている皮ふも、思いの外小さい目も、味わい深い造形に感じてくる。描く人が少なかったおかげか、出来上がったその絵には金色の短冊が貼られることもあった。

地元の動物園に来たのは15年ぶりくらいだろうか。元から来るつもりはなく、実家に帰る途中でふと思い立って寄っただけだった。入場料は当然値上がりし、中も魅せる動物園を目指して一新されていた。けれどサイ(とカバ)の区画は変わっていないように見えた。たまに地元に帰ってくると色々なものが変わっている。この町の象徴だった大煙突はとうの昔に折れ、町の名前を冠した企業も力を無くし、別な企業に町ごと乗っ取られそうな勢いである。けれどもサイは変わっていないようだった。「痩せたとしてもカッコイイな。」誰に言うでもなく(そもそも人が居ないのだ)独り言ちた。寒いのか、ストレスなのか、それは分からないけれど、角を掲げて大きな体を揺らし動き続けるサイはカッコよかった。街の象徴の煙突は、折れはしたけれどもちゃんと動いているようだ。町は寂れているけれど、ちゃんとそこで息づく人は居て、新しいことを始める人たちも。止まらない時間を思った。

暫く眺めていると、サイの区画の中に生えている大きな木に目がいった。何かがぶら下がっているのだ。遊び道具にも見えない。あれは「パラシュート・・・か?」

何?

木に、パラシュートのハーネスというのだろうか、傘の無い残りの部分がぶら下がっている。なぜこんなものがと少し悩んだが思いついた。この紐にサイの好物やボールなどを入れて楽しんで貰おうって寸法なんだろう。そう思ったと同時に、自分が少し寂しくなった。正解を求めてどうする、と。ここに、この町に、パラシュートで降り立ち、町の人々を助けようとした人が居たのかもしれない、と思った方が楽しいじゃないか。空から来た方が求心力があると思ったんだろうか?風で流されたのかもしれない。ここら辺は平地が少ないから、緊急でここに降り立とうとして、サイのところに降り、そして帰らぬ人に。いや、木に登れば助かりそうだから死んではないだろうな。飼育員に助けられただろう。ここにハーネスが残されているのだから、歓迎されて記念に置いてあるのかもしれない。このサイの名前の由来になったりしてないか?そんな風にくだらなく考えた方が断然いいじゃないか・・・。

少し悔いを残して動物園を後にすることになった。最後に資料館に行くと、サイの角が展示されていた。触っていいようなので、少しでも尖れるように願いを込めて触った。表面はザラザラしていた。

角ザラザラ

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この文章は先週の日記を書き換えたものです。

https://note.com/tasty_croquette/n/nb910512d15ca

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