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199.「自分のかきたいこと」と「誰かの知りたいこと」が重なる部分を探している

「自分のかきたいこと」しか書けないけれど、
捨てきれない思いがあります。


自分のかいた記事が誰かの役に立ったらうれしいなぁ、
自分のかいた記事を多くの人に読んでもらいたいなぁ、

という思いが捨てきれません。

意識しすぎると発信へのハードルがあがってしまうので、
普段あまり意識しないようにしています。

「つくるを楽しむ」を第一にしています。

でも、みかじさんのnoteに出会い、
この思いは昨年の11月から発信活動を始めてから
ずっと抱き続けていることに気が付きました。

発信する内容は、誰かに貢献できる事や有益な情報!と決めてしまうと、私の場合、肩に力が入りすぎてしまい、また発信できなくなってしまうのが、目に見えている‥

みかじさんのnoteより

「誰かの役に立ってほしい」という点については、

商品レビューや体験談などの発信にたくさん助けられてきたこともあり、
自分の発信も誰かの役に立てているのではと思っています。

「多くの人に読んでほしい」という点については、

「自分のかきたいこと」と「誰かが知りたいと思っていること」の重なる部分があるのではないか、ということに希望を見出しています。

「自分のかきたいこと」と「誰かの知りたいこと」の重なる部分を探し続けています。

先日、はるのひさんが「自分のしたい発信」と「周りに求められる発信」の重なる部分を探していると書かれたnoteに強く共感しました。

「私がしたい発信」と「周りが求めている発信」が
重なる部分を探してる。
重なる部分があったらいいなと思っている。

私が発信していて楽しいだけでも充分だし、それが何より大切だけど、、、場合によっては「私のしたい発信」が「求められる発信」になることだってあるはずだ。 

はるのひさんのnoteより

「自分のかきたいこと」と「誰かが知りたいと思っていること」の重なる部分を探し始めたきっかけ

「自分のかきたいこと」と「誰かが知りたいと思っていること」の重なる部分を探し始めたのは、さわらぎ寛子さんのnoteや書籍に出会ってからです。

 人は自分の興味のあることにだけ興味があります。当たり前のことです
が、いざ書き手となると多くの人がこれを忘れてしまいます。相手は「自分に関係あること」その中でも「自分にとって何かよさそうなこと」を求めているのです。それ以外は、あふれる情報の中で華麗にスルーされていきます。
 だから、書き手は、「自分が伝えたいこと」を「相手が知りたいこと」に変換しないといけない。変換をせずに自分の伝えたいことをそのまま書いているから伝わらないのです。

さわらぎ寛子著「自分らしさを言葉にのせる 売れ続けるネット文章講座」より

「自分が伝えたいこと」を「相手が知りたいこと」に変換できるいうことが、私にとって大きな気づきでした。

「相手にとってどう良いか(メリット=効果)」を伝えることで、
「自分が伝えたいこと」が「相手が知りたいこと」に変換できるそうです。

さわらぎ寛子さんが言われていたこと。相手にとってどう良いかを伝えることで、自分の伝えたいことは相手が求めることに変換できる。

具体例として、営業の話をnoteで取り上げられているのですが、
わかりやすかったのでご紹介します。

たとえば、私が茶道の先生だったとして、これからは子供に茶道を教えたい!と思ったとする。


保育園に営業に行く。
「子供に茶道を教えさせてくれませんか?」だと、NOだろう。
今、そんな時間はない。
そんなことを求めていない。となる。


そうじゃなくて、
「(少子化で保育園の存続が厳しくなっている中で、)ほかの園との差別化として、楽しく礼儀が身につく園、という魅力をつくりませんか?」と持ち掛ける。

相手が求めているのは、

「茶道を教えてくれる先生」ではない。

「ほかの園よりも選ばれる園になること」だ、と気づけるか。

さわらぎ寛子さんのnoteより

私は営業をするわけではありません。

しかし、発信をする上でも、日常生活の中でも、
伝えたいことがあるときにとても参考になると思いました。

noteの世界には自分と同じような思いを抱きながら
発信されている方がいるのではないかと思います。

ほんの少しでも何か参考になれば嬉しいです。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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