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247. note生活でモヤモヤしたとき、先人の教えが私を救ってくれる


note生活でモヤモヤしたら、先人の言葉を思い出す

noteで発信活動をしていると、
モヤモヤすることって、ありませんか。

私は正直、あります。

たとえば・・・
私の場合、最近こういうことがありました。


【もやもや例 その1】

相互フォロー関係だった人から
フォローを外されていたことに気づきました。

もやもやしました。

私が記事を読みに行けていなかったからかな、
私が記事になにかマズイことを書いたんだろうか、
とか思ってしまい、ちょっと悲しくなりました。



【もやもや例 その2】
スキだけでなくコメントまでいただき、
そのコメントの内容からも好意を感じると、
その人をフォローしたくなることがあります。

もちろん、その人の記事に魅力を感じるのが前提ですが、
返報性ってやつでしょうか(笑)
私はそういうことがあります。

それで、フォローしたのに、
フォローバックしてもらえなかったことがありました。

もやもやしました。


スキやコメントをしてくれたから、
フォローバックしてもらえるんじゃないかと
勝手に期待していた自分が悪いのですが。

スキやコメントをしてくれても
私のことをフォローはしたくないんだな、
その人のフォロー基準を私はクリアできなかったんだな、
と思って、少し悲しくなりました。



kikiさんが記事にしてくださっているように、
フォローについては、それぞれの人の事情があるのだと思います。

フォローする、しないには「人それぞれ理由があるんだよ」ってことを知ってて欲しいなぁ。と思っています!

kikiさんのnote「noteを気持ちよく使いたいからフォローするのは…」より

それぞれの事情や思いに
想像力を働かせられる自分でいたいと思っています。


ただ、それでも、もやもやしてしまう時は・・・
先人の言葉を思い出すようにしています。

今日はそれをご紹介していきます。
大きく3つ、紹介します。

1つ目は、アドラーの【課題の分離】です。


相手が私をフォローするかどうか、
それは、相手の課題であって、私の課題ではない。

そのことを思い出すだけで、心がふっと楽になります。

なぜフォローを外されたとか、
なぜフォローしてもらえないのか、とか、
その理由はご本人にしか分かり得ないこと。

手違いってこともありますもんね。
(自他ともに過去にありました・・)

そして、そもそも
誰をフォローしようとしまいが、それは相手の自由。

だから、そのことを考えたところで全く意味がない。
むしろ、百害あって一利なし。

ただ、「縁がなかった」それだけのこと。

そうなんだと思います。

それでも、もやっとして、気になってしまったときは
私にできること、私の課題に目を向けよう」と
自分に伝えています。

2つ目は、ゲシュタルトの祈りです。

ゲシュタルトの祈り      

「わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるなら、
それは素晴らしいことだ。

しかし、出会えないのであれば、
それもまた素晴らしいことだ。」
                  
フレデリック・S・パールズ

誰だって、相手の課題に応えるために生きているのではない。

そのことを思い出すだけで、気持ちがふっと楽になります。

だからこそ、逆に
ご縁に感謝したいと思います。

私のことを知ろうとして、
私とつながってくださった人に
感謝したいと思います。

3つ目、noteでも先人に気づきをいただいています。

noteで「必ずやらないといけない事」なんか、ないよ。

フォローしたら、必ず読まないといけないことなんか、ないよ。

スキをされたら、絶対にスキを返さないといけないことなんかないよ。 

(中略)
何が言いたいかというと、「疲れないでいいからね」っていう事。

noteの世界くらい、自分の《いい加減》で活動してもいいんじゃないかなぁ。

TOMOさんのnote「noteは、自分の「良い加減」でいいよ。」より

TOMOさんが教えてくれたように
「必ずやらなきゃいけない事」なんてないですよね。

だから、自分にも他の人にも
「〇〇してほしい」とか
「◯◯しなきゃ」とか求めるのはやめたいと思っています。

わたしにとって、noteが大切な場所だから、
noteを楽しく続けていきたいからこそ
、そう思っています。

他の人にとっても
noteが大切な場所であり、
noteを楽しく続けてほしいと願うからです。

だから、それぞれの人が
それぞれの《いい加減》に楽しめばよいのだと思います。

和をつくらなくてもいいし
和をつくって満足してもいいし
和を追い求めてもいい

要するに自分が
楽しめるnoteにすればいい
自分がどうしたいのか

そこが本来最初の事だと思う
漠然と書いていると
不意に虚しくなるときはくる

そのとき逃げるのではなくて
自分と向き合えばいい

きゃらをさんのnote「楽しいnoteにすればいい」より

「楽しいnote」「楽しめる」noteにしたい。
だからこそ、そのために「自分がどうしたいのか」
もやもやしたときこそ、自分に問いかけ、自分に向き合いたいです。

「いま読んでくれている人たちに感謝できていますか?」

欠乏感や自意識にではなく、今ある豊かさにチャンネルを合わせてください。

あなたの発信のエネルギーが変わります。

感謝や余裕いった、豊かなものに。

そういう人に人は惹きつけられて、少しずつこつこつと、熱心な読者や応援してくれる人が増えていくのです。

末吉宏臣さんのnote「こつこつと読者とのつながりを築く」より

読んでくれている人が確かにいるということが
本当に発信のエネルギーになっています。
いつもありがとうございます。

出会いがあれば、別れもあります。
でも、だからこそ、
今読んでくれている人たちに感謝し、
今読んでくれている人たち
今つながってくださっている人たちを
大切にしたいと思います。


紹介させていただいたnote


kikiさんが教えてくださった
フォローについては、人それぞれの理由がある。
ことについて

虎吉さんの企画がとても素敵だと思いました。

虎吉さんをはじめ、みなさん正直に
フォロー基準について書かれていて、
なるほどと思うことばかりでした。

noteを楽しみ続けていきたいからこそ
私も自分自身がどうしたいのか、
今度じっくりと向き合ってみようかなと思います。

みなさまも、ぜひ。


最後に

こんなことでモヤモヤする
小さい人間ですみません。

こんなことを書いて
フォローを外されてしまうんではないか、と思いつつ、

でも、きっと
noteで発信活動をしていると、
モヤモヤすることって
誰にだってあると思うんですよね。

だから、どなたかの参考になるかも、
と思ったので、思いきって記事にしてみた次第です。



好きなようにnoteを楽しんでいいんだな

だからこそ
自分はどうしたいのか
自分に問いかけることが大切なんだな

この記事を書く中で
そう改めて気づくことができました。



以上です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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