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「狼疾」の子守歌

   「狼疾」とは?これは中島敦の自伝的小説「狼疾記」のエピグラフから。「孟子」にあるたとえ話で、「一本の指にこだわるあまり、肩や背を失っても気づかない愚者」を指す、と。「狼疾記」は昭和初期の神経質なインテリ青年の雑記という体裁で、今読んで面白くない、ということはないけれど、「山月記」とか「李陵」とか、漢籍ものがやはりこの人の本分だな、と思います。元ネタと話が同じで、結局翻訳に過ぎない、という意見もありますが、漢文書下し調のカッコよさは無類!10代のころからメロメロであります。「山月記」は高校の教科書にも載ってましたが、冒頭のパラグラフは今でも暗唱できます。

 前置きにもならない前置きはさておき、私には「狼疾」的に嫌いな、ほとんど憎んでいる楽曲があります。ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「beautiful boy」。曲そのものは難癖をつけるようなものではない。Beatles解散後のレノンの曲は、どうもワンパターンでインパクトが薄い気がするけど、イヤミではない、と思っています。個人的には-そう聞きこんでいるわけではありませんが-マッカートニーのほうが断然優れてる、という気がするけど。歌詞にしても、幼い息子と共にいる時のどうしようもない親バカな気分というのは、やはり本能なんでしょうね、後になってどうにもこっぱずかしいけど止めようがないのは分かる。この気分なしには子供を養ってなどいけません(実は私は二男の親です。どちらももう成人していますが)。
 問題は曲の最後にヨーコとの間に生まれた息子の名前が入っていること。家の中で歌っているなら構わないにしても、アルバムに入れるときはここを空白にして、誰もが自分の子供の名前を、とか世界の子供の皆に、といった呼びかけをしてほしかった。「イマジン」の作者らしく。

なぜここが嫌いか?について。

理由その1:ジョンとヨーコはどちらも再婚で、別れた相手のもとにそれぞれ当時小学生くらいの子供を置いてきている。離婚の際、大人同士は気が済むまで争って、最後はカネもらえればもういいや、というところで決着がついたにしろ、それまで自慢にしていた父(母)に捨てられた子供は、どこかで割り切れない気持ちを抱えていたのではないでしょうか。無論生活に困ることはなかっただろうし、定期的に面会もしていただろうけれど、微妙な年頃に、別れた父(母)が腹(タネ)違いの弟をベタベタに可愛がっている歌を聞かされたら(ジョン&ヨーコの新アルバムとなれば当然世界中の街で流されたでしょう)気分がよくなかったのでは?という気がします。ましてジョンは離婚家庭の出身なのだから、多少は残してきた子供に配慮してもよさそうなものを。

理由その2:名前を呼ばれた当の息子の気分。曲が出た当時は素直に喜んでいただろうけど、「中2病」の年頃になったらどうだったか(もっともそのころレノンは既に亡くなっていたから、こういう憶測は通用しないかもしれません)。過去の話にしろ、親が自分にベタついている姿を人前で見せつけたら恥ずかしくないでしょうか?

   子供が小さかったとき、この歌を聴いて共感した、という同世代の方々は多いけれど、どうもついて行けない。自分が特別な育ち方をした、とは思っていませんが、対家族感覚がかなり「昭和オヤジ」なせいでしょうか。思春期の子が「家族の絆」的なものは他に代えがたい、といったことを公言したりすると、どうにも嘘っぽい、という気がする。暴力や非行といった人迷惑な形の反抗は論外としても、親なんて「いずれケトばして出て行ってやる」と心に炎を燃やしているのが次世代の人間というものだ、と自分が親の立場になっても考えています。簡単にケトばされないだけのものは持っている存在でありたい、とは願っているにしろ。
   これも個人の感覚、と言えばそれでお終いですが、私は未だに老母がアルバムを開いたり、私が子供のころの話をしたりすると、その場にいたたまれなくなる。誕生祝などされた日には激怒します。役所の手続きとか介護とか、この世のしがらみで為さねばならないことを頼まれるのは一向構わない。が、既に中年も過ぎかけている人間に向かって、さだまさしの「秋桜」じゃあるまいし、嫁ぐ前日の娘への母心、みたいなものを見せてくれるな!
    で、私は子供たちの写真は必要最小限しか撮っていない。やむを得ずカメラの前に立たせるときも、自分は絶対一緒に写りませんでした。ただ、親がしゃしゃり出ない範囲で子供時代のイベントの記録があるのは良いだろうとは思ったので、複数の家族で一緒に撮った写真とか、学校での記念写真はきちんと保管してあります。

   長々と自分の話をして申し訳ありません。あれイヤこれイヤでは、(もしいて下されば)読者の方々もヘキエキするでしょう。子供に向かって歌いたい歌は?これは絶対ゴダイゴ「Beautiful Name」です!
初出は1979年という古い歌で、私の子供時代は、NHK「みんなの歌」でよく流れていました。何の気なしにすらすら歌えてしまうメロディですが、歌詞は深い。君たちがどこでどのように暮らしていても、「名前」を持つ限り、この世での存在は認められている。「名前」を呼ばれることは、世界からの祝福なんだ、と(著作権上、ここで具体的に歌詞を挙げることはできませんが、Wikipediaその他に歌詞紹介はあります。歌はYouTubeで聞けます。興味を持たれたお若い方は是非)。

   さて、表題に「子守歌」とあって全然「子守歌」が出てこないのも何なので、極め付きに好きな「子守歌」。シューベルト歌曲集「美しき水車小屋の娘」全20曲の最終曲「小川の子守歌」。原語の「Bach」は小川と訳されてますが、歩いて渡れるような浅い小さな川ではなく、海には続いていないが人が沈むくらいの深さがあって橋がかかっています。正確な言い方であれば「支流」ですかね。ストーリーは少年から青年に移る年頃(だと思う)の若い職人の恋の歴史で、彼は結局失恋して川に身を投げてしまう。この職人は、「ねえ聞いて聞いて」的に色々な曲で川に語りかけていますが、この最後の曲は川が職人を哀れんで静かに眠らせる、というもの。歌詞はこんな風に訳してみました(有節歌曲で5番まで)。ドイツ語ができないので英訳からの重訳ですが、リズムは曲に合わせてあります。

1 お休みなさい 目を閉じて(2回)
  旅に疲れて 君は家に
  君に尽くす 心はここに
  私のそばで 横になって
  海が川を飲み込むまで(2回)
2 寝かせてあげる 涼しい床に
  柔らか枕に 頭を乗せて
  青いガラスの 小さな部屋で
  ここへ みんな 揺らせるなら(2回)
  坊やを揺すって眠らせて(2回)
3     猟師の角笛 緑の丘に
  響けば私は 君の方へ
  さざ波立てて ざわめいて
  青い花々 のぞかないで(2回)
  寝た子が悪い夢を見る(2回)
4     水車の脇の 橋を去り
  向こうへお行き 意地悪娘
  影でこの子を起こさぬように
  落としなさい ハンカチーフ
  あなたのきれいな ハンカチーフ
  この子のまぶたをふさぐから
  固くまぶたをふさぐから
5     お休み 皆が目覚めるまで(2回)
  喜び忘れ 悲しみ忘れ
  満月上り 霧は晴れて(2回)
  空が広がる 遠く遠く(2回)

 自分の感覚では、この川は女性で、職人にとっては「ママ」的な位置にありそうに見えます。でも実際に歌う時、そういう感じを出してしまうと気持ち悪い。息子が成長して同年配の女の子に魅かれるようになったのが我慢できず、いつまでも自分の可愛い坊やのまま置いておきたがる一種の毒母という解釈が成立してしまいそうです。
 「美しき水車小屋の娘」の原調はテナー向きで、この曲はその中でも平均の音域がかなり高いのですが、前の19曲を細めの明るい声のテナーで歌われたあとで、あえてこの曲だけ調を変えて故フィッシャー・ディースカウのような父性的なバリトンで聞かせる、というのはどうでしょう。表情をつけず、平坦に独り言のように。
 思い浮かぶのは映画「傷だらけの天使(1997年)」。豊川悦司氏演じる探偵が組の抗争で殺されたヤクザの幼い息子の引き取り先を探して東北地方を放浪するロードムーヴィです。その息子の祖父(故菅原文太氏)が引き取り手になりますが、彼が探偵に、そのヤクザは死んだのか、と聞き、生きてはいるが行方不明、と回答された後の表情。嘘だろう、でも有難う。
   万感の思い、は引きの表現でこそ生きる、ということが恐ろしいほどに伝わりました。
 連想ついでに「さとうきび畑」。第2次世界大戦の終わり近く、自分が生まれる直前に沖縄戦で父を失った娘の歌です。明らかにメッセージソングですが、声高に「平和への祈り」を前面に出してはかえって白けてしまう。これも昔日の「みんなの歌」で部分的に放送されていて、歌唱はちあきなおみでした。学校から帰って宿題をやりながらラジオで聞いていたのですが、ひたむきというより気だるげに、クライマックスでも音程の高低を感じさせない表現がひしひしと悲しかったのを覚えています…

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