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世界で一番好きなバンドのライブに行って人生で一番絶望した話

保身として書いておくのだけど、これは誰かを傷つけたいだとか不幸にしたいだとか、そういう意図を孕んで書いたものでは一切ない。強い言葉を使うかもしれないし、あなたの眉根に皴を寄らせてしまうかもしれない。でも、これはただの私の考えで、感情でしかない。決してあなたのものではない。

な~にを言うとんだお前はという話ですが、要はこれから私は「私から見た」ツアーの話をするけれど、あなたに意見を押し付けるつもりは毛頭ありませんよという私の意思表示です。これが正解なわけがないし、それであってたまるかとも思っています。あなたの意見があるのも承知ですので、これを読むことで気分を害すことも当たり前にあります。
固い文章になってしまいましたが(そしてここから先もう少しだけ固い文章が続くのですが)、「ふ~ん、そういう見方もあるのね」と肩の力を抜いて読んでください。価値などないので。
最後に再三言いますが、私のただの一意見です。あなたの気持ちが書いてあるわけではないしあなたの考え方をもって私の感じ方を変えられる訳でもありません。


はじめに

前提条件を共有したいのでぼかさずに書く。
また、演出やセトリについて詳しく触れるので、先にライブレポを読むことをオススメする。

https://note.com/preview/n5dbcadb922bf?prev_access_key=3f4eedccca276454afb98d8cbd60ab65


Mrs. GREEN APPLEという最強のバンドがいる。
そんな彼らが5年ぶりに行ったFCツアー(ファンクラブ会員限定のツアー)、『The White Lounge』(以下ホワンジ)に参戦してきた。
全公演を通してセトリや具体的な内容について一切のネタバレ禁止、バンドが行うライブとしては珍しい着席観覧、ドレスコードとして「白いアイテム」の着用。SNSではセトリ予想が飛び交い、情報が解禁されるたびに様々な考察であふれかえった。

「賛否両論ある」、「ファンを信じているからやる」、「今やらなければならない」、とメンバーが口にしていたのが印象に残っている。

チケットの倍率は無論とんでもなく、最速抽選からリセールまでずっと申し込みつづけた人たちが敗れるという場面を何度もXで目にした。当落日の前日に街中のゴミを拾ったことが幸いしたのか、なんとチケットがご用意された私。感動と興奮とちょっとの不安で吐きそうになりながら参戦した。

そして、絶望して帰ってきた。その日は眠れなくて、ベッドの中でいろんなことを考えながらひたすら泣いた。

ホワンジ参戦直前の私
ホワンジ参戦直後の私
テンションの落差がすごい

これから今回のツアーに関する考えを書き綴っていくが、その前に知っていてほしいことが三点ある。
前置きとライブレポだけで長いのにまだ読ませるのかよと思った方、ごめんすぎる。本当は簡潔に書こうと思っていたのに文章化し出したら手が止まらなくて。最後に要点をまとめておくから、そこだけでも。


前提として知っておいてほしい情報

①脱退について

昨今メディアへの露出が急激に増えたMrs. GREEN APPLEだが、最近出てきた期待の大型新人というわけでは全くない。昨年度の2023年に結成10周年を、そして来年度の2025年にメジャーデビュー10周年を迎えるかなり歴の長いバンドである。
ボーカルの大森元貴さん、ギターの若井滉斗さん、キーボードの藤澤涼架さん、ドラムの山中綾華さん、ベースの髙野清宗さん(以下敬称略)で構成された五人組ロックバンドとして2020年まで走り続けてきた。
「え、三人組バンドじゃないの?」と思った皆さん、2020年以前のライブ映像みて。お願い。頼む。

そして、2019年12月7日から2020年2月16日まで行われた初のアリーナツアー、『EDEN no SONO』を最後のツアーとして、Mrs.GREEN APPLEは活動休止を発表、大森の総称するところの「フェーズ1完結」を迎えた。活動休止中も既存曲のMVやライブ映像の公開、大森のソロ活動が相次ぎ、供給に満ちていたのは記憶に新しい。

そんな中、2021年12月30日、Xデーが訪れる。
ドラムの山中綾華、ベースの髙野清宗の脱退発表である。

事の経緯はファンには抽象的にしか知らされていない。というか、まったくわからない。楽曲やインタビューを通して推測はできるが、それは推測の域を出ない。どこまでいっても妄想、憶測でしかないのだ。ただ、わかるのは、彼らには彼らなりの苦悩があり、葛藤があり、話し合いの末にその決断が下されたのだということ。もしフェーズ2からFCに入った方がこれを見てくださっているのなら、FCにあるこちらのブログを読んでみてほしい。

活動復帰後にぐんと人気が増したことで、違う道へ進んだふたりの存在を知らない方をよく見かけるようになった。
しかし、この脱退という出来事は、人によって大小や重さは違えど、間違いなく衝撃や影響を多くのファンにもたらした。そしてそれは、今でも、フェーズ1への愛しさや懐古に形を変え、依然として残り続けている。

②フェーズ1とフェーズ2の違いについて

Mrs.GREEN APPLEは活動期間に一定の区切りが存在する。
具体的に言うと、結成当時から2020年の活動休止までの期間のことをフェーズ1、活動休止明けからをフェーズ2として、呼称している。
フェーズ1とフェーズ2の間に約2年の時があり、前項に述べた通り、その間にミセスは5人から3人へ構成が変化した。時間というのは常に出来事を前に進ませ続けるもので、それはミセスに関しても例外ではなかった。フェーズ1とフェーズ2では確実に変わってしまったものがいくつかある。フェーズ2開幕直後のSNSでも、復帰から2年ほど経った現在でも、「ミセス変わったね」という声は多々目にする機会がある。大森はインタビューで以下のように答えている。

“ミセス、そっちに行っちゃったのね”って思う人もいるかもしれないけど、そもそも僕ら、どこにも行ってないですから(笑)。あっちに行っちゃったとか、こっちに行った、ここにいるとか、そういう小さい話ではなくて、ステージマンとして、そして表現の一環として、僕らは凝り固まって進んでいくつもりはないんだよっていう、ただそれだけなんです。

フェーズ2の華やかさは、メディアで目にしたことのある人であったら見当がつくのではないだろうか。3人がそれぞれ、鮮やかな髪色、煌びやかなメイク、美しい衣装に身を包んで音楽を楽しんでいる。その結果、音楽だけではなく、美容情報についてのインタビューを受けたり、化粧品のメーカーとコラボをしたり、美容の方面でも注目をされはじめている。昨年末のレコード大賞でも、大森のアイシャドウのラメがキレイすぎる、どこのメーカーのアイシャドウなのか、と美容界隈でプチバズが起きていた。
メンバーの藤澤涼架は、彼の特徴のひとつでもあったマッシュカットから一変、髪を長く伸ばすようになった。フェミニンな雰囲気に合わせて、衣装もパンツよりメンズスカートを着用することが多い。
若井滉斗は、フェーズ1の時は黒髪を貫いていたが(エデンの園のファイナルで黒髪に金メッシュが入っていたことにファンがどよめくくらい)、フェーズ2に入って銀髪や青髪、茶髪と多様な髪色で登場するようになった。また、ガタイが良くなった。過去の映像を見るとヒョロすぎて今とのギャップにビビる。

これは正直、言葉で説明するよりもMVを見ていただいた方が早い。

ビジュアルの華やかさが要素として加わることで、いわゆるアイドルのような売り出し方に運営の方針も傾いた。本人たちのアクリルスタンドやチェキの販売からも、見た目を売りにする方針があるのは間違いないだろう。

また、MVやライブの演出にダンスが多く取り入れられるようにもなった。活動休止中の2年間、若井と藤澤は楽器を持たずにただひたすらダンスの練習と体作りに励んでいたという。音楽や表現の幅を広げるために、と言っていたが、フェーズ2開始後の活動のイメージとして大森の頭の中にその構成があったのだろう。
ダンスが増えるに反比例して、大森がギターをかき鳴らすシーンも少なくなった。ミセスはもともと、打ち込みの楽曲が多かったり、ジャズ調の楽曲を抱えていたりと「ロックバンド」という固定観念にこだわった姿勢は見せていない。だが、フェーズ2に入ってより一層その姿勢が強化されたのか、ロックをかき鳴らしたのは今のところ『延々』という楽曲くらいである。

ロックバンドというよりはエンターティナーとして、ロックに縛られないように、表現の幅を広げるために色々変化した部分があった。

しかし、彼らが根底に掲げているのはやはりバンドという一面で、定期的に「バンド」という言葉が彼らの口からは零れ落ちる。「俺たちロックバンドじゃん?」という若井の発言も、「バンドとしての可能性にかけたい」という大森の言葉も、結局ミセスの軸はロックバンドなのだと再三われわれに諭してくれているようだ。

ボーダレスで、多面的。後でこの話題にも再度触れるが、今のミセスを語るにはこの言葉が最適なのかもしれない。

③『Attitude』という楽曲について

フェーズ1からミセスを追っている人なら言わずもがなだと思うが、この曲はミセスの楽曲の中で最も神格化されているといっても過言ではない楽曲であると思う。

あぁ、どうか いつか
僕の我儘が終わるまで

この一行詩で始まる当楽曲。Attitude=態度や姿勢、物事への向き合い方という意味も相まって、大森の音楽への向き合い方、生き方への考え方が綴られているような印象を受ける楽曲だ。冷たいようで暖かく、どこか死生観が漂うような雰囲気もある。

ライブではやらないと言われていたこの曲が初めて披露されたのは、活動休止明け一発目のライブ、『Utopia』の頭。この事実だけでも曲の重さが伝わるだろう。
本人の言葉が一番だと思うから、大森がこの楽曲について触れたインタビューなどを引用させていただく。

ミセスの核が伝わってないんじゃないかな? って危惧もちょっとあるなかで、この曲はそういう人たちに向けても必要なものだと感じたというか。まぁ、それってアーティストのエゴなんですけど、すごく必要な部分だと思ったので書きましたね。ほんとそういうものを綴った気ではいるし、正しく伝えたいなって欲が、単純にここ最近もっともっと増してきたっていうのもあるんじゃないかな。

よっぽど振り切って割り切ってやらないと、たぶん曲としてできないし、ファンもどういうふうに受け取っていいかわかんないだろうなとは思います。

僕はもう活動休止してすぐに「もし復帰するとしたら1曲目は『Attitude』だ」という話をスタッフにしていました。それこそ2年近く前から僕の中ではイメージがありましたね。具体的な復帰の時期は当時決めてなかったですけど、もし復帰するんだったらそれくらいの覚悟を持ってやるライブじゃないときっとみんなに納得してもらえないよな、自分らとしてもきっと納得できないよなと思っていたので。

この曲を書き下ろした当時の写真やインタビューを見てもらえればわかると思うのだけど、この頃の大森は痩せこけ、目の下にはクマを常在させていた。誰がどう見てもわかるほどに生き急いでいた。
そんな状態の彼が産み落とした『Attitude』という楽曲は、「ファンに曲の本質が伝わっていない」という彼の危機感が根源であり、警鐘であった。

当然、インタビューを読んだファンは焦る。大森がここまでボロボロになってまで、我々に「(曲に込めた気持ちを)正しく伝えたい」と産み出した曲だ。こちら側の背筋も伸びるだろう。もっと誠実に曲へ向き合わなければ、という気持ちにさせられる。
当時Youtubeでこの楽曲のコメント欄のみが閉鎖されていたのも、コメントや評価による先入観や憶測をできるだけなくすことで、ファンの聴く姿勢や態度を試すような意図があったのではないかと考察している。

そんなファンの姿勢が徐々に伝播し、『Attitude』は神格化されていったのだ。大森が楽曲に込めた気持ちを、できるだけ解像度の高い状態で見つけるために。大森がファンへ伝えたい核を、本質を知るために。

※大森の口からも「神格化した」という言葉が出ているし、ファンだけがこの曲を大切に抱えていたわけではないと思う。

知っている方、読み飛ばしたい方へ向けた要約

・Mrs.GREEN APPLEはもともとは5人組のロックバンドであった
・活動休止中に2人のメンバーが脱退している
・活動休止前と活動再開後ではバンドのスタイルが大きく変わった
・『Attitude』という楽曲は(特にフェーズ1からの)ファンの中でとても大切で神聖的なものである
・大森は曲の本質を正しく理解してほしいと強く望んでいた


なにに絶望したのか

①多様性って、こういうことじゃなくないですか

ミュージカルと呼ぶには技術が足りず、ライブと呼ぶには混じり物が多い。終演後、真っ先にそんな感想を抱いた。中途半端に見える。なにもかもが。

バンドとしての概念を覆すことに必死なのかもしれない。カテゴライズをされたくないからこそ多様なものに挑戦しているのかもしれない。若者に人気という冠を外そうと苦労していたのも知っている。

でも、多様性ってこういうことじゃなくないですか。
それって、ちゃんと軸があってこそ成り立つものじゃないですか。いくら変動していったってなくしちゃいけないものってあるじゃないですか。

やりたいことがたくさんあるのはとてもいい。ただ、そこに芯が通っていなかったらただの「中途半端」だ。そして「多面的」であることと「すべてにおいて中途半端」であることは異なる

全部が全部そうだったわけじゃない。美しい、ずっと見てたい、このままこの世界に浸ってたい、そう思える瞬間が何度もあったよ。でも、受け入れられない部分があったのも事実だった。

【追記(2024.3.26):私がFCツアーで「中途半端」と称した対象には、音響やペアダンスをしていた女性とのダンス中の微妙な距離、そしてダンスに重きを置くあまり歌が通常時よりかは疎かになっていたこと、等々が含まれていました。
しかし、今回の『音楽と人』を読んで、あくまで主役は彼らの曲であったこと、そしてダンスや演技などの演出は結局曲を際立たせるためのスパイスだったことを知り、それをすべて「中途半端」でくくってしまうのは少しそぐわないのかなと思いました。というか、主役は曲だって大森が思ってくれていたのなら、それにこたえたいなと。
音響やダンス中のお相手との距離(恥ずかしがっているのか二人の間に変に空間が開く)、そもそもミュージカルとして公演をするには多忙からリハーサル期間が少なく元のポテンシャルより大幅に稚拙なものになっているのではないかという視点などはまだ腑に落ちていないので、多分もうちょっと引きずるんですが。そこだけ追記しておきますね。】

また、今のミセスが多面的であるからこそ、「伝わらない」場面が多かった。というか、今まで突き通していたものが目の前で覆されてしまって、「わからない」という気持ちが増大した。

創作物を見せられて「ん~、なんかよくわからなかった!」ってなるの、割とヤバい感想だと思う。伝えたいことがなんとなくわかっていて、そのうえで「なにがいいたかったのだろう」と考察するのはまだ良いとして、今回のツアーは本当にさっぱりわからなかった。ストーリーはファンの解釈を聞いてなるほどねという域まで持って行けたが、「だからなに?」 と思ってしまった。普通に私の感受性が終わっているだけかもしれない。ただ、これをやらなければ、と思った意図が未だに見えてこないのだ。なにを届けたかったの?

今後、インタビューや本人の口から語られる事柄をもって、ここに抱いているもやもやは軽減される可能性がある。だけど「補足や解説がないと伝わらない創作物って、どうなの?」という気持ちはきっとどれだけ納得しても消えないと思う。個人的な感想だが、観客にまったく伝わらないストーリーは脚本家の自慰行為でしかない。

②我儘を受け止めたい、受け止められない

「真ん中:大森元貴、端:若井と藤澤」、という構図。どうしてもそれじゃなきゃダメだったのか。いつまでもひとりでいないといけないのか、あなたは。

一人と四人、いびつな五角形、常に横並びになることを目指しながらも結局は大森のワンマンバンド。それが嫌で、どうにかしたくて、もがいてきたんじゃなかったのか。大森だけじゃなくて、ほかのメンバーも。

フェーズ2になって、「二人を頼もしく思えるようになった」って、「安心して今に浸っていられる場所にミセスを作ってくれている」って、インタビューで大森が言ってくれたとき、本当に嬉しかったんだ。フェーズ1の生き急いでいた大森を知ってるから。それに苦しんでた周りも知ってるから。
ノアのDVDでも、ステージ下でふたりにかけた言葉がきらきら輝いて見えて。ああこの数秒のために二万払ったんだ自分、って本気で思ってたんだ。脱退は本当に本当に暗い出来事だったけど、もう一度あの気持ちを体験しろと言われたら絶対に無理だけど、それを経て孤独だった大森がふたりを頼れるようになったのなら、それは彼にとって必要な出来事だったのかもしれないって。ようやく飲み込めそうだと思ってたんだ。それなのにここでまたぶり返すのかあ。

演出上、仕方のない部分があったのだと思う。ミュージカル調で各々演じるキャラクターがいる以上、本人たちの関係値もフラットに見ないといけないだろうし。
でも、もっとやりようはあったよね。間違いなく。特に最初の登場、あんなにぬるっと入ってくることありますか。ふたりもメンバーなのに?

これはもしかしたら贔屓なのかもしれないけど、今回のツアーで、私って藤澤のライブ上での立ち回りが大好きなんだなと改めて実感できて。
ワンマンバンド問題やら大人たちからの言葉やらで苦しかった初期、キーボードしての自分だったり、ミセスのメンバーとしての自分だったり、そういうものをすごくすごく考えて彼が切り開いたものが、「C&R」だと思っているから。『VIP』の歌詞を自分に歌ってるんじゃないかって不安になってしまうような人ですよ。それでも今ステージに立っている彼の強さや、「誰も置いていかない」って気持ちが見えて、本当に好きなんだよな、りょうちゃんのライブでの立ち振る舞い。見たかったな。楽しみたかったな、純粋に。

「僕の我儘が常にチームの主電源」、「我儘が終わるまで」。そう言われ続けて、いつだってそれについていきたいって思ってきた。それは今でも変わらない。ファンとしてそれを受け止めたいし、それを楽しみに生きてもいきたい。

ミュージカルをFCツアーでやることが、ある種ひとつの我儘であったのかもしれない。信じてるって言ってくれたしね。

でも、あなたが本当にやりたいんだったら、FCなんかでやるのではなくてちゃんと全員応募可能のライブでやるべきだと思う。こういうものこそ。あなたが目指している景色、望んでいる目標、それはFC会員だけじゃなくてもっと多くの人に見てもらうべきじゃないんだろうか。うがった見方をして申し訳ないけれど、今回に限ってはこちらへの信頼が妥協のように見えた。賛否両論あるとわかっているから、より自分を愛してくれそうなFCの場で決行したのではないか、というふうに。多様性の話に戻るが、それもまた「中途半端」に見えてしまうんだ。

「やりたい」が自由にできる場所であってほしいと、いつだって願ってる。本当に。心から。ただ、そこにふたりの我儘も乗っけてほしいと願ってるだけで。だって、大森のワンマンバンドじゃないんでしょ、ミセスって。

③思い知らされた「大人になる」ということ

ここまでいろいろ言ってきたけど、結局これだと思う。
「ミセスに絶望した」というよりは、「自分に絶望した」。多分。

フェーズ1からフェーズ2になって、二年がたって、その中でミセスもファンも同じように年を重ねて、大森のスタンスが変わって、でも私は変われなくて。それがどうしようもなく悲しいし、苦しいんです。
同じ視線で、気持ちで、走っているとおもっていた人が、もう違うものを見ていると思い知らされるようで。(すごくおこがましい前提だが)

『Attitude』の一連もあって、ミセスが、大森が、曲を通して伝えたいと願っていること、100%で理解することは難しくとも、できるだけ取りこぼさないように考えてきたつもりだったんだ。それだけ真剣に曲と向き合いたいと望んできたし、それを望まれているとも思っていたから。

『君を知らない』、『Attitude』、『PARTY』、等々。
軒並み恋愛ソングに改変されてダンスと共に歌われた瞬間に、「あぁマジかよ」って頭を抱えてしまった。活動休止中の諸々が頭をよぎって、「よりによってなんでその曲たちなんだ、どうしてだよ」って思ってしまった。

わかってる、この絶望って見る人が見れば俗にいう「フェーズ1の亡霊」で、今のミセスにはお門違いなんだ。

フェーズ2に変わることで大森のマインドには確実に変化が生じた。「諦められるようになってきたような」と『Feeling』で歌っているように、反抗という武器を捨て、諦めという盾を手にした大人へ成長した。迫りくる絶望を、「それも仕方のないことだ」と包み込めるようになったし、仕方のないことだからこそ楽しもう、踊っていよう、そんな世界も素晴らしい、と受け止められるようになった。というか、どうしても成長や変化を迫られる状況だったのだと思う。思う、としか言えないけれど。

大森のマインドが変わると、当然曲へのスタンスも変わる。大森が曲に込めた想い=正解、として、「正解を一字一句正しく伝えたい」と思っていたのが「正解ってひとつじゃないよね、別解があったっていいよね」というスタンスへ変化した。

そして今回のツアーでは別解のうちのひとつを見せられたにすぎない。今の彼らは多面的だから。

わかってる。でも、じゃあ、今までの歴史はどうなる? 曲に対して考えてきたものは? 積み上げてきた思考は? 大事に持っていたものを、いきなりそれをくれた張本人たちから「もうそれじゃなくてもいいんだよ」って言われても、それってそんなにたやすいことじゃない。抱えてきた年月が年月だからさ。
捉え方様々でいいって言われたって、あなたの言葉を欲してあなたの言葉を考えて生きてきたんだ。急に手を離されたらすがってしまうよ、それは。ずっと煮詰めてきた解釈に「これも追加で!」って恋愛を乗っけられても、拒んでしまうよ。曲が曲だもの。(『Just a friend』は元の解釈のままミュージカル化されたので大絶賛で受け入れられたのだと思う)

彼らの曲なんだから彼らの自由にさせるべきだという意見を今回すごく多く目にして、いや〜〜〜ほんとそうだよな!!!!  という気持ちでいっぱい。そうなんだよね、わかってる。でも、ごめん、まだちょっと時間がかかりそう。今までの年月とか、溜めてきた思考が、私の足枷になってるみたい。『Attitude』を軽快に踊りながら歌えるようになった大森を、「うれしい!」と思えるほど、大人になれていないんだ、まだ。そこまで成長できてないんだ、私は。

こんなふうに「でも」「だって」を並べてしまう時点で、どこまでも私って子どもなんだと思う。それが、今回のツアーについてを考え抜いた先に、私がたどり着いた絶望だった。

絶望を愛せるようになった大森がつくる音楽も、今の私を変わらず救ってくれてる。どん底まで沈んだとしても、浮上する未来が明確に視野にあるような、そんなフェーズ2が大好きだ。
でもたまに、たまに苦しくなる。私はまだ絶望を絶望として捉えてしまうし、悲しいときはとことん悲しくてそんな世界を憎んでしまうし、苦しい状況で踊れるような余裕もない。いろんな人間がいる世界を美しいって思いたくても、どこかで必ず汚いなと思ってしまうから。

これが、「わかりあえない」とか「どうにもできない」状況を諦められるようになった大森と、まだまだ世界に反抗していたいフェーズ1を懐古してしまう私との差なんだと思う。

でもこの苦しみはきっと当たり前のことなんだ。世界が許せなくて、周りが嫌で、なんで自分はこうしたいのに皆わかってくれないんだ! ってギャンギャン騒いで自己嫌悪して、孤独でどうしようもなく沈んでる大森の歌詞を、ずっと好いてたんだもの。待ってたんだもの。共感してたんだもの。惹かれたのは彼らのそういう部分で、それだけは譲れないから。

インスタライブで「大人になる段階で苦しんだことはありますか?」的な質問に「もうどうでもよくなっちゃった」と答えていたのも心臓に来た。あ、そっか。もうどうでもいいんだ。そんな場所にもう彼はいないんだ。って。

考えが大人になって、妥協を知って、反抗を諦めていく。正しい成長だと思う。よかったね、とも思う。正直。だって生きづらいもん。100%でわかりあうなんて不可能なものを信じ続けるのも、許せないものに出力最大でぶつかっていくのも。

でも、いつまでも諦めないでほしかったんだよな。足掻いていてほしかったし、足掻いてくれると思ってた。勝手に。
フェーズ1のことを大森が「僕の青春」って称してるの、本当に好きなんだけど、いつまでも青春でいてほしかったんだよ。

このツアーを通して気づいたけど、やっぱり自分って亡霊でした。というか、この気持ちすべてがエゴでしかなくて、もう嫌んなっちゃうね。結局どこにもいかないで〜〜😭っていう自己中心的な考えでした。彼らは、中身こそは成長したとしても、変わらずに個に寄り添ってくれているのにね。
もちろん今のミセスも大好きで、ありえないほど救われてるんだけど。でも、やっぱりだめだ。だって活動休止期間中もフェーズ1の曲を聴いてフェーズ1の彼らを待ってたんだから。そりゃ、無理だよなあ。


とはいえやっぱり好きなんだ

もうね、だめです。ホワンジの次の日、泣きはらした顔で朝の支度をしようとして何も考えずに『HeLLo』をかけた瞬間、悟ったよね。

どうしようもなく好きなんだ。これ以外は無理なんだ。他なんてないんだ。

なんでこんな好きなん? 涙が出るくらい好きになったアーティストなんて初めてで、もうどうしたらいいかわかんないよ。感情がごちゃごちゃでキレそう。でもそれ以上に幸せで笑えてくる。

こんなにぐちぐち言うなら離れろよ、界隈の邪魔だよって、自分自身よくわかってるしやめるべきなんだよな。言ってることがDV彼氏と付き合ってるダメ女だもん(ミセスがDV彼氏と言いたいわけではないですよ皆さん)。そりゃ別れるべきだよ。でも、人間そんなにシンプルだったら苦労してないよな。すきだからこそ言いたくなった節もあるし。

FCも嗚咽しながら年会費払いました。一年は継続します。

追記:エッセイと称して投げた文章ですが想定していたよりもかなり多くの方々に読んでいただけたようで、とってもうれしく&恥ずかしく思っています。ネタバレ解禁前に時間に追われて感情任せに書きなぐった部分があるので、さぞかし読みづらかったでしょう。あなたが否派だとか賛派だとか、古参だとか新規だとか、そういうのは心底どうでもよくて、私のおもたい言葉をここまで受け止めてくださったことにただただ感謝。
「私の考えでしかない」と最初に言った通り、押し付けるつもりは毛頭ありませんし、これが正解だとも思っていません。当たり前ですが、彼らの全てを理解できている訳でもないです。なので、各自必要な部分だけ抽出して受け取ってもらえたらなと思います。人には人の意見があるのが当然なので。ただ、千差万別いろとりどりの意見がある中で、あなたが私に少しでも共通点を感じてくださったなら、とってもうれしい。出会えてよかったです、最近また冷えてますし、暖かくして寝てね。

コメントくださったかた、うれしいありがとうの一言に尽きるのですが、感想を書こう! と思ってくださったことがもう愛しいです。共感してくださる方が多くて「あ~~~ひとりじゃないんだな~~~~」と思えます。ハグ……。



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