見出し画像

山口謠司:著 『漢字はすごい!』(講談社現代新書 2013年)は間違いが多い

専門家の書いたウンチク本でおもしろい本だからといって、事実に基づいているわけでははない場合がある。
山口謠司の『漢字はすごい!』がそういう本である。
山口は日本語学でもいろいろ批判されているけれど、その分野は私はほとんど知らないので、「漢字と漢文の歴史」ついて書いてある箇所だけ指摘したい。

まずは甲骨文字について19ページから20ページに「漢方薬から発見」というタイトルで甲骨文字の最初の研究者の2人を紹介している。
この漢方薬から発見というエピソードは有名な話ではあるけれど、作り話であることが判明している。
山口は作り話ということを知らないのだろう。

31ページから始皇帝による漢字の統一について説明がある。
 
> 篆書を廃し、後世隷書と呼ばれる書体に統一した。

始皇帝は篆書を廃止していないし、秦の正式な字体は篆書である。
統一したのは篆書の字体である。

38ページから王羲之の字体の紹介をしている。
40ページには王羲之の『蘭亭序』の写真を載せている。

> 王羲之が残した時代には「楷書」というものはなかった。

『蘭亭序』は行書の名作と言われているが、楷書も混ざっている。
王羲之の時代には楷書が既にあり、王羲之も楷書を書いている。
王羲之が実際に書いた文字は『蘭亭序』を含めて残っていないけれど、多くの模写が残っている。

それでは山口はいつ頃から「楷書」が作られたと思っているのか?

> 現在我々が言う「楷書」が現れたのは、印刷技術が発明される宋代になってからである 41ページ

山口は「楷書」と「明朝体」の成立を勘違いしているのかもしれない。
山口は明朝体についていろいろ説明しているけれど、意味不明な発言もある。

> 明朝体が最盛期を迎えた年はおよそ西暦1600年である。 51ページ

「最盛期」の意味がわからない、たぶん「完成」の意味で使っていると思われる。

> 江戸時代の漢籍、漢文学(日本人の創作した漢詩および文学的な漢文)の書物は、明朝体のものが非常に多い。
> これは明代に作られた書物が多く我が国に輸入され、それをもとに本が作れたからである。

「明代に作られた書物」が日本人に大きな影響を与えたのは事実ではあるけれど、「清代に作られた書物」も日本人に大きな影響を与えた。
代表的なのは『康熙字典』である。
山口は19ページで『康熙字典』を紹介しているけれど、「明朝体の日本人への影響」については無視している。

山口は竹簡についても間違ったことを書いている。

> 我々が現在使っている漢字は、偏(ヘン)と旁(ツクリ)との合成作られているのに対して、竹簡の書物では、ほとんどが漢字の旁だけで書かれていて、偏がないからである。
> 幅がないから、当時のひとは偏を書けなかった。


始皇帝が漢字を統一する前の竹簡を見ると、偏が少ない印象を受ける。
しかし山口は前漢(王朝の名前)と後漢の間で大きな変化が起こった説明として竹簡の偏と旁の話をしている。
しかし、なぜ山口は竹簡に限定するのだろう?
木簡も当時は大量に流通していたのだから、木簡についても語るべきなのに。
山口の仮説は偏と旁を省略した理由は当時は漢字を読むことを重視したから・・・というもの。
その仮説に木簡は合わないから無視。

山口は漢文は簡単と断言している(62ページ〜63ページ)。
山口個人にとって簡単というのではなく、多くの人にとって簡単だそうである。
梁啓超の日本語論の逆パターンを連想してしまう。
梁啓超の日本語論は今では噴飯ものとして有名。

参考

阿辻哲次 『図説 漢字の歴史 普及版』大修館書店 1989年






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?