ジャニー喜田川問題の本質

ジャニー喜田川問題の本質は、詰まるところ以下ではないか?
-才能・能力があるが、同時に人格・倫理性に大きな問題を持つ人が、世の中で成功し、かつ権力を得る。
-いったん権力をもつと、それを悪用(=アメとムチで周りをコントロール)し、さらに権力を拡大する。(悪循環が発生。)
これにより、被害者(しかも大勢の)が生まれる。また、何か、社会の構造のようなものを、歪めてしまう。(例えば、芸能界であれば、健全な競争が失われ、機会均等が崩れる。)
 
ジャニー喜田川の問題はペドフィリアであり、かなり特殊な状況と思われがちである。ただ、これをモラハラ・パワハラと置き換えれば、「能力や才能を持つが、モラハラ・パワハラ傾向を持つ人が、社会的に成功し、かつ、権力を拡大していく」というのは、結構既視感のある風景だ。こんなことが起こっている会社や組織(あるいは国も)は、いくらでもありそうな気がする。なので、ジャニー喜田川問題は、本質的な部分で普遍性を持つ問題と思う。
 
では、こんな人がもし近くに現れたら、どうすればいいのか。ひとつの方法は、いざとなったら逃げれる準備をしておくことだ。「逃げる」はネガティブにきこえるけど、逃げても夢や希望を追える状況でいられるなら、ポジティブな選択だ。現実には難しいことではあるけど。でも、勉強とか教育は、突き詰めればこのためのもの(自分の選択肢を広げるためのもの)なのではないか、と思う。

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