不自由になったなあ

今の日本って、どんどん不自由になってきている感じがする。いろいろなものが自由化されて、ルールがどんどん撤廃されているはずなのに、逆に弱者を守るためのルールがどんどん作られてしまうがために逆に生きづらくなってきている気がする。
ちょっと前にも似たようなこと書いたけど、例えば残さず食べなきゃダメから、残しても良いにかわった。昔と違いアレルギーを持つ人が増えたのもあるかもしれないが食べたくなければ残しても良いという考え方はやはり納得できない。学校行きたくなければ行かなくても良い。これも同じだよね。
本当の弱者。どうしても食べられない。食べたくても食べられない人。学校に行きたくてもどうしても行けない。そのような人を守るためのものなのに、単に嫌いだから食べない。美味しくないから食べない。学校めんどくさい。勉強したくないから行かない。本来食べなきゃならない人を、行かなきゃならない人まで許してしまうルールが全くもって納得できない。
ほんの一部の弱者のためのルールが捻じ曲げられている。そんな甘い世の中じゃどんどん我慢のできない意志の弱い奴が量産されてしまう。
YouTubeが爆発的に主導権をもったのもその一部のためのルールのせいだと思う。今までテレビでできてたものがどんどんNG判定されているがために少しルールが軽いYouTubeやアマゾンプライムなどの企画物に流れている。ま、じきにそこでもできなくなることが増えていくだろう。
時間の使い方も昔はメリハリがあった。
見たい番組も見逃したらアウトなわけなのでそれに合わせて準備して、見逃さないように集中してた。それがビデオが登場し、録画しておけばいつでも見れるようになり、今はお金さえ出せばいつでも見れるサービスが展開されている。
いつでも見れるようになったからこそ、集中できなくなるのだ。昔は好きな人と電話をするだけでも大変だった。相手の父親が出るとそりゃあ緊張したもんだ。市外の人だったら、そもそも電話できる時間が限られていた。ほんの30分でとんでもない料金がかかる。そりゃあ無駄な時間は使えない。今はラインで電話し放題。チャットなら真夜中でもいつでもダラダラと会話可能。便利になったからこそ、無駄に時間を浪費している。
いろいろなものが便利になり、時間効率が上がっているのにその時間の使い方が下手になっているわけだ。
仕事においてもやはりやりづらくなってきている。パワハラというワードが強くのしかかり、部下に仕事を与えづらくなり、みんなで夜中まで残業して頑張るという風景も無くなった。善悪の線引きが難しいところではどんどん楽な方に流れてしまうのだ。みんなで苦労したからこそ得られる達成感を味わうことなく、個人個人のプライベート最優先な職場環境が出来上がりつつある。
SNSという、昔では全く繋がることができなかった人たちと繋がることができるようになった反面、一番近い一番つながらなければならない人たちとは疎遠になっているのだ。
やっぱりなんか生きづらくなってるな。
しかもこの流れは止まるどころか加速しているわけで、更にNG項目が増えていくんだろうな。
不自由になったもんだ。




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