失感情症

…なのかもしれない、と気づいたのは2年前の夏だった。

私は小さい頃、変な子だった。うるさくて落ち着きがなくて、周りは迷惑していただろうなと思う。
ある程度大人になった頃、このままではいけないと思ったのだろうか。周りに合わせよう、目立たないようにしようと考えた。最初はうまくいかなかったが、途中で要領を得たのか良い塩梅で生活できるようになった。

しかし気づいたときには、自己がなくなっていた。

昔は短気だったが、今は何があっても大して何とも思わない。
それは良かったことのように思うが、だんだん、楽しいや嬉しいもわからなくなっていった。
それからも自分が自分であることに変わりはなかったはずだが、
自分が自分でないような、自分という身体をゲームのように外から操作しているような、そんな日々が続いていった。

社会に馴染んで落ち着いただけなのかもしれない。考えすぎなのかもしれない。
ただ「自分が言っていることと思っていることが一致していない」「自分の意見が無い」「何が好きで何が嫌いだったのかわからない」ことに気がついた。
それから自分のすべてが嘘のように思い、自分の言動に疑問を抱くようになってしまった。


ある日、私の外側と内側のズレに気づき、指摘してくれた人がいた。
私はびっくりして、気づいたら泣いていた。久しぶりの涙だった。
いつもであれば「ずれてる?そんなことないよー」と言えそうだったが、
その日その時の言葉は、自分でも認識できない自分の奥深くに突き刺さった。
それから、私の構造について考え、調べ、その結果行きついたのが「失感情症」である可能性であった。

行きついたところで、考えたところで、未だ自分なりの解決策は見つからない。自分の中のズレを認識したまま生活することは結構大変だった。
そんな自分がもう一度「楽しい」を感じるにはどうすればいいか?
それが今の自分の課題だと思う。
もしずっと見つからなくても人間のふりをし続けられるとは思うし、それもそれでそれなりの人生にはなると思う。

ただせっかく気づくきっかけをもらったのだから、
自分にできることをして、自分の心で感じて、心から笑える日を掴みたい。


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