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(映画レビュー)The Fools 愚か者たちの歌

 1978頃から最近までずっと、地下で下手ウマ音圧系パンクロックをやってきた男たちの生き様の記録。それにしても登場人物が次々と死に過ぎ。

 生き様は全く違うけど、この音の感じは、確かに自分にも経験があって、その気持ち良さもダメさも自分の中にストックされていて、映画観ながら、その引き出しが次々と開けられていく。

 耳と身体が「気持ちいいものは気持ちいい」と、The Foolsの演奏に反応する一方で、自分の中の危険予知本能のようなものも反応する。「この感じ、30年前に身近にあって、味わったな」と思う。

 自分がこういう音に隣接していた30年前に、「こういう音だけを何十年も鳴らし続けた先にある実際の人生はきっとこうなるよな」と想像したままがスクリーンに映り出されていた。30年かけて遂に実証サンプルが公開された…ご機嫌で危険なライブ映像たちと共に。客席にいた多くの「地上側なんだか地下側なんだかよく分からない境界線上の見た目の中年たち」はどう思ってこの映画を観ていたんだろうか。そして音沙汰のないかつての自分のバンドメンバーたちは、いま地上側にいるのか、地下や境界線をふらついているのか、生きているのか…と気になったりする。人生なんてホントに紙一重で危ういものだ。

 だからと言って、高くて安全と思われているところだけを歩き続けることが良いか?なんてことは、ホントのところよく分からない。地下でしか出会うことの出来ない最高にヤバくて鮮烈な体験だってある。自由が侵されないかどうかという問題。それは、大衆の集団心理が醸し出す良いか悪いかという胡散臭い基準よりも先にあるべき。劇中で、伊藤耕が何度も薬で逮捕収監され、その度にバンド活動が中断し、それによってメンバーの人生も狂っていく様子が描かれている。劇中でインタビュアーが伊藤耕のパートナーだった女性に対して、「何故、伊藤耕にドラッグをやめるように言わないのか?」と聞くシーンがあった。「彼が自分の意志で選択してやっていることに対して、何でとやかく言えるのか?」みたいな返しだった(正確な再現ではないが、だいたいこんな感じだったかな)。法を犯すことが良いか悪いかなんていう答えるまでもない当たり前の論点ではなく、「自由意志」という論点でその質問に答える一連のやり取りが印象的だった。

 音楽に関しては、どんなにヤバくても、薬物やスピード違反と違って、(干されることはあるかもしれないが)取り締まられないのは良いと思った。

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