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将門を祀る?阿蘇神社(羽村市)

 JR青梅線の羽村駅で下車した。羽村といえば、玉川上水の取水所の水門があるところ。十七世紀の江戸の初期にここから四谷まで約43㎞の人工水路が開かれた。羽村と四谷の高低差は92mしかないそうだ。すごい土木技術。

 阿蘇神社はその水門より1.5㎞ほど上流にある。駅西口を出たら一中通りという道を進む。道はずっと下り坂。途中の羽村第一中学校(一中)の前は崖になっていて、その下は住宅街の屋根が連なっている。この崖は多摩川が削ってできた河岸段丘だろう。

 玉川神社の横を通り、間坂の信号が見えたら左折する。間坂まざか間の坂あいのさかともいい、間坂集落の地名の元になった。

間の坂

 この坂は中世、三田氏と小宮氏の領地の境だったことから「あいのさか」と呼ばれたという。この三田氏という豪族が平将門の子孫と称していた。

 さらに坂を下り、三田氏に縁のある一峰院という寺の前を過ぎて200mほど進むと、多摩川の土手に突き当たる。

 土手の上に上がってみると、神社の入り口があった。

ここが阿蘇神社の入り口
小さなお稲荷さんの祠に小さなお狐さんがいっぱい
中をのぞくと油揚げのお供えがあった
左手に多摩川の流れ
奥が上流方向

 右手に竹林のある参道を進むと鳥居と階段があった。川のすぐそばだが、神社は安全な崖の上にある。

竹林と柴垣の参道
村社阿蘇神社
鳥居の横から多摩川を見る
手前の草むらに注連縄で囲われた場所が
なにかの神事が行われる場所だろうか

 阿蘇神社の創建は推古天皇九年[601]と伝えられる。健磐龍命、阿蘇都媛命、速瓶玉命を祭神として祀っている。(他にもたくさんの御祭神あり)
 神託により健磐龍命から賜った玉を祀ったのがはじまりだという。

本殿と思いきや、これは本殿の覆屋
実は本殿はこの中にある

 承平三年[933]平将門が社殿を造営したという。
 天慶三年[940]将門の死後、藤原秀郷が将門の霊を鎮めるために、社殿を修復した。その際、秀郷は境内に椎の木を手植えしたという。

 その時の椎の木が御神木として今も生きている。

阿蘇神社の椎の木
東京都指定天然記念物

 中世、三田氏も大旦那として庇護したといい、三田掃部助定重は社殿を造営し、朱印十三石の社領を寄せた。

手水舎
この中にある本殿は江戸初期の延宝四年[1676]の建築で、
東京都指定有形文化財

 三田氏が滅びた後は、小田原北条氏の庇護を受け、永ニ十寛文の神領を寄せたという。

 慶長三年[1598]には徳川家康も参拝し、二丁四方の馬場を寄進し、馬を放った。
 三代将軍家光は十三石の朱印地を寄せた。以後、代々の家例とした。

 武士の崇敬を集めた神社であることが分かる。

 羽村の水門の傍に水上公園があり、そこから土手の道を歩いて、神社までくる人が結構いるようだ。多摩川の自然を楽しみながら、のんびり散歩がてらの、神社参拝もいいものだ。


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