見出し画像

画家モディリアーニ。35歳で逝ったその生涯、そして内縁の妻ジャンヌとは?

#モディリアーニ #西洋絵画 #ピカソ #ユトリロ #ブランクーシ  
#アフリカ彫刻  

中学1年生のある日のこと、変わり者の父は、平凡社の百科事典(16巻)の中古を買ってきた。ヒマに任せて、なにげにいつも眺めては感心する日々。そのなかに、モディリアーニの裸婦像があった。その特徴ある人物像には、なんとなく心惹かれるものがあったと記憶している。

モディリアーニは、4人兄弟(本人を入れ、男2人女2人)の末っ子として生まれる。場所は、イタリアの斜塔で有名なピザの隣街、リボルノ。1884年(明治17年) 7月に生まれた。

家は、ユダヤ人一家で、比較的裕福だったという。しかし、本人は子供の頃より病気がちで、まともな教育は受けていない。しかも末っ子ゆえに母親から溺愛されていたようだ。

たぶん画才があったのだろう。189 8年14歳の頃から8年間、ベネチアやフィレンツェで絵を学んでいる。当時のイタリアは、伊ルネッサンスのシエナ派が流行っており、その装飾的画風に影響を受けていたようだ。

1906年22歳でパリに出た。マンモルトルに住み、洗濯船の仲間と交流ができる。とくにピカソの影響はつよく受けたようだ。また、このとき悪仲間と知りあう。フランス人のモーリス・ユトリロだ。年齢はほぼ同じだったが、この時ユトリロは、すでにアルコール依存症だった。モディリアーニは、麻薬に手を染めながら、飲み歩く生活のなかで絵を描いていた。サロンドートンヌやアンダパンダンテの展覧会にも出品しているが、評価は芳しくなかった…。

1909年25歳モンパルナスに引っ越す。ここで彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと出会い、彫刻の制作へとすすむ。当時のフランスでは、アフリカ彫刻が大流行となっていた。ブランクーシの指導のもと、アフリカ様式の彫刻に励んだが、体力がつづかない。そんなとき、7歳年下のポール・ギョームと知りあう。やり手の画商だったギョーム。絵の方が売れると説得。体もラクということもあり、ふたたび絵画の世界にもどった。

このアフリカ彫刻に触れたことで、モディリアーニの芸術性が一気に花ひらいたといっていい。アーモンド型の目。瞳を塗りつぶしたり、書き込まないスタイル。細く長くのびた首。コントラストのつけない色彩。などなどの独自のスタイルが確立された。

しかし、なお絵は売れない。そのため、この時もっぱら友人や知人や隣人、はては見知らぬ人までも描いている。

そんななか1916年32歳の時、救いの神が現れた。ポーランドの詩人、レオポルド・ズヴォルフスキーだ。この2年前にパリに文学を学びやってきていた。商才もあったようで、本屋版画の販売も手がけている。

そのズボルフスキーが、モディリアーニの生活費の面倒を見るようになる。モディリアーニのことを、すっかり気に入り、妻アンナともども支援していくようになった。

お金もはいり、翌年からモデルをつかい、積極的に絵の制作に入ったモディリアーニ。個展もこのズボルフスキーの手配で開催する。

モディリアーニが、ジャンヌ・エピュテルヌと知り合うのはこのとき。それは、画塾でだった。ジャンヌの家族には父母と画家の兄がいる。当時(1907年) 19歳のジャンヌは、画家としての能力にも優れていたようだ。しかも、人の才能にも敏感だったと思われる。

すぐにモディリアーニに惹かれていく。しかし、すでに3人の女性に子供を作っていたモディリアーニ。女と酒と麻薬に溺れていたのだ。ジャンヌの両親も心配して、引き離そうとしたが、無駄な努力だった。

ダメ男だったが、一流の才能に目をうばわれたジャンヌは、別れようとせず、モディリアーニの子供を産んでしまう。

自分の体力を顧みない生活をつづけるモディリアーニ。さらに病魔が体を蝕んでいった。1919年冬、もう余命が少ないことを知っていたのであろう。モディリアーニは、母に自分の写真を送った。

ジャンヌも気づいてはいたが、なす術もなかったようだ。2人目の子供を身籠っていたジャンヌ。すでに9ヶ月目を過ぎていたが、目もうつろだったという。

1920年1月24日夜、モディリアーニはパリの慈善病院で亡くなる。享年35。その横には、ジャンヌが付き添っていた。

ズヴォルフスキーは、ジャンヌを1人にしておけないと考え、いつも使っているモデルの子を突き添わせ、ホテルに送ったそうだ。

モデルアリーニの死の2日後、ジャンヌは自身の親にしたがい家に戻った。兄は、ジャンヌの自殺を思いとどまらせるよう説得。しかし、兄はついつい居眠りをしてしまう。その瞬間、妹のジャンヌは2階の窓から飛び降りた。享年21の若さだった。

モディリアーニと、ジャンヌの子、「ジャンヌ」(母と同名)は、ズボォルフスキーによって、モディリアーニの家族へ届けられる。このジャンヌは、後に美術評論家として、父のモディリアーニのことをいくつも調べあげたようだ。

まとめ
いま世界で最も高額で売買されているのはモディリアーニの作品である。中国人投資家リュウエッケンが2015年に買った裸婦像は、日本円で1700億円と言われている。

このモディリアーニは、とくに東洋人に人気があるようだ。私も子供の頃より、気になる画家の一人。ただ、その生涯は、なんと壮絶だったか…!とつくづく思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?