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黒木靖夫の語る「ウォークマン開発秘話」NHKプロジェクトXで、何故とり上げられなかったのか?

#ソニー  #ウォークマン  #NHK
#プロジェクトX  #会社の歴史
とにかく講演会が好きだった私。とくに地元の法人会主催のモノは、演者の話しのあとに、懇親会があり直接話しが聞けるので、かならず出席していたものだ。

いつのことか!覚えていないが、その年は、元ソニー取締役の黒木靖夫さんの話しだった。ソニーといえば、創業者のふたり井深大と盛田昭夫の名が、知れわたっている。はじめは、黒木氏?誰という感じだったが…。

話が進むにつれ、この黒木靖夫が直接ウォークマン開発に関わったことを知る。黒木は、デザイナー畑の人間だったが、この時点では、企画開発も任されていたようだ。

そもそも、ウォークマン開発は、井深大の出張にあったという。クラシック音楽が大好きな井深。ソニーが開発した肩掛式録音機デンスケを、旅の友としていたという。ただ、このデンスケ、重量が1.7キロもあった。それでも海外出張に持参。重くてかなわん!どうにかしてくれ!という気持ちだったそうだ。

ある日のこと井深大は、副社長の大賀典雄に打診する。軽量で、ステレオ再生機ができないか!と…。大賀はすぐに、テープレコーダーの責任者、大曾根幸三に相談。すでに50万台生産された「プレスマン(モノラル録音再生機)」の本体と部品を生かして作られた試作品を提供する。井深としては大満足だったという。

この話を、社長の盛田はききつける。これはイケるのでは…!しかし、当時の日本において、再生のみというのはありえない!のが業界の常識となっていた。社内でも反対があったようだ。盛田は社運をかけておこなうと決意する。

まず、価格の問題があがった。コストが、一台あたり33,000円はする。利益を載せれば、売価は5万円になってしまう。これでは売れるはずは無い。盛田は直感する。売上げが数万台になれば、3万3千円で売り出しても、十分に利益は取れるはず。

次が、ネーミングの問題だった。ここに黒木靖夫はおおいに関わったという。さまざまな案が出たが、黒木靖夫が選んだのがウォークマンだった。盛田に報告にいくと、「もっと良い名前はないのか!再検討しろ」と言う。黒木は、このウォークマンで、すでに開発や宣伝が決まっています…と押し切ったようだ。

ソニーとしても社運がかかっていた。もう後にはひけない。様々な宣伝活動を考える。ふつう新聞主体の広告が一般だったが、若者雑誌に力を入れたという。また、タレントを使うことも考えた。西城秀樹や松田聖子も使ったようだ。

社員も、ウォークマンを身につけて、街中を歩いた。山手線に乗っては何周も回ったという。とにかく人目をひく作戦は全てやったと言ってよい。

次第に街中でも、身につける若者が増えてくる。そしてなんと1ヵ月後には完売する店が続出した。数ヶ月で初回生産分の数万台は完売。予約待ちになるほどだった。

*裏情報
実はこのウォークマン、けっこう故障が多かったという話がある。黒木靖夫も、これには言葉を詰まらせた。黒木靖夫が言うには、「ウチの会社は、何年経とうが、部品はきちんと揃えている」 そこが他社と違うと胸をはった。かならず全て修理する会社。そこは自信を持っていたようだ。

まとめ
NHKプロジェクトXでは、このウォークマンについて取りあげていない。できなかったのだ。理由はいろいろある。関係者がすでに亡くなっているという話しがあるが、私は別のことを考えた。

音響機器の開発競争は、凄いものがあるということ。日々、戦いの場である。実際にこの後、ウォークマンはiPadにとって変わられてしまう。そんな状況においては、到底取材の許可は降りないだろうということだ。
しかし、世界中の人々の文化に影響を与えたウォークマン。その歴史は、胸に刻んでおくべきだろう。

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