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サンクチュアリの内と外『いちばんすきな花』レビュー

こういう感想を持ってしまうのは自分だけかもしれないと思った。

SNSで自分と同じ感想を探してみても見つからない。

私にとって孤独というのは、何もないところにひとりでいることではない。

3人以上の人が集まるときに「自分だけ」と感じることだ。

『いちばんすきな花』というドラマは、私を孤独にした。

ドラマに「共感できない」というわけではない。

主人公4人のゆくえ、椿、夜々、もみじ、それぞれに、自分との類似点を見つけることもできる。だけど、対になるように相違点も見つけられる。

私は、ゆくえのように「こう思っているのは私だけかもしれない」と焦ったりすることはあるけれど、一貫して少数派の側に立つことはない。

椿のように、思ったとを言わずに相手に合わせて苦しくなる時があるけれど、知り合いを作りたくないから毎回美容室を変えることはしない。

夜々のように、見た目が良すぎて行く先々で嫉妬されたりはしないけれど、自分の悩みを一般論で片付けられたことはある。

もみじのように、顔がいいから友達からナンパだけに駆り出されることはないけれど、1人で浮くのが嫌だから特に興味のない人と一緒にいることはある。

主人公4人には手放しで共感できるわけではないが、部分的な自分との類似点がぎょっとするほどリアルに描かれていた。

そして、この4人は、「2人組が苦手」という共通項で仲良くなる。

6話までの前半は、細かく見ればマイノリティになってしまう人をクローズアップして描いていく物語なのだと思った。

それを象徴するゆくえのエピソードがある。

ゆくえが小学生のころに地域で行われたちびっこ相撲大会で、明らかに体格の違う子供同士が対決し、小さく痩せた子が勝ち、大きくて太った子が負けた。会場にいた人たちはみんな感動したらしい。

しかし、ゆくえは感動しなかった。負けた子のことを考えてしまうから。大きく太った子はどんなに恥ずかしかっただろうか、これから相撲を続けていけるのだろうか、学校に行きづらくないだろうか。そう考えてしまうからだ。

これはゆくえのエピソードだが、他の3人も全く違うエピソードで同じように「自分だけが違う」と感じてしまう過去を持っていた。

このような過去を4人はそれぞれ打ち明けていき、仲を深めていく。ひとりひとりだった者たちが居心地の良い住処で、自由におしゃべりできる時間を持てるようになった。

4人の交流は温かくサンクチュアリのように描かれている。

そのサンクチュアリに私はある違和感を抱いた。

それはドラマの中に破片のように散らばっていた。

椿は4人と仲良くなる前、婚約者がいて一緒に住む家に越してきたばかりだった。

しかし、椿の結婚は破談になる。

そして、椿は別れ話の電話をしながら食べていたアイスの棒に「オクサマ」と書き、結婚指輪と一緒に家の入り口の花壇に植えて拝んだ。

他の3人も椿の真似をして、家に入る際にはそのアイス棒に手を合わせていた。

そして椿ともう一度話をするために家にきた実物の元婚約者と対面したとき、3人は元婚約者に手を合わせる。さらに、椿と元婚約者の会話を盗み聞きしながら、3人でこっそり婚約者をいじっていた。

ここで4対1の構図が完成する。

拝む側の主人公たち4人と、拝まれる側の婚約者ひとり。

サンクチュアリはひとりを作り出す。

このエピソードはコント的でポップな演出になっているので、そこまで嫌な感じに描かれていないが、私は少しぞっとしてしまった。

ただ、4人の主人公に感情移入しすぎると、もう1人のマイノリティは見えてこない。

ドラマの前半までは、「誰もがひとりを作りうる」という視点は隠されている。

しかし、8話から登場する美鳥というもう1人の登場人物によって、その視点がくっきりと表出する。

4人はそれぞれ、人生のある交点で美鳥と2人で過ごしていた。

椿は中学校に馴染めない美鳥と放課後に将棋をうった。

夜々は、いとこのお姉ちゃんの美鳥に将棋を教えてもらった。

ゆくえは、塾の先生だった美鳥とよくおしゃべりをした。

もみじは、学校の非常勤講師だった美鳥の言葉に救われた。

2人という関係の中で、補い合い、与え合っていた。

美鳥が数十年ぶりに4人それぞれに一対一で会った時、相手が知っている美鳥であってもなくても、豊かな時間が流れた。

しかし、4人がそろった家に美鳥が招かれた時、5人組は作られなかった。

色違いのお揃いのカップ4つと、形の違う白いカップ1つ。
ゴミ袋の置き場所を知っている4人と、知らない1人。
4人で過ごした時間のある4人と、5人で過ごした時間のない1人。

強固なサンクチュアリはもうひとり入れるスペースがない。

4人に悪意があったわけではないし、美鳥がいない方が楽しいと思ったわけでもない。

それなのに孤独が一つ生まれてしまった。

椿の婚約者の場合は、4人から締め出されても然るべき対象として描かれている人物でもあったから、視聴者が4人の側に立っても傷つくことはない。

しかし、美鳥の場合は違う。

みんなと同じでないことで傷ついていながら、2人だけでいると仲良くできる友人を傷つけうるということが描かれているから。

人と接すると、どんなに気をつけていても、孤独になったりする。

そして、どんなに気をつけていても、誰かを孤独にしてしまったりする。

これは誰にも避けようのないことで、そういう意味ではみんな同じなのかもしれない。

だれもがひとりで、すべては一つなのだろう。



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