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強要を感じるオススメ

最近読んだ本があるのだが、その人の本は話が何度も脱線するし途切れ途切れだし、いかにも文章の書き方みたいなものを守ってないにもかかわらず、読んでいて飽きない。むしろその人の腹の底を垣間見える感覚がして面白い。

ちなみにそれが書かれた時代は戦後まもなくなのでもう6、70年近く前のモノである。

昔の作品は今のような映像技術がないからこそ言葉や音声での伝達が主な手段であって、文学っていう物がその人の主張をもろに表しやすいものだったって考えられるのもあるけど、文字や文章だけでもその人の主張が伝わってくるのが読んでいて凄まじさを感じ胸をえぐられる。

いわゆるその本は自己啓発にも似た「オススメ」に近いことが何個か書かれているのだが、嫌みという物を一切感じない。

自分は基本的にオススメを自分から求める時は、ちゃんとそのすべてに先ず触れようと行動する。

それは自分が自発的に聞いたことなのだからそれが純粋至極当たり前の行動だと思うし、実際にその方がよい方向に転ぶことが多いから。

だけれども、オススメを他人から受ける時には2割くらいはものすごく嫌悪に近いものを感じてしまう。

普通に生活をしていると一度も顔も見たことのないどこぞの誰かから、広告という名のオススメをされる、なんてことが今の時代溢れかえりすぎていると思う。

そんな時代になってしまったからなのか、自分は知り合い、友人と呼ばれる、いわゆる広告なんてものよりも自分のパーソナルスペースに近しい人からのオススメに対して純粋な気持ちで受け入れることができないものが増えてしまったのかもしれない。

その受け入れがたいオススメの種類を考えたのだが、おそらくそれは、オススメと表現するよりも「自分の正しいと思う物事の強要」だと思っている。

受け入れがたいオススメのタイプはオススメをする対象であるその人の背景や状況のことを考慮しようとしない感じが感じられるものである。
または、考慮の仕方があまりにも雑というか自分勝手に解釈しがちだなと感じるものである。
正直これに尽きる。

少しでもそこに配慮があったら、(例えばその人に趣味や苦手とか聞く程度)純粋に一度は受け入れてみようとは思えるんだが.…

また、そういうタイプのオススメを聞き入れてみて実際の感想なり報告を言ったり、してみると、当の本人のそのオススメへの思い入れというか考えの深さが浅いと感じることが多い。

いつもこういう現象が起こるたびに不思議だなと思ってしまう。

能ある鷹は爪を隠すではないけれども、本当にオススメがうまい人って
オススメをする本来の行動の押しつけがましさみたいなものをちゃんとわかったうえで、たくさんのオススメをいつでも引き出せるように持ち歩いている人だと思っている。

あーいつか自分のそういうあまり人に癇癪を起させないようなオススメができたらいいなと思いました。

そもそもオススメってことが苦手に等しい自分には遠い遠い夢のような話ではあるかもしれませんが.…

もしここまで読んでくださった方いたら感謝感激です

それではまたどこかでお会いしましょう。

またねっ!




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