たすくなり

天パで気まぐれ思考の脱力系人間

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天パで気まぐれ思考の脱力系人間

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初めまして。と自分の詳細を。

どんな場所でも初めての場所ではみんな「初めまして○○です‼」と言う。 「どうも○○です。」ではダメなのだろうか。相手だって一目見て初めましてなのくらい分かっているはずだし、最初からテンションが高いものが襲ってきたらびっくりしないか。 上の文章を読んで「うわ、厨二臭くてめんどくさい奴だな」と思ったらこの先は読むべきではないかもしれません。 今のところ、このnoteの使い方としては日記的に、純文学のような(?)エッセイ(?)のような、そして気まぐれなるままに文章にしたいことを

    • 真冬のサイクリング

      一人で冬サイクリングしていると、何もかも温かく感じる。 自転車を漕ぐことによって温まった自分の体、多少の冒険心 すれ違う人達の談笑、笑顔 逆に、聞くに堪えない罵詈雑言、秩序のない信号無視 あらゆるもの全てが何かの活動によるものだと素直に感じれる。 散歩でもなくドライブでなく、サイクリング。 最適なスピードで最高の時間経過をもたらしてくれる。 ずっとその温かみを感じていきたい。

      • 疲れの目安

        物事にはいろいろな基準や目安が存在していると思う。 例えば、何か気になる服を購入しようと思った時に 長い間愛用しようと思えるか、とか、サイズ感は本当に最適か、とか 素材や色味は本当に求めているものか、とか 自分の脳内の中にチェックリストのようなものを構築して 一つ一つにレ点を入れていき、自分の納得のいく個数に達したら購入を検討する、といった具合のように これを意識的にやる人もいれば、無意識でやってのけてしまう人もいるわけで… ちなみに自分は圧倒的に前者だ。 そうでもし

        • 声援を導くもの

          夏の代名詞て何? と言われたら自分は1,2を争うレベルで「甲子園」 と答える。 もちろんこれは過去(小学生、中学生時代)に自身が野球という スポーツに触れていたこと また、高校野球応援に吹奏楽部として参加したこと この二つの経験がそうさせているのは間違いない。 だが、よくよく考えてみれば テレビで1回戦から10日以上にもかけて一日中放映しているのって 甲子園とオリンピックぐらいじゃないかなと思う。 陰謀論とかを囃し立てられてもしょうがないんじゃないかな。 だから割とこ

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        初めまして。と自分の詳細を。

          作業用BGMの中での最強

          最近何かこもって作業したりするとき 決まって聞くものがある。 それは換気扇の音である。 以前までは普通に洋楽邦楽、ジャンル問わずいろいろなものを聞いて作業をしていた。 正直それに飽きたと言ったらそれで終わるのだが、何か未開拓に手を出そうっていうブームが来たので探してみることに。 YouTubeで「作業用」という検索ワードで検索する。 すると数年前には想定もしなかったくらい多種多様の作業用BGMが用意されているではないか! 喫茶店で流れるジャズ音楽集 集中するための周波

          作業用BGMの中での最強

          映像に頼らない文化

          すんなりと空虚に毎日が過ぎ去っていくなぁ という感覚に陥るようになってからというものの それを解消するためにはどんなことが良いかなと考えた結果 一番個人的にしっくりくるものが「文通」という文化というか 趣味をもって生活することだなと思った。 理由はいろいろあるけれども まず1つ目は 個人的に文字を書くという行為が好きだから。 昔小さいころに習字に通わせてもらった影響で、文字を書くことに 楽しさと喜びを覚えるようになっていた。 もちろん習字というのは何時間も同じものを書写

          映像に頼らない文化

          川沿いサイクリングのススメ

          夏か冬かどっちの方が好き? とかいうベタな質問は人生であと何回くらいさせたりするんでしょうね それくらいオーソドックスな質問だが 自分は幼少期から答えが出ている。 それは夏である。 もちろん体温、気温、過ごしやすさ、ファッション、イベントとかそういったいろんな要素を加味した上で夏とずっと言っている。 もちろん夏に良い印象が多いからというのもあるが、、、、 そんな自分はここ最近夏に時間があれば行う恒例のイベントができた。 それは「川沿いサイクリング」である。 都心

          川沿いサイクリングのススメ

          ネガティブを気にしながらの発言

          当たり前だが、何か発言するときに相手にとってネガティブにならないように物事を伝えるのは基本と言われる。 昔からなのだが、「疲れた」とか「眠い」とか そういったネガティブな感情の吐露を言われることが多く、良く困惑した。 というか今でもそれに対しての最適解なんて存在しない(人によってケースバイケースというよくあるパターン)ので困惑はする。 こういうネガティブな発言って言ってる側は意識していないことが多い。 怖いのは、こういう発言をしている人が同じような発言をする人を批判して

          ネガティブを気にしながらの発言

          強要を感じるオススメ

          最近読んだ本があるのだが、その人の本は話が何度も脱線するし途切れ途切れだし、いかにも文章の書き方みたいなものを守ってないにもかかわらず、読んでいて飽きない。むしろその人の腹の底を垣間見える感覚がして面白い。 ちなみにそれが書かれた時代は戦後まもなくなのでもう6、70年近く前のモノである。 昔の作品は今のような映像技術がないからこそ言葉や音声での伝達が主な手段であって、文学っていう物がその人の主張をもろに表しやすいものだったって考えられるのもあるけど、文字や文章だけでもその

          強要を感じるオススメ

          梅雨時に熱いと感じるもの

          梅雨時はどうしても重い感じがずっと付きまとっている感覚がして 全てを投げ捨てて雨をずっと浴びていたいと思ってしまう。 もういいよ、お前のことは受け入れるからさ、全部出しきっちまえよ と梅雨前線に言いたくなる。 それくらいに長くそこにいられると困るんだよな。 でも毎年確定で来るのが分かっている。 何年たっても変な時期だなと思うし、ずっと思い続けることでしょう。 でもこういう雨が降ると確定している時期だからこそ 格別に貴重だなと思うものがある。それは人の胡散臭いくらいの熱さ

          梅雨時に熱いと感じるもの

          無意識の自慢

          自分はどちらかというとあまり自慢はしない方(したくないっていう方が正しいかも)だと思うし、される側に回ってもうまく返すことができず、とにかく自慢ってものに不得手なタイプの人間だ。 「自分」って主語を使うだけでも自慢ぽっくなるなーとかそのレベるっす。はたしてこれが気にしすぎなのかは知りません。 最近急に無意識の自慢に接する機会が増えたので記録というか、考えてみようと思う。 自分は自慢する人と無意識でそれをやってしまう人であったら後者の方がどう考えても苦手だ。 自慢をする

          無意識の自慢

          続かない一体感

          人が複数集まると集団になるけど、それが何かに向かって活動すると、そこに共通の何かが生まれて「一体感」ってものが生まれますよね。 もちろんこれは一般論で、その実際の集団の人の私情は一切省くけれども。 その「一体感」って割と限定的で、儚くて脆いものだと思ってしまう。 ってことを今日はつらつらと書きなぐってこうかなと思います。 話はめちゃくちゃ前の話になるけど、 ほぼほぼみんなが経験することベースで考えたいので、 「小学校の組体操」をとってみます。 小学校の組体操って、どう

          続かない一体感

          棚上げと卑屈

          普段の生活の中で、基本的に自分が声を大にして何かを主張するなんてことはないといってもいい。 声を大にして何かを言うのってどうしても自分のことを棚に上げる必要性を感じるからである。自分はそう感じるようになってから主張をすることに一種の抵抗を感じる側面がある。 だから自制をかけて、言いたいことに蓋をする現象が板についてきているのかもしれない。 「はー?知るかよ‼‼‼ってかじゃあこのnoteは何なんだよ!」 と思った方は正解だと思います。 基本自分のnoteの投稿は主張で

          棚上げと卑屈

          幼さを付き添わせる

          自分はここ数年「職」っていうものを結構なスピードで何度も変えてきた。 そしてその度に「仕事」についての価値観を考えさせられてきた。 そこでいつも思うのは、自分の考えはやっぱりいつでも狭いんだなってこと。そして自分は自己満6割くらいで仕事をしているんだなという事。 自己満6割がほかの人のためになっていると思ってやっているけど、果たしてそれは、、、 と言われるとそれも他人の受け取り方だからで終わるから、自己満6割くらいが今のところちょうどいい塩梅なんじゃないかなとか考えていま

          幼さを付き添わせる

          趣味や娯楽は衝動でしか動けない悲しみ

          ふと1か月後の予定を見てみる。 週末には○○のライブの予定。平日の夜□時には△△と飲みの予定など。 これは自分の中では趣味、娯楽っていうフォルダに分類される出来事なんだが、そういう予定って近づくとどうしても億劫になりがち。 どうせこのライブに行かなくても最高のイヤホンとスピーカーで再生されるし、何より誰にも邪魔されず好きな○○と対等な関係で音楽を聴くことができる。 そう、独り占めできるじゃんか‼‼‼‼‼ とか 今日は疲れてしまって、たぶん一緒に飲んだ時に相手に変な

          趣味や娯楽は衝動でしか動けない悲しみ

          極限状態と普段とのギャップに楽しさを

          体力的にも精神的に限界を迎える瞬間を味わったことはあるだろうか 少なくとも自分の中では何度か経験した記憶がある。 それを経験するたびに自分の中での限界と呼ぶ境界線のようなものが吊り上げられて行って、あまり限界だと感じたりとか言うこと自体がが少なくなっている。 と思っている。 そんな中久しぶりに限界だと感じたことがあった。 体力面では睡眠が足りず、体の節々にガタが来ている始末。 精神的には、緊張感が常に走るような環境で、応対に追われ、自分が一体何をしているのかわからなく

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