小説・落語『死神』①

 その男、絶望につき。すべてを失っていた。絶望とは希望の絶えたことであり、望はもう何方にも進むことなく道は塞がった。八方塞がりとはこのことであるが、八方に限らず絶たれた線は魔城に潜む蜘蛛の巣のように延びていき、見事な円となった。かれの糸は何処にも繋がることなく、とらわれた男は、完結した。
 もともと望まずして生まれた命である。生まれる前に望むことは出来ないのだから仕様がない。生まれてしまったからには、これを絶つのである。つまるところ、これは金だった。金がないのは首がないのと同じ、という言葉がある。つまりは金は顔であり方便であり脳でもあった。金がないと、首から上がないのである。かれはこれを首がないまま首肯した。
 死に場所を探す。死に場所を探すとは、死に方の自由を得るということである。死ねば自由を失うか、それとも自由を得るか。それは誰にも分からぬが、ただいまの不自由は御免である。

 首をくくる。これぞ王道、縄と踏み台、そして一点の取っ掛かりがあれば可能である。臥さない姿勢も見事である。ただ、苦しそうだ。自由を得るために何故こんなに苦しまなくちゃいけないのだろうか。それは不自由だ。

 水に入って溺死。入水である、これは一つの美学である。万物の根源は水であるとミレトスのタレスは言って、その水に積極的に還っていくのであれば、引き際としての美しさがある。水から自ら水。これは、出来すぎているくらいだ。水に溶けていけるならば問題はない。だけどこれは、首をくくることの重力による不可抗力に増して、救いようのない苦しさが想像される。嫌である。その瞬間は生きているのだから。

 高いところから飛び降りる。生命とは跳躍である。その結果として地に堕ちるのである。この不可抗力よ。わずか一瞬の決断で、人は翔べる。かれはそんな高層ビルを探したが、この時代にはなかったのである。かれの都市的想像力はまだ早すぎた。

 剃刀の薄い刃がわらっているような気がした。昔に薄い紙で指を切って、赤い赤い血が滲んだことを思い出した。これは生を感じる出来事だった。

 かれは明るい気持ちで外に出た。よく晴れていた。履物も履いていて、錯乱してはいなかったのである。大きな松の木を眺めて、何物でもなく松の木があるのだから、これを自身の死に利用できないかと思った。あの枝に縄をかけるなど。未来のことなれどフラッシュバックする。

 色々と瞬いたところ、そこへ嗄れた声。

「お前、は、死ねない、よ」

次回へ続く。

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