【スペイン語エトセトラ】メキシコからカナダへ~モナルカ蝶のつなぐ命

スペイン語で”monarca”(モナルカ。「帝王」の意)と呼ばれる蝶と一度目の「再会」を果たしたのは、数年前に訪れたモントリオールの友人宅の裏庭だった。晴れ渡る夏の午後、ビール片手におしゃべりしていた私たちの前を、鮮やかなオレンジと黒い筋模様の対比の美しい大きな蝶が、ひらりひらりと横切って行った。
「カナダには、町中でモナルカを見かけたら報告するホームページがあるのよ。さっそく報告しなきゃ。」
という友人と二人、思わず興奮したのも無理はない。というのも、カナダから遥かメキシコまで南下して越冬する、「渡り」をおこなう唯一の蝶として知られるモナルカ、最近は生息地の環境の変化で個体数が減っているからだ。だがそれ以上に、ともにメキシコ在住経験のある友人と私にとって、それは懐かしい国で出会った蝶に「再会」したかのような喜びを与えてくれたのだ。

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Mariposa monarca
(モナーク・バタフライ)

和名をオオカバマダラというこの蝶は、8月の終わりごろ、カナダ南部・米国北部を出発し、数千キロの旅を経て
Hibernación(冬ごもり)
するために11月ごろにメキシコにたどり着く。といっても、同じ個体が越冬地との間を往復する鳥と違い、この蝶は4世代かけてカナダ・メキシコ間の往復を行い、しかも世代によって「寿命」と「担当ルート」が違うというのだから驚きだ。

4世代のうちで最も長寿な世代がメキシコまでの南下を一手に担い、
Generación Matusalén(メトセラ世代)
と名付けられている。これは旧約聖書に登場する人物、969年間生きたというメトセラからとられた名前らしいのだが、というのも、一般的な蝶の寿命が1~2か月であるのに対し、この世代は8か月間も生きるのだ。8月にカナダを出発した彼らはメキシコに向けて
Migración(渡り)
を行い、11月頃にメキシコに到着して冬を越した後、翌年3月ごろに再び北上の帰途につく。

だが、メトセラ世代は生まれ故郷に帰り着くことなく、米国南部でalgodoncillo(トウワタ)と呼ばれる植物に卵を産み、バトンを次の世代に託す。そこで生まれた二世は、北上の帰路をたどりつつ、米国中央部で産卵して一か月ほどの寿命を終える。そしてついにカナダにたどり着くのは、北上の帰路で生まれたメトセラ三世、実に「孫」の世代になってからなのだ。カナダに帰り着いた三世から生まれた、カナダ生まれの四世(メトセラ世代の「ひ孫」)は、かの地の夏の長い日照時間、涼しい気候、ふんだんな栄養という理想的な環境で育って産卵するのだが、そこで生まれた蝶が次のサイクルのメトセラ世代となり、再びメキシコへの南下の旅につくという。メキシコの越冬先では、高祖父世代が宿にしたのと同じ「木」まで探し当てるという話まであるのだから驚きだが、複数世代間でどのようにカナダ・メキシコ間のルートが「伝承」されているのか、その渡りの謎はまだ神秘のベールに包まれているらしい。

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ひらりひらりと裏庭からモントリオールの路地に消えていった蝶の姿を追いながら、私はそんな蝶の生態に思いを馳せつつ、そこからさかのぼること2年、メキシコに住んでいたときに彼らの越冬地として保護されている
Santuario(サンクチュアリ/聖域)
を訪れたときのことを思い出していた。

サンクチュアリはミチョアカン州に2か所(El Rosario, Sierra Chincua)とメキシコ州に3か所(Ejido el capulín, Piedra Herrada, La Mesa)あり、 計5万6千ヘクタール程の越冬地が

Reserva de biosfera de la mariposa monarca

(オオカバマダラ生物圏保存地域)

として2008年にユネスコ自然遺産にも登録されている。

オオカバマダラが越冬するのは広大なメキシコ国土の中でも、oyamel(オヤメル)というマツ科の針葉樹がしげるメキシコ中央部の特定の森だけだというのだから、どうやってたどり着くのか本当に不思議だが、首都メキシコシティから車で2時間と近いので、11月から3月ごろの越冬の時期は観光スポットとしても人気だ。私が訪れたのは、メキシコ州にそびえる標高4577メートルのNevado de Toluca(トルーカ山)の裾野に位置する聖域Piedra Herradaだ。

とはいえ、これはすべて後から知ったこと。3月のある日、メキシコ在住20年のアジア人の友人から「蝶を見に行くんだけど、一緒に行かない?」とお誘いを受けた私は、お花畑にモンシロチョウやモンキチョウが舞うような姿を想像しながら、ピクニック気分で何の予備知識もないまま二つ返事で行ったのだから、お恥ずかしい限りだ。2時間ほどのドライブで車はValle de bravoという首都圏の富裕層の別荘が立ち並ぶ避暑地を過ぎ、春のお花畑とは程遠い、肌寒い山道へ入っていった。さらに車を降りて向かったのは、かなり急な斜面の森の入り口で、そこから徒歩で40分ほど登れば蝶が見られるという。当時、まだ幼かった娘を連れていた私は、早々に徒歩をあきらめて森の入り口で馬をレンタルし、子供を抱えて鞍にまたがり、馬で山道を登り始めた。

いやはや、とんでもないところに来てしまった…と思いながら馬を進める。もう少し厚い上着を持ってくればよかったなあ、でも図らずも子供も乗馬体験できたし、よしとするか…とぶつぶつ言っていると、突然、そこには空を覆うほどのオレンジ色の蝶が舞っているではないか。道を進むほどに蝶の数は増え、おびただしい数の蝶が両脇の木の幹や下草までをもオレンジ色に染めて羽を休めているのだ。想像を超える景色に息をのむ私の周りで、一匹の体重など1グラムにも満たないはずの蝶たちが、圧倒的な集団の生命力を見せつけていた。

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さて、そんなオオカバマダラのことを思い出したのは、この蝶との二度目の「再会」が突然訪れたからだ。あのとき馬の鞍に一緒に揺られた娘も小学生になり、一緒にレイチェル・カーソンの伝記を読んでいたのだが、レイチェルのお葬式で読み上げられたという文章の中に「モナーク蝶」が姿を現したのだ。その手紙は、レイチェルがオオカバマダラに出会った後、友人にあてて記したものだという。

「…彼らは帰ってくるでしょうか。私たちはそうは思いませんでした。彼らにとって、それは生命の終わりへの旅立ちであったのですから。午後になってから私は次のことに思いあたりました。その光景があまりにも素晴らしかったので、彼らが再び帰ってくることはないだろうと話し合っていたときも、全く悲しさを覚えなかったのです。本当にどんな生物についても、彼らがその生活史の幕を閉じようとするとき、私たちはその終末を自然な営みとして受け取ります。…」
(「レイチェル・カーソン-『沈黙の春』で地球の叫びを伝えた科学者」ジンジャー・ワズワース著、上遠恵子訳(偕成社)より抜粋)

レイチェル・カーソンといえば、著書『沈黙の春』で農薬が環境に及ぼす影響に警鐘を鳴らしたことで知られているが、幼いころから自然を愛し、特に海洋生物の研究に熱心に取り組んだ人物だ。私は動植物の名前を覚えるのが非常に苦手で、名前を言えなければ十分に自然を理解していないような情けなさを感じていたのだが、彼女の著書『センスオブワンダー』は、名前なんか覚えていなくてもいい、そのありのままの美しさや驚異に感動すればいいと言ってくれる気がして大好きだ。そんな自然体のレイチェルも、転移する癌とたたかいながら死を予感していたに違いないが、自然を見つめ続けた彼女だからこそ、自分という「個体」の生死を超えたところに人間の「種」としての連続を見たのだろうか。もしかしたら、姉を早くに亡くし、姪にも先立たれてその息子のロジャーを引き取ったレイチェルは、その命のバトンをつなぐかのような個人的な経験もあって、連綿と引き継がれるオオカバマダラの命に感動したのかもしれない。

思えば、モントリオールの住宅街で私の前を優雅に飛び去ったオオカバマダラは、メキシコで幼い娘とともに見た蝶からすでに8世代ほど下っていた計算になる。だが、私にとってそれはPiedra Herradaの山奥で出会った蝶たちとの「再会」そのもの。私もたしかにそこに、生命のバトンが受け継がれていたことを肌で感じていたのだと思う。




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