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中論 第11.12.13.14章

第十一章 前後の究極に関する考察

1.偉大な聖者は.以前の究極(はじまり)は知られない.と説かれた…
何となれば.輪廻は無始無終であり.それには始まりもなく終わりもないからである…
2.始めもなく.終わりも無いものに.どうして中があろうか…それ故に.ここでは前も後も同時も成立し得ない…
3.もしも生が前にあって.老.死が後にあるのであるならば.老.死が無い生が有るという事になるであろう…そうして不死なる人が生まれる事になるであろう…
4.もしも最初に老.死があって.後に生があるのであるならば.その老.死は原因の無いものとなる…未だ生じないものに.どうして老.死があるであろうか…
5.ところで.生が老.死と共にあると言う事は.理に合わない…そうして現在.今.生じつつあるものが死ぬ事になるであろう…また生と死との両者は原因を有しないものとなるであろう…
6.以前.以後.同時という此れらの事の起こり得ない処において.どうして.その生と老.死とを想定して議論するのであるか…
7.輪廻に以前の究極が存在しないと言うばかりではなく.結果と原因.また特質づけられるものと特質.更に感受作用と感受主体.及び如何なるものであろうとも.汎ゆるものに以前(最初)の究極は存在しない…

第十二章 苦しみの考察

1.苦しみは.自らによって造られたものである(自作).他によって造られたものである(他作).両者によって造られたものである(共作).無因である(無因作)と.ある人々は其々に主張する…然るにその苦しみは結果として成立すると言うのは正しくない…
2.もしも苦しみが.自ら造られるものであるならば.しからば苦しみは縁に縁って起こるのではない…何となれば.この臨終の5つの構成要素(五蘊)に縁って.かの.次の生涯の構成要素(五蘊)が起こるのであるから…
3.もしも臨終の.この構成要素(五蘊)が.かの.次の生涯の構成要素と異なるのであるならば.或いは彼れが此れよりも.異なった他のものであるならば.他のものによって造られた苦しみが在るであろう…また.かの構成要素は.他のものである此れらの構成要素によって造られるであろう…
4.もしも苦しみが自分の個人存在(プドガラ)によって造られるのであるならば.苦しみを自ら造る処の何れの自分の個人存在が.苦しみを離れて別に存在するのであろうか…
5.もしも苦しみが他の個人存在から生じるのであるならば.その苦しみが他人によって造られて.しかも与えられる処のその個人存在は.苦しみを離れて.別のものとして何処に存在するであろうか…
6.もしも苦しみが他の個人存在から生じるのであるならば.その苦しみを造って.しかも他人に与える処の如何なる他人の個人存在が.苦しみを離れて別に存在するのであろうか…
7.苦しみが自ら造られる事が成立しないから.何処に他人によって造られた苦しみが存在するであろうか…何となれば.他人が造る処の.その苦しみは.その人にとっては自ら造ったものである筈であるからである…
8.先ず.苦しみは造られたものではない…
何となれば.苦しみはそれ自体(主体.霊魂)によって造られるものではないからである…もしも他人が自ら造ったものでないならば.どうして他人が造った苦しみがあるであろうか…
9.もしも一人一人によって造られた苦しみがあるならば.自他両者によって造られた苦しみがあるであろう…しかし他人が造ったのでもなく.自ら造ったのでもない無原因の苦しみが何処にあろうか…
10.苦しみが造られるについて.上述の四種類が認められないばかりでなく.外にある諸事物の成立についても.上述の四種類は存在しない…

第十三章 形成されたものの考察

1.[邪(よこしま)に執着.妄取されたものは虚妄である]と世尊(ブッダ)は説き給うた…
そうして全て形成されたもの(行)は妄取法である…故に諸々の形成されたものは虚妄である…
2.もしも此の妄取されたものが虚妄であるならば.そこでは何が妄取されるか…処でこの事が尊師(ブッダ)によって説かれたが.それは空を闡明(せんめい)するものである…
3.諸々のものにとって.それ自体(主体.霊魂)が無い事(無自性)が存する…何となれば.それらのものが変化する事を見るが故に…それ自体(自性)を有しないものは存在しない…何となれば諸々のものに空が存するから…
4.もしも.それ自体が存在しないならば.何ものに変化するという性質があろうか…
もしも.それ自体(自性)が在るならば.何ものに変化するという性質があろうか…
5.それ(前の状態に在ったもの)に変化するという性質がない…また他のもの(後の他の状態に達したもの)にも.変化するという性質が無い…
何となれば.青年は老いる事がないから.また既に老いた者は.最早.老いる事がないから…
6.もしも.そのものに.変化するという性質が在るならば.乳そのものが.乳そのものである状態を捨てないで酪となるであろう…
また乳とは異なる何ものか(たとえば水)に酪たる状態が起こるであろう…
しかしその様な事は有り得ない…それ故にそれとは異なった何ものかが酪という事は理に合わない…
7.もしも何か.或る不空なるものが存在するならば.空という或るものが存在するであろう…然るに.不空でないものは何も存在しない…
どうして空なるものが存在するであろう…
8.一切の執着を脱せんが為に.勝者(仏)により空が説かれた…
然るに.人がもしも空見を抱くならば.その人々を[何ともしようがない人]と呼んだのである…

第十四章 集合の考察

1.見られる対象と見る作用と見る主体と.これらの三つは各々二つずつである(見られる対象と見る作用.見る作用と見る主体.見る主体と見られる対象)…しかし.それらは相互に全面的に集合するには至らない…
2.貪りの汚れと.貪り汚れる主体と.貪られる汚れた対象もまた.その様に見られるべきである…
その他の諸々の煩悩も.またその他の十二の領域(十二処)も.この三つによって説明される…
3.甲と乙と互いに異なったものが集合する(たとえば乳と水)…しかし見られる対象などは互いに異なった別のものではない…それ故に集合するには至らない…
4.そうして見られる対象などが互いに異なったものである事が有り得ないばかりでなく.如何なるものにとっても.如何なるものとも異なった別のものである事は有り得ない…
5.互いに異なったものである甲と乙に縁って異なったものとなって居るのであって.異なったものが無いならば.異なったものでは有り得ない…甲に縁って乙が在るならば.乙が甲と異なった別のものである事は成立し得ない…
6.もしも甲が乙と異なっているのであれば.異なった別のものが無くても.異なったものとして成立するであろう…しかし.その甲は乙なくしては異なったものでは有り得ない…それ故にその異なったものは存在しない…
7.異なったものである事は.異なったものの内には存在しない…異ならないものの内にも存在しない…そうして異なったものである事は.存在しないので有るから.異なったものも存在しないし同一のものも存在しない…
8.甲が乙と集合する事はない…
異なった二つのもの(甲と乙)が集合すると言う事は.理に合わない…
現在.今.集合しつつあるものも.既に集合したものも.集合する主体も存在しない…

     

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