見出し画像

知的障害者のきょうだい①-掲示板との出会い-

 皆さんは、こんな言動を耳にしたり、口にしたことがあるだろうか?
 「お前ガイジやん」。友達のおかしな行動をからかう言葉である。

 ミスした自分を「今のはガイジ入ってたわ」と言う中学生がいた。「お前、アホちゃう?」「俺ってバカだよな」というニュアンスで、ガイジという言葉を生徒たちが平然と口にしていた。生徒たちはそれが障害者の蔑称だと知っている。それでもみんな使っているし、別にいいだろうと感じさせる空気感。
 こうした言動を私は何度か耳にした。彼らの言動に不快感を覚えても、注意できない自分の「弱さ」を感じていた。この弱さとは自分自身、知的障害者について何も知らない。かつて中学生だった自分も「ガイジ」という言葉を口にしていた。そして、その時も今も、自分は知的障害者と身近に接し、考える機会は一度もなかった。ここに私は「弱さ」を感じていた。そして生徒たちが「ガイジ」と平然と口にするのも、身近に接する機会もなく、知的障害者について何も知らないからではないか?何かもっと真剣に考える機会があって良いのではないか?生徒と一緒に知的障害者について、とことん考える授業をしてみたい。そう思うようになっていた。
 答えの出ない社会問題を深く取り上げ、何が答えなのかを教師が生徒と一緒になって考える。その題材として、知的障害者を取り上げたいと決意した。それに我武者羅になる自分がいた。2003年に、犯罪被害者と死刑制度を考える授業を終えた頃だったように思う。


インカーブと累犯障害者

 障害者について授業でどんな問いを立てればいいのか。考える題材を探し求めた。いくつもの題材に出会った。その中で印象に残ったものを紹介したい。

自主制作ドキュメント映画『自転車で行こう』

 在日韓国人の自閉症の青年を描いた自主制作ドキュメント映画『自転車で行こう』(2003年)。この映画の中で、自閉症の青年と幼なじみの健常者の女性は次のように言った。「小さい頃は彼に‘アホか’って言ってはダメだと教わってきた。だけど、彼と長く付き合ってきて、‘お前はアホか’と平気で言えるようになった」。幼なじみで十数年、身近でずっと接してきたから、口にできるアリノママの言葉は、強く心に残った。


障害者の経済学 (中島隆信著/東洋経済新報社)

 制度や社会の仕組みから考えさせることはできないかと考え読んだのは『障害者の経済学』(中島隆信著/東洋経済新報社)。クールに、同時に温かみのある視点で障害者福祉や教育問題を経済学的に解説。著者の学問への姿勢と内容に目頭が真っ赤になる秀逸の本だった。この本を授業で激賞したら、それを読んだ教え子が感動して、慶應大学の中島隆信先生のゼミ生になったと聞いたときは嬉しかった。

『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著/北海道新聞社)

 『こんな夜更けにバナナかよ』(2003年/渡辺一史著/北海道新聞社)。進行性筋ジストロフィーと闘う鹿野さんと24時間態勢で支えるボランティアとの交流は、生臭く人間らしさ満載。清く正しい障害者とボランティアの御涙ちょうだいの話ではなく、「障害者といっても、エゴもあれば欲もある。普通の煩悩にまみれた人間」のドキュメントもまた、目頭が熱くなる良書だった。
 この実話は2018年に映画化された。渡辺一史さんの『なぜ人と人は支え合うのか』(2018年/ちくまプリマー新書)も相模原連続殺傷事件を踏まえて、鋭く人間としてのあり方を考えさせられた。


『無敵のハンディキャップ』(北島行徳著/文集文庫)

 障害者プロレスのドッグレッグスを描いた『無敵のハンディキャップ』(北島行徳著/文集文庫)。生身でぶつかる様は、既存の障害者福祉に対する強烈なカウンターとして考えさせられた。何より生でドッグレッグスを見てみたいと思った。


『母よ、殺すな』(横塚晃一著/生活書院)

 日本の障害者運動の歴史に残る「青い芝の会」。障害のある子どもの行く末を悲観して親が子供を殺害。母親への減刑嘆願に「殺される側」から異議申し立てた『母よ、殺すな』(横塚晃一著/生活書院)と映画『さようならCP』(原一男監督)。「あってはならない存在」とされることの差別を暴いた自立生活運動の衝撃は、言葉にならない重みがあった。

『福祉を変える経営』(小倉昌男/日経BP社)

 ヤマト運輸の小倉昌男さんの『福祉を変える経営』(日経BP社)。既成概念を打ち破り、新たな福祉社会を作る取り組みに胸を熱くした。

 幾つもの本や映画に出会ったが、障害者問題の何を切り口に考えさせるべきなのか、答えは出なかった。知人に相談すると「考えるのではなく、一緒に何かすることではないだろうか?」と言われた。そして彼はあるドキュメンタリー番組の話をした。盲学校の生徒がサッカーチームを作ったという。ボールに鈴をつけて猛練習。熱心な顧問の先生が公立中学のサッカーチームに懇願して練習試合を行った。当然、健常者の生徒たちのワンサイドゲーム。それでも盲学校の生徒たちは試合を続けて欲しいと頼み、その真剣な姿に健常者である生徒たちの表情が変わっていったのが印象的だったと語ってくれた。確かに考えることよりも障害者と直に接してみることが大切だと思った。だけど、生徒270人に何を一緒にやらせたら良いのだろうか?果たして授業として義務的にやらせて学べることはあるのだろうか?生活の中で身近に接しない現実を飛び越える取り組みが、果たしてどんな結果を生むのか?どうしてもわからなかった。私自身、障害のある友人はいない。接する機会もない。そこにもまた、社会の現実を感じた。そして私がとことん生徒と考えてみたいのは、知的障害者についてである。

 悶々とする中で読んだのは『獄窓記』元国会議員の山本譲司さんが綴った刑務所の記録。

『獄窓記』山本譲司

「山本さん、俺たち障害者はね、生まれた時から罰を受けているようなもんなんだよ。だから、罰を受ける場所はどこだっていいんだ。どうせ帰る場所もないし・・・また刑務所の中で過ごしたっていいや」そんな風に語る障害のある受刑者に衝撃を受けた。2008年、大阪でのシンポジウムに参加し山本譲司さんに直接、相談もさせて頂いた。私たちの社会に成人後の人生のほぼ全てを刑務所で過ごさざる得ない知的障害者がいる現実を生徒に知らせたいと強く思った。


インカーブ編著

 累犯障害者に胸を痛める一方で、素敵なギャラリーに出会った。Gallery Incurve。そこでみた芸術作品には心躍る格好良さがあった。それが知的障害者の作業所で制作されたものと知り驚いた。サントリー美術館などでも展覧会が開かれ、その作品は高く評価されていた。インカーブの芸術作品の質の高さに加えて、市場原理と向き合ってアートと福祉を語る理事長の今中博之さんがかっこ良すぎた。   
 芸術の力で高い評価を受ける知的障害者がいる一方で、刑務所にしか行き場がない知的障害者がいる。社会にある障害者ほめぐる全く異なる状況。生徒にぜひ知ってほしい事柄はいくつも見つけた。そこには猛然と訴える力もあった。けれども、どんな授業をすべきなのか?ますますわからなくなった。芸術も刑務所も日常のこととは思えなかった。生徒たちが「自分自身のこと」として知的障害者について考えるには、非日常的に思えたのだ。
また私も生徒も葛藤した上で、その葛藤を受け止め対話してくれる当事者がいなければならない。考えれば考えるほど、何を切り口に授業をすべきなか、わからなくなった。

ある掲示板との出会い。

 授業の切り口が見出せず悶々とする中で、インターネットで「ガイジ」と検索して、ある掲示板「知的障害者のきょうだい」と出会った。初めてこの掲示板を読んだ時、余りに赤裸々な書き込みに思わず屋外に飛び出して夜風に吹かれて考え込んだのを覚えている。
 「妹は重度の知的障害を持っており、小さな頃から世間から言われなき差別、偏見を受けて育ってきた。家族の中でも我慢しなければならないことが多かった」
 「私の姉は知的障害を持っており恋人ができても嫌われたくないから話せない」
 「介護疲れで自分の母が亡くなり、重度の知的障害を持つ叔父が死ねばいいのにと思った」
 このように知的障害を持つ家族を疎ましく思う自身に対する嫌悪感、社会の偏見に苦しみ、板挟みになっている様子が生々しく書き込まれていた。「知的障害者のきょうだい」が深く悩み、苦しみ、そしてまだ答えを得ることができていない現実を読み、私自身、考え込んだ。みなさんは、友人からきょうだいに知的障害があることを聞いた経験はあるだろうか?きょうだいや親戚に障害があることを、友人に話をしたことはあるだろうか?

 この掲示板を読んで私が考えたのは、2人の友人のことだった。妹に知的障害があると言った友人にこの授業について相談した。彼は「当事者でない人に知的障害者のことがわかると思わない。わかって欲しいとも思わない」と言った。
 また、授業を相談した別の友人から「きょうだいに障害があったこと」を告げられた。10年来の付き合いになる彼女から、きょうだいのことを知らされたのは初めてだった。そして彼女は「あなたの授業は応援するけど、もう聞かないで欲しい」と言った。
 どうして彼は「わかるとは思わない」と言ったのか?どうして彼女は「もう聞かないで欲しい」と言ったのか?この赤裸々な掲示板を前に考え込んだ。私たちの社会には、何らかの障害を持つ人の割合は少なくとも5%という。そのきょうだい、家族を含めれば、障害者はもっと身近であるはずだ。にもかかわらず、私は障害者を身近に感じずに過ごしている。「当事者でない人に、知的障害者のことをわかるとは思わない」と言った身近な彼の言葉に向き合うことが、私の目指す「社会にある答えの出ない課題を一緒に葛藤する」取り組みなのではないかと思えた。
 こうして私は「知的障害者のきょうだい」を切り口に授業を行うことに決めた。

ご意見・ご感想があれば、form回答をお願いします。


この記事が参加している募集

公民がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?