見出し画像

生きる意味

昔よく考えた。
不登校で、自分の部屋で一人天井を見つめながら、「生きててもこの先いいことなんてない」「生きる意味なんてないんじゃないか」と

社会人になって同じような毎日を過ごしてやるせなくなったり、恋人に別の彼氏がいたりと、心が苦しくなった時も程度こそあれ同じようなことを思った。
生きてる心地がしない。でも時間は経過していく。
自分のことも他人のことも信じられない。

そんなときに明るく楽しく、生きることは難しい。
ただ「無理して笑わなくていい」という大前提の上で、「辛い時に明るく楽しく生きることはできない」というある種の偏見に引っ張られていないだろうか?
こんな時に味がするわけないと思っていたごはんが意外とおいしかったり、思わぬ人の優しさに触れて心温まったり、何気なくつけていたテレビ番組が面白かったり…
無理して笑わなくていいけど、その瞬間瞬間の自分の感情に真っ先に気付いてあげられるのは自分自身だ。
「自分を大切に」とよく言われるが、要するに些細な自分の感情を認めていくことが初手だと思う。
”過去”の辛さにとらわれて、”今この瞬間”を楽しむ自由まで奪われてたまるかって。辛い思いの中心にいる誰かにも、過去の自分にも、未来の自分にも他の誰にも侵してはならない、侵させてはいけない領域はあると思う。

泣いたっていいし、笑ったっていい。
過去でも未来でもない今。
そうして、今この瞬間の自分に寄り添い続けたらきっと生きる意味なんてそう重要なことでもない気がしてくる。
自分で自分を見放さない限り、生きる意味はわからなくても、これからの生き方は自分で決められる日が来る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?